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自伝”光の啓示”「第3章 なにより無事が一番 in インド」

こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。

定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。

世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。

私のHPはこちら
http://takayuki-hibino.wixsite.com/takatyuki-hibino

第3章 大盛況のつづき なにより無事が一番


初めの巡回展は、ムンバイも行う予定だったが、
ハイデラバードの会期延長と輸送費などの予算の都合で
カットし2か所に変更した。
異国で臨機応変に対処していくのも大変だがしかたがない。

私たちはハイデラバードからニューデリーに到着した翌日、
作品も無事にニューデリーICCRギャラリーに届いた。
あれだけの作品を、人力で運び翌日に着くのは、
正直言ってキビシイと思っていた。

私にとって作品が無事に着いたことは、奇跡に等しい。
上半身ハダカ逆立ち野郎のラグウと友人たち、
ほんとにありがとう。

すぐさま作品を設置するためにギャラリーへ
ところが私のお腹の調子が最悪の状態になっていた。

インドに来てから、水と食事があわない上に
緊張の連続でストレスのために免疫も落ちていたのだろう。

耐えることのできない腹痛におそわれた。

作品の設置をほかのメンバーお願いして、
ナレンダーと病院へ向かった。

診察では軽い食中毒といわれ、
薬をもらいホテルへ戻ったのだが、
それからが地獄の始まりだった。

腸壁のある部分が細菌に侵され細胞が
食べられているような感覚の
今まで経験したことがない激しい腹痛、
それが20分の間隔で激しい痛みが来る。
本来なら病院へ入院するレベル。
しかし、入院する予算がない。

仕方なくホテルにこもって薬だけで治すしかない。
痛みに耐えることは強い方だと思うが、
さすがにこの痛みは耐えかねる。

「日本・インド芸術文化交流巡回展」ニューテリーの
プレオープンが始まり、一般公開が始まっても治らず。
1週間、ホテルから一歩も動くこともできなかった。

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インドのきつい薬のせいのおかげで
ようやく1月下旬には動けるようになった。

病み上がりの身体と連日の暑さの中、
今度はインド政府の大臣や、政府関係者への
ナレンダーとのあいさつ回りがふたたび始まった。

「少しは休ませろよ」ナレンダー・・・。

各大臣の訪問のおみやげは、グリーン色のボールペン。
なぜグリーン色のボールペンをプレゼントするかというと
大臣はサインするときの色がグリーンだからだ。

ナレンダーから日本製のグリーン色のボールペンは、
政府関係者にすごく喜ばれるから200本ぐらい
持参するよう言われていた。

このグリーン色のボールペンの効果は抜群で、
渡すと大臣たちはみんな大喜びして、
すぐ書き味を試し、その滑らかさに喜んでいたのが印象的だった。

今後もインドの政府関係者へのおみやげは、
日本製のグリーン色のボールペンで決まりだ。

海外では、アーティストへの扱いが日本とは全く違う。
有名、無名に関わらず、
アーティストに対してのリスペクトがすごくある。

インドであいさつ回りした州政府の大臣や、
インド政府の大臣たちも、
私に対してすごく丁寧に接してくれている。

日本ではそのリスペクトがほとんど感じられない。
というより、ない。
売れてないアーティストはバカにしているようにさえ感じる。

海外では仕事を聞かれたとき、アーティストと答えると
それはいい仕事だと尊敬される。

今回、インドの人々からみれば日本人のアーティストは
無名か有名か、売れている、売れていないのかもわからない。
しかし、そんなことは関係なく尊敬されているのだ。

日本でアーティストだというと、
ホントに?とまずは疑われる。
そして、本当のアーティストだとわかり認めると、
今度は、世捨て人や変人扱いの一般的な印象でかたづけられる。

悲しいことだか本質を見ない、
アーティストに対する基準と意識がまったく違うのだ。

そのために海外ではあまり必要ではないが、
日本では対外的にアーティストとしての
証明や実績が必要不可欠のように感じる。

アートコンペで入賞、入選もその一つ、
個展・グループ展もその一つ、
作品が売れていることもその一つといえる。
他にも沢山あるが、
それらをひとつひとつ積み上げていかなければならない。

異国でお腹を壊しても、
やり続けなければ明日はない。
運を味方にどんなことがあっても、
あきらめずやり続けるしかないのだ。

ニューテリーの「日本・インド芸術文化交流巡回展」
私以外の参加メンバーにトラブルもなく、
大盛況のうちに最終日を迎えたことは何よりの収穫だ。

無事にできたことがなにより
初めての海外グループ展は、大成功といえるだろう。
ここまで40日間あまりの経験は今後の活動にも
自信になるだろう。

つづく

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