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自#053|私は、今、走っています。走れるんだから走る(自由note)

 アエラの表紙に、走り幅跳びでパラリンピックに出場予定の山本篤さんの写真が出ています。左足が義足です。高2の春休みにバイクの事故で、左足を大腿部で切断したそうです。17歳で左足を失って、泣いたのはたった一度だけだと、インタビューに答えています。ある日、突然、人生が決定的に変わると云う風なことは、残念ながらと言うべきか、幸いにと言うべきか、私は経験したことがありません。ですから、そういうケースで、その人の気持、立場になって、モノゴトを考えると云うことが、本当の意味では、できません。

 高2の担任だった時、生徒がバイクで事故を起こしました。高2が終わって、高3になる前の3月下旬です。一方通行の道を走っていて、一方通行を無視して、反対方向から走って来たトラックに跳ねられました。知らせを聞いて、病院に駈けつけた時は、手術中でした。両親が、手術室の外の廊下のベンチに座っていました。両親とは目礼を交わしたくらいで、喋りませんでした。こういう状況では、何を喋っても、自分の言葉が虚ろに響くだけです。手術は長くて、明け方近くまでかかりました。ドクターが来て、両親に命に別状はありませんと伝えているのを聞きました。その言葉を聞いて、やはり静かに目礼をして、私は帰宅しました。Mくんは、しばらく集中治療室にいて、一般の病棟に移ったのは、一週間後、くらいでした。

Mくんのお見舞いに行きました。下半身が不随になって、腰から上しか動かなくなったと、別段、感情的にもならず(つまり怒りも悲しみも見せず)淡々と、私に語りました。Mくんのお見舞いに行ったんですが、何を喋っていいのか、正直、解りませんでした。ある日、突然、下半身が不随になった生徒に、語りかける文脈のある話を、私は持ち合わせてないんです。が、何か喋らないと、気まずくなります。
 
麻酔が覚めて、意識が戻って、集中治療室にいた1週間、Mくんはいろんなことを、考え抜いたんだと思います。Mくんは、私に気を遣わせないように、自ら積極的に喋ってくれました。
「サッカーは、ガキの頃から充分やった。だからもういい」と、直球で私に伝えました。ちょうどその頃、今のJリーグの前身と位置付けることも多分できない、プロサッカーチームが、立ち上がろうとしていました。三鷹にそれができるらしく、そこに行くかもしれないと、1ヶ月くらい前に言ってました。2月の球技大会のサッカーは、Mくんが、大活躍してくれて優勝したんですが、プロサッカーチームに行くと、球技大会の少し後に、聞かされたと記憶しています。
「心配しなくても、大丈夫だ。手はちゃんと動くし、一生、車椅子生活だけど、普通に生活できる」と、Mくんは、逆に私を勇気づけるかのように、明るく、さわやかに言ってくれました。ある日、突然、下半身が不随になった生徒に勇気づけられて、励まされた担任の心境は、実に複雑でした。
「今、呼吸法をやってる。先生も、座禅をやってた筈だから、詳しいんじゃない。ゆっくり吐いて、すっと短く吸い込んで、またゆっくり吐く。他にすることがないから、ずっとこればかりやってる。意識して、呼吸法をやってるから、随分、元気になったと思う」と、Mくんは、呼吸法で蓄えたエネルギーの一端を垣間見せてくれました。
 He is not what he was. 彼はかつての彼ではない。
このフレーズは、中3の時、独学で、英語を勉強していた時、覚えました。He is not what he was.そんな風に言われたいと、努力した記憶もあります。が、よほどのことがない限り、人間は、変われません。Mくんの高2の2月くらいの彼と、事故後の彼とを比較すると、超ド級のスケールで成長していました。パラダイムシフトと云う言葉を、まあ、割とお手軽に軽々しく、使っていますが、Mくんは、わずか一週間くらいで、完膚なきまでにパラダイムシフトを成し遂げました。これが、17歳の持っているエネルギーとpowerなんだろうと、Mくんの事故を通して、客観的に理解しました。

 Mくんは、高3も私のクラスで、無事、卒業し、公務員になりました。OBになって、一度、サッカーの公式戦を見に来てくれました。その後は、会ってません。が、幸せに暮らしているだろうと想像しています。

 私は、今、走っています。走れるんだから走る、それは当たり前だろうと、Mくんに言われそうです。65歳で、毎日、走っていることを、プチ自慢しすぎたかもって気もします。

 武蔵境の古本屋で、山折哲雄さんの自叙伝のような新書を買って読みました。山折さんは、最近、不整脈から、脳梗塞を起こして倒れ、カテーテルアブレーションの手術を受けて、一命を取りとめ、日常に復帰したそうです。それまでも、十二指腸潰瘍、肝炎、すい臓炎など、消化器系の病気をいろいろ経験して、今回、初めて、循環器系の疾患で倒れたそうです。
「消化器系の病は、鈍痛や疼痛、激痛などさまざまな痛みとの闘いだった。循環器系は、痛みはない。呼吸が次第に薄くなって行くような気分になる。まるで、残り少ないローソクの日のゆらぎが少しずつ細くなって、そのまま消えて行くような感覚がある」と、言った風なことを、お書きになっています。

 私は、子供の頃から、少食だったからかどうかは、解りませんが(アルコールは、一時期、かなり飲んでいました)消化器系の病気になったことは、4、5歳の頃、腎臓炎になったくらいで、その後は、ありません。肺炎は、これまで4回経験しています。熱は出ます。が、慣れてしまえば、熱は別に苦しいわけではありません。呼吸は、間違いなく薄くなります。深呼吸は、まったくできなくなります。ごくごく上っつらの薄い呼吸になってしまうんです。Mくんが事故にあった時、私はまだ、肺炎は経験してませんでした。肺炎で、一度倒れると普通に呼吸できることのありがたみが、解ります。肺炎を経験した人間は「いつ死ぬか分からない」と、まあ口癖のように言いますが、それは、肺炎で倒れて、呼吸がすかすかになると、確実に死に接近していると、感覚的に理解してしまうからです。4回も肺炎で倒れると、生きていること自体の、ありがたさが、身にしみて解るようになります。

 「鬼滅の刃」に、「全集中の呼吸」と云うフレーズがあります。これは、横隔膜が下がる、普通の腹式呼吸のことです。深くゆっくりと呼吸をすると、それだけで、メンタルはかなり安定します。

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