見出し画像

教#023|本物の自然に囲まれる方が芸術性は高まる~かくかくしかじかを読んで⑥~(たかやんnote)

 推薦試験に落ちた後、明子が砂浜のたき火の傍に座って、海を眺めながら、試験の失敗を反省しながら、今後のことを思い悩むsceneがあります。たき火の薪とか枝、砂、添えてある石などは、かなりリアルに描いています。何の変哲もない風景ですが、「花の都大東京」の都会の高校生が、こういう体験をすることは、まず100パーセントあり得ません。そもそも、たき火が禁止されています。目の前に広がる日向灘の海。はるか彼方にまで続く砂浜。そして、流木を燃やすたき火。青い空、白い雲。人口的なものは、明子の着ている服と靴、あと傍に置いてあるリュックだけ。あとは、ことごとく全部、自然です。

 東京23区には、自然は、ほとんどありません。見上げる空は、まあ一応、自然です。川の水も自然かもしれませんが、川の周辺は護岸工事で、作り込まれています。公園の緑も、すべて人間の手によって整えられ、アレンジして、管理されています。純粋な田舎出身の人間には、公園の緑が自然だとは、到底、思えません。

 明子が通っている画塾は、おそらく青島を越えた日南海岸のどこかにあります。遊歩道などは、整備されていますが、そこかしこ自然です。

 セザンヌは、故郷のエクサンプロヴァンスで、サントヴィクトワール山を描きます。ゴッホも南仏のアルルで、絵に没頭します。ゴーギャンは、自然を求めて、世界の果ての果ての南太平洋の小さな島に辿り着きます。

 明子は、故郷を離れて、売れっ子のマンガ家になって。先生との思い出を作品にしようと、取材のために故郷に帰った時、先生と一緒に過ごした自然の偉大さに、ようやく薄々、気がつきます。そこらの道ばたには、スペインのマドリードリアリズムを彷彿させるような石だって転がっています。

 私は、高校生バンドの指導者でした。学生の頃から、多摩地区に住んでいて、多摩地区の高校で、長年、仕事をして来ました。バンドの水準に関して言うと、多摩地区は、23区に勝てません。多摩地区で一番、バンドの水準が高いのは、法政高校ですが、法政高校は、限りなく23区に接近した所に学校があります。つまり、deep Tamaでは、ありません。

 去年の12月、高文連の美術工芸部門の展覧会を見に行きました。美術の先生が、フライアーをくれたんですが、フライアーの表紙に使っている、小平南高校の生徒が画いた「ここにいる」と云う作品のリアリズムに圧倒されました。会場で、directにこれを見たら、間違いなく、鳥肌が立っています(フライアーに掲載されているのは昨年度の作品なので、本物は会場に行っても、もう見れません)。清瀬高校の生徒が描いている道路と木陰を描いた作品も秀逸です。八王子桑志高校の生徒が描いている「自分に迷ったなら。」と云う作品は、リアリズムと云うより、ロマンティシズムな佳作です。日野高校の生徒が描いたトロンボーンを吹いている吹奏楽部の女の子は、ぴかぴかの女子高校生って感じが、良く出ています。フライアーを見る限り、西高東低と云うか、多摩地区の方が、絵のレベルは上でした。

 展覧会(中央展)に実際に足を運んでみました。No1だと感じた作品は、練馬の大泉桜高校の2年生が描いた自画像でしたが、全体としてみると、片倉や八王子桑志、清瀬と云った多摩地区の高校の絵の水準の方が高く、やはり、今年も西高東低でした。バンドは、絶対に23区に勝てないのに、何故、絵では逆転現象が起こるのか、不思議でした。それはつまり、多摩地区の方が、より本物の自然が残っているからではないかと、私なりに結論を出しました。

 明子は、自然に恵まれた宮崎から、まあ、北陸では一番の都会ですが、そうは言っても、所詮、そこは北陸のそこら中、自然だらけの金沢の大学に進学して、自然の中で、切磋琢磨できる仲間達に恵まれて、絵の才能を、開花させることができる筈でした。と云うか、これは、日高先生が考えた、明子の未来予想図でした。

 が、明子はgd(グダ)りました。大学に進学して、一気にチャラくなりました。そのチャラさは、必ずしも悪いことでもなく、「東京タラレバ娘」に、完膚なきまでに開花しています。「海月姫」だって、チャラさ満載です。マンガ家志望の明子は、油絵を本気で描くと云うモチベーションを、そもそも、最初から持ち合わせてなかつたとも考えられます。

 金沢美術工芸大学の進学した明子は、デザイン科のチャラい同級生と、すぐに親しくなります。文芸評論家の斎藤美奈子さんが、書評の中で、チャラさの定義をしています。「見栄っ張りで世渡り上手、話題が豊富なわりに内容は聞きかじり、常に自分中心、頭がよくて危機管理能力が高い反面、責任感はない、そしてあまり働かない」と。あっ、いるいるって感じです。これは、チャラ男の定義で、女子大生のチャラさは、多少、違いますが、上手に、要領よく遊ぶと云う点は、相通じています。が、明子は、ある意味、愚直なので、要領よく遊ぶことができません。本業の油絵は描かないまま、遊びに没頭してしまいます。宿題を出さない小学生と同じです。小学校は、宿題を出さなくても進級できますが、大学は最低限のことをやっておかないと、原級に留め置きになります。夏休みの課題は、80号以上を3枚。これを描かないと留年です。

 年に4回、合評会があり、それに提出する作品は、各自、自宅で制作しなければいけません。油絵科の学生は、広めのアパートを借りて、絵を画くspace、つまりアトリエをこしらえています。明子も、二部屋あるボロアパートを借りて、ひと部屋をアトリエにしています。イーゼルも準備してあり、四六時中、没頭して絵を描ける環境です。が、明子は、自宅に居る時は、もうひとつの部屋で、ダラダラとマンガばかり読んでいます。授業を、普通にサボって、海に行ったり、カラオケで歌ったり、映画を観たり、あと居酒屋で朝まで飲んだり。遊びで仕送りはすぐに使ってしまうので、料亭(つば甚みたいなとこだと思います)でお運びのバイトをしたり、まあどう見ても、最低の大学生活です。

 夏休み明けに合評会に提出する80号の3枚は、結局、帰省して故郷で、描くことにしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?