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自#049|若い人は、もっとキャラ立てて、ヤバくなっても、いいような気はします(自由note)

 前の学校で担任をしていた時、Uさんと云う体育の先生が、同僚でした。Uさんとは、その7、8年前、K高校でも、2年間くらい、一緒に過ごしました。Uさんは、およそ先生らしくない先生でした。ビデオ屋のマスター、フランス料理店のソムリエ、熱帯魚屋のおやじさん、写真館のオーナー、この4つの職業のどれを選んでも、プロフェッショナルになれた方です。教師のプロフェショナルではなかったと思います。私から見て、Uさんは、教師としては、愛すべきアマチュアでした。が、Uさんを見ていて、アマチュアの先生も、学校には必要だと、納得しました。みんながみんな、プロフェッショナルな先生ばかりだと、生徒は息苦しくなります。Uさんは、積極的に何かをしてくれる人ではなかったのかもしれませんが、ただ、そこにいるだけで、みんなが癒やされる方でした。みつをさんの詩を、リアルで体現しているような方でした。

 Uさんは体育の先生でしたが、およそ非指示型のタイプでした。体育の先生なのに、非指示型なんです。生徒は、自分たちがアイデアを出し、自主的に動かざるを得ないんです。自由にやらせて上げた方が、生徒はオリジナルティあふれた動きをする筈です。Uさんの体育の授業があると云うだけで、生徒は、その一日happyに過ごせるんです。

 K高校時代に、体育倉庫にビデオテープ(当時はまだビデオテープでした)を沢山、ストックしていました。ジャンルはいろいろありました。Uさんの名誉のために言っておきますが、エロ系はありません。生徒の成長を、サポートしてくれそうな良質のビデオです。A級の下、B級の上くらいのすぐれたビデオを並べていました。超A級のビデオを置いてない理由は判ります。私だって、授業で超A級のビデオ(ロッセリーニの無防備都市とか、デビットリーンのアラビアのロレンスとか、フェリーニの道とか、キャロルリードの第三の男とか)を、生徒に見せたことはありません。超A級の映画は、自らが発見して、できれば映画館で、見るべきものです。

 K高校にUさんと仲のいい生徒がいました。仮にHくんと言っておきます。私でしたらら腹心の教え子と云う言い方をしますが、UさんとHくんとの関係は、師匠と舎弟と云う雰囲気でした。Hくんは、師匠を尊敬していました。確かに、ある意味、尊敬できる方なんです。Uさんは、舎弟のHくんと一緒に、体育教官室の前に、一種のビオトープ空間を拵えていました。ビニールで水槽を拵えて、そこに魚や亀を泳がせていました。野火止と云う用水があって、舎弟のHくんは、そこに行って、魚や亀などを捕獲して来て、水槽に放っていました。エサは、固めたダンゴのようなものを、放り込んでいました。そのダンゴを、魚たちが少しずつ、つき崩して食べるのだそうです。文化祭の時は、この水槽ビオトープ空間は、大人気で、子供たちは、楽しそうにカメと触れ合ったりしていました。

 前の学校で、Uさんと学年を一緒に組んだ時、スマホ時代が到来しました。まさに、我々の学年の生徒が、スマホ元年でした。Uさんは、コレはコンピューターだと教えてくれました。スマホが出て来てくれたお陰で、救われる生徒が、沢山いるとも言ってました。Uさんが言っている意味は、文化祭の時、理解しました。文化祭の出し物を、クラスで準備するとなると、どうしたって浮いてしまう生徒が出て来ます。授業は、ただ座っていればいいので、辛くないんですが、行事で浮くのは、やはりコミュ障系の生徒にとっては、耐えがたい辛さなんです。で、まあ文化祭の頃になると、休んだりする生徒が、出て来てしまうわけですが、スマホが登場してからは、浮いている生徒も、スマホで時間が潰せるようになりました。スマホと云う高機能の伴侶を手に入れることによって、Uさんが言ったように、救われた生徒が、沢山いると客観的に理解しました。もっとも、高機能すぎて、依存症になってしまうと云う問題はありますが。

 高2の担任だった時、Uさんは、各クラブのややイケ、やや可愛い系の生徒たちを、プールサイドに集めました。このプールサイドで、ややイケ、やや可愛い系の集合写真を撮りました。このUさんの撮った写真を、翌年の学校案内のポスターに使用しました。私が過去35年間で見た、もっともすぐれたポスターでした。超絶の可愛い系とイケメンを外したのは、正解だったと思います。気楽に会いに行ける、学校のフレンドリーな、敷居の低いアイドルたちみたいなノリの写真でした。ポスターの全体から、学校生活の楽しさが、伝わって来ました。この学校に行ったら、何かわくわくできることが、絶対に待っていると思わせてくれるポスターでした。

 同じ学年にYさんと云うヤバい先生がいました。私も、ヤバい教師だったので、ヤバいことが、必ずしも、悪いことだとは思ってません。ただ、学年主任は、結構、ナィーブで、心の優しい方だったので、我々、ヤバい教師が跳梁跋扈してしまうと、精神的には、ちょっとしんどかったのかもしれません。Uさんは、Y先生と仲よしでした。あったかくて、おおらかなUさんがいると、そうそう、跳梁跋扈もできないんです。Uさんは、知らず識らずの内に、実に大きな役割を果たしてくれていたと、後になって、より一層、はっきりと理解しました。

 Yさん、Uさん、私と、まあかなりヤバい個性的な教師でした。あとの5人の方も、個性的でしたが、ヤバくはなかったと思います。担任団は8人。8分の3が、ヤバくて、何とか回ったんだから、取り敢えず、若い人は、もっとキャラ立てて、ヤバくなっても、いいような気はします。

 今日、初めて、1年生の顔を見ました。顔を見ると、だいたい分かります。1年生は、今日が初日です。ひとことで言って、いきってる感がまったくなくて、「えっ、初日なのに、こんなにあっさり、さわやかで、本当にいいの?」と、心配してしまいました。前に勤めていた学校は、初日から、少なくとも、健康診断の日あたりまでは、生徒は、いきりまくっていました。私はバンドの部活の顧問でしたが、(入学そうそう)もう、スタジオに入って、ガンガンやってますみたいなことを、ツィッターにアップしてたりしました。リアルでも、SNSでも、いきってなんぼ、って感じでした。それが、新1年生のデビューだと思っていました。が、そういういきりが、逆にカッコ悪いみたいなトレンドに、なっているのかもしれません。マスクをして来てない生徒が、一人だけいました。これって、もしかしていきり(?)。キッチンペーパーと輪ゴムで、簡易マスクを作ってもらって、会場の体育館に行ってもらいました。正直、輪ゴムが結構、痛いんです。が、まあそれも、多分、後になれば、初日のいい思い出にきっとなります。


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