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自伝 ”光の啓示”「第6章 伊賀市に拠点を移す」

こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。

定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。

世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。

私のHPはこちら
http://takayuki-hibino.wixsite.com/takatyuki-hibino

第6章 グループ展はじまる。のつづき お化け屋敷

インドネシア・バリ島ウブドのARMA美術館の
グループ展「Future」、
デンパサールのアートセンターで同時開催している
曼荼羅祭の成功でやっとバリ島にお返しができた。

しかし、高温多湿の環境だった会場での展示は、
新たな課題も出てきた。

ホログラムズコラージュは貼り絵なので、
下地についても、キャンバスは問題ないが
イラストレーションボードなどの紙の下地は湿気を吸って
そってしまう場合がある。

環境によっては、いろんなことが起きる。
今後も世界と戦っていくには
起こりうるリスクを想定して、
作品と技法のクオリティをもっと上げなければならない。

ホログラムズコラージュ技法を世界に伝えるにしろ、
作品と同時に技法のクオリティも世界標準以上に
しなければならない。

バリ島から帰国した私は、
伊賀市に拠点を移し
さっそくその課題の研究に取り組んだ。

主な課題はふたつ、
ひとつめは、ホログラムが下地にしっかり定着するような、
接着剤の開発。
ふたつめは、作品の保護する樹脂の開発。

新拠点は標高400メートルの伊賀の山の中、
ここで研究をしながら半自給自足の忍者の生活。
しかも、そこは村でも有名なお化け&ヘビ屋敷、
村人は絶対に足を踏み入れない場所でもあった。

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そんないわく付きの場所に、
アーティストが住みついた噂は、
またたくまに村中に広まり、

村人たちがかわるがわる挨拶に来た。
村人達もアーティストと知ってか、
すぐ仲良くなりいろいろお世話をしてくれるようになった。

特に村のおさのには農業を教えてもらったり、
新鮮な野菜をいただいたり、
春になれば山菜に舌鼓。
四季折々の幸にも恵まれ
山の生活も快適だった。

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山の奥地だけあって1週間、人と会わない日もざらで、
集中して技法の研究に没頭した。

ほとんど毎日、石臼でそば粉を作り、
翌日の昼に自分でそばを打って食す。
最高だ!
野菜も完全無農薬、お米も農薬をほとんど使わないで育てた
米を分けてもらっていた。

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さすがお化け屋敷というわけで、
いろんな現象を経験し、姿を現わしてびっくりしたことはあったが、
怖いとか恐ろしいと感じたことは一度もなく
私の研究や生活を、楽しく見守ってくれている感じだった。

動物たちとも仲良くなり、
池に住んでいるカメは、毎年梅雨の時期に、
玄関まで必ず挨拶にきたり。
カワセミやオシドリなどの野鳥たちも姿を見せ、
目の前で魚や虫を捕るところを見せてくれたり。

雨が降った後はマイナスイオンで満ち溢れ。
天に近い分、雷が鳴ると家が揺れる。
そして、月の光で真夜中でも明るく懐中電灯などは無用な世界。
毎日が幻想的。

そんな自然とお化けとの共存が4ほど続き、
田舎生活も板についてきた、
お化けの手助けもあって、
ホログラムズコラージュ技法も研究の過程で、
新たな技法のバリエーションも増えていったのだった。


つづく




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