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2.サッカー指導者になるキッカケ|ショック|

|スタート|として始めた、サッカー指導者になるキッカケですが、なんとか続けられそうです。しかし今日、子供とドライブ中に英語の練習と思い"英語”を口づさんでいたら…一番したの娘「それ、なに語??」と言われました。ショックという一言が頭の中をスプリント…。そんなこともありではないですが、高校時代のキッカケ|ショック|を書きます。

"秘境”から意気揚々とサッカー大好き「プロ選手になるんだ〜」なんて思いで高校も推薦でサッと入ってしまい、いざ入学。「埼玉県立大宮東高校」でした。当時は、高校受験にも学区制があり、普通科は受験ができずに体育科に入りました。しかし、実家から通学は絶対できないので、3つ上の姉が東京の大学に入学することもあり、姉と二人暮らしをすることになりました。姉は、相当なストレスだったと思います、この場を借りて「ありがとうございました」

サッカー部は、3学年合わせて130人程度で、新入生は大体50人はいました。選手の構成は、Aチーム25人程度で、それ以外はBチームで試合ごとに3チームに分ける感じでした。1年生でもスポーツ推薦で入った選手はAチームに入ってました。選手数や分け方などでは驚きもなく、やるぞと周りを見渡すと…。

同学年に左利きが8人もいてショック!今考えれば、50人も選手がいればそうかなと思いますが、当時の私はなんで?ってなってました。私、左利きなんですよ。それまで、それを売りにサッカーをしてきたようなものでした笑。それが、8人って。そして、追いショックを受けるかのように、左利きの才能に出会いました。その彼を観た時に「俺、プロ無理だな」って思いました、追い越せないって笑。入学→入部して2ヶ月で思い知らされました。その彼と20年後に、プロサッカー選手(彼)とプロサッカーコーチ(私)として高校卒業以来に出会うとは思いもしませんでした。

そんなWショックを受けた私の気持ちは…「夏休みのブラジル遠征まで…頑張ろう」でした。そこだけが、モチベーションでした。そして、このブラジル遠征が転機を与えてくれました。それは、また次回。

私は、相当あきらめの早い選手でした。そんな選手がよく、ここまでサッカーに関わっていられるなと、それ程サッカーは良いスポーツなんでしょうね。結果として、諦めたからサッカーに関わっていられてるのか正直、正解はわかりませんが、選んだものを正解にできるように。そんな、指導をしていきたい。と感じてます。

最後まで、読んで頂きありがとうごいました。
Have a fun.


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