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自伝”光の啓示”「第3章 インドでの悟り」

こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。

定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。

世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。

私のHPはこちら
http://takayuki-hibino.wixsite.com/takatyuki-hibino

第3章  なにより無事が一番のつづき 悟り。

ニューデリーICCRギャラリーで開催した
「日本・インド芸術文化交流巡回展」も大盛況のうちに終了し、
私以外の日本人作家は日本に帰国した。

私とナレンダーは、ニューデリーからムンバイへ向かった。
ムンバイはニューデリーにつづくインド西部に位置する大都市で、
世界遺産のチャトラパティ・シヴァ-ジー・ターミナス駅もある、
ここには1週間ほど滞在する予定だ。

ムンバイに着いてすぐ耳に入ってきたのは
ムスリムのモスクから流れてくるコーラン。

またムンバイは、エンターテイメントが盛んで、
とくにマサラムービーが有名な都市だ。

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マサラ映画(マサラえいが、Masala film)とは、インド映画で複数のジャンルを掛け合わせた作品を指す。主にアクション、コメディ、ロマンス、ドラマ、メロドラマを組み合わせることが多い[1]。また、風情のあるロケーション現場で撮影されたミュージカルの要素が盛り込まれる傾向がある。名称はインド料理で複数のスパイスを混ぜ合わせた「マサラ」に由来する[2]。ザ・ヒンドゥー(英語版)によるとインドで最も人気の高いジャンルとされている[3]。1970年代のボリウッドで始まり、南インド映画にも浸透している。
Wkipedia マサラ映画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB


ボリウッド【Bollywood】
インド映画の制作中心地であるムンバイの俗称。
[補説]娯楽映画を多く作成していること、また、制作本数・観客動員数ともに世界トップクラスであることから、ムンバイの旧称ボンベイ(Bombay)の頭文字と、米国映画の中心地であるハリウッド(Hollywood)を組み合わせてつけられた。

goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89/#jn-205391

ハイデラバードでマサラムービーを観たが、
1本4時間もあり、2時間観て途中休憩がある。
テロ防止のために途中退場はNGで、
知らずに途中退場するとテロリストの疑いで、

警察に疑いが晴れるまで一時拘束されるという話だ。

ムンバイは内陸部と違い、海岸かある。

「日本・インド芸術文化交流巡回展」が終わった解放感と
お腹の調子も良くなり、元気100倍挨拶回りの合間に
ムンバイ観光とショッピングを満喫した。

この2カ月、朝昼晩とカレー地獄攻めだったので、
マック入りフレオフィッシュバガーとマトンバーガーを注文した。
インドでは宗教上の理由からビーフはNGで
そのかわりにマトンといわけだ。

やっとカレーから逃れられるとフレオフィッシュバガーに
かぶりついたとたん。
なな、なんと!
カレー味!
マジか、フレオフィッシュバガーまでもマサラ。
インド味にいいかげんにしろ!ホントむかついた。

約2カ月のインド滞在。
初めての海外展。
すべて初体験のことばかりで、
インドに体力的にも精神的にも鍛えられた。

それにしてもあの腹痛は地獄だった。
これもすべて「光の啓示」の導きというならば、
今後もいいことばかりじゃないことが予想できる。
今回「日本・インド芸術文化交流巡回展」の
日本人アーティストの代表を務めたことで、
インド政府との太いパイプができたことが最大の成果と言える。

良いことも悪いことも、成功も失敗もすべて結果論。
重要なのは行動して喜怒哀楽を経験することだ。

ムンバイの滞在もあっという間に過ぎ、
インドを離れ次はナレンダーとUKロンドンへ向かうため空港へ、
ロンドン行きのフライトをチェックインすると、
なな、なんと!
シートがエコノミーからファーストクラスになっていた。

ナレンダーによると、
今回の「日本・インド芸術文化交流巡回展」のご褒美ということだ。
インド政府、エア・インディアも粋な計らいをしてくれるではないか。
これもアーティストがリスペクトされている証拠だろう。
日本では絶対ない扱いだ。

これも初めての経験、
アートは私に初めての経験を与えてくれる。
インドにしてもそうだ、
与え続けてくれる。

いや、そうではないかもしれない
これは「光の啓示」に試されているのではないか。

前にも書いたが、よく崖っぷちを歩くというが、
ずっと崖のそとの空中を歩いているような気がする。

アーティストとして生き残るために、
試されている。
だとすると、夢で龍王が「苦難が訪れる」と
言っていたことが理解できる。
私に何かの役割を与える資格があるのか試している。
そんな気がしてきた。

試されているとわかれば、
どんな苦難が訪れようと粛々と乗り越えていくだけだ。

インドに来て、なにかひとつ悟った気がする。
いままで国内外を旅した中で一番きつい旅ではあったが、
ありがとう!インド
こころから感謝、ロンドンヘ向かうのであった。


つづく


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