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教#075|日本の古典を通して、日本の自然を体感する~源氏物語⑤~

 20代の後半、四万十川の河口の土佐中村と云う、小さな町に住んでいました。四万十川と後川と云う二つの川に挟まれた、山紫水明の地で、小京都と呼ばれていました。土佐中村では、日本の小説を読んでいました。林芙美子、石坂洋次郎、獅子文六と云った戦後すぐの人気作家から読み始めて、そこから時代を遡って、川端康成、志賀直哉、谷崎潤一郎、漱石、鴎外など、メジャーな王道の近代文学を読んだあと、日本の古典の読み易そうな本にも手を出しました。竹取物語、伊勢物語、古事記、方丈記、徒然草あたりです。読み易そうではなかったんですが、軽い気持ちで、源氏物語にchallengeしました。第一帖の桐壺は、何とか読み通しましたが、第二帖の帚木で挫折しました。どこで躓いたかと云うと、雨夜の品定めで、男たちが、自分の意見を述べるくだりです。元々、私は、恋愛にはさほど興味がなく、源氏物語を読める学力もなく、ただ、漫然と読んでいただけなので、意味が読み取れず、前に進めなくなりました。須磨返しと云うフレーズがあります。が、このフレーズは、的を得てません。須磨まで行ったら、少なくとも、光源氏が、その後、どんな風に栄達して行くのかは、読みたくなります。それに、須磨まで読み進めれば、源氏物語を読み通すだけの基礎力も、知らず識らずの内に身についています。

 須磨返しではなく、帚木返しの方が、ぴたっとはまります。雨夜の品定めの理屈は難しいので、そこはさっと飛ばして、空蝉とのアバンチュールに入って行った方が、無難です。

 私は、64歳の冬、源氏物語を読み始めました。1回目を読み終え時は、65歳になっていました。年を取ったので、取り敢えず一回読み通す7ヶ月半と云う長丁場が、苦にならなくなったってとこはあります。あと、35年の教職生活を通して、恋愛と云うものも、やはり人生には必要なものだと、生徒の姿を見ていて、自分自身、納得したと云うのも、源氏物語に入って行った、ひとつの要因です。

 もっとも大きな要因は、人工的な大都会の東京には、自然があまりにも少ない(と云うかない)と云うことだと思っています。内裏は人工的に造り上げられた居住空間で、自然があるとは言えませんが、光源氏の実家の二条院も、後から造る六条院も、ゆたかな自然に取り囲まれています。元々あった自然を生かして、居住空間を拵えていますし、二条院や六条院の背後には、広大な本物の自然が広がっています。

 東京で生活しているからこそ、物語の中に、自然が嫌と云うほど組み込まれ、溶け合っている源氏物語が、読み通せたんだと私は、思っています。土佐中村にずっと住んでいて、お茶の先生になっていたとしたら、おそらく、源氏物語のテキストは、読み通せなかったと思います。源氏物語を読まなくても、本物の自然が、土佐中村にはいくらでも溢れています。

 東京は人工的に構築された街で、オンライン化も進行し、ますますバーチャルに磨きがかかって来ました。オンラインで仕事をすることは、今や多くの人が、避けては通れない道です。それだけに、どこかで日本の自然につながっていた方が、精神衛生上のリスクも低いと想像できます。日本の古典を通して、日本の自然を体感することは、世の中がバーチャルになればなるほど、求められるようになると、私は想像しています。

 将来、ボランティアで源氏物語の購読会を実施することになったら、各帖のサビの部分ピックアップして、人事と自然とが一体化した源氏物語の魅力を、多少なりとも何とか伝えたいと思っています。

 桐壺のサビは、汚物(糞・尿)をばら撒かれて、衣装の裾が汚れて大変なことになったみたいなイジメの箇所ではありません。この帖の一番の名場面は、帝が送り出した靫負命婦が、亡き更衣の母君を訪ねるsceneです。靫負命婦(ゆげひのみょうぶ)と云う名前からして絶妙です。帝として、使い勝手がいいのは、帝の後宮の秘書官とも云うべき典侍(ないしのすけ)ですが、靫負命婦の方が、弔問する勅使として、重みがあって、ふさわしい感じがします。訪れたのは「野分きだちて、にはかに肌寒き夕暮のほど」です。野分が、今、吹き荒れているわけではありません。「野分めいた風が吹いて、急に肌寒さを感じる夕暮れのころ」と、現代語訳には書いてあります。曖昧な書き方です。ここは、さして激しくはない野分が吹いた後の静まりかえった夜です。秋思と云う言葉がありますが、もののあはれは、秋こそまされと云うとこは、間違いなくあります。娘に死なれた母親を訪ねるのも、応接する母親も、更衣(娘)の死と云う夢ではない現実が甦って来て、二人とも、辛くてせつないんですが、その辛させつなさを、野分が吹いた後の夜の空気感が巧みに包み込んでいます。人事と自然とが、完全に一体化しています。亡き更衣の実家は、更衣が生きていた頃は「とかくつくろひ立てて、めやすきほどに過ぐしたまへる」状態だったんですが、逝去した後は、草も高くなり、野分で荒れた感じにもなります。が、「月影ばかりぞ、八重葎にもさわらずさし入りたる」なんです。

 月影は変わりません。人の生死を超越しています。桐壺の更衣が死んだのは、現代の我々が考えると、交通事故のような不条理だと言えます。今の東京だと、交通事故の死も、イジメによる自殺も不条理です。が、中古の自然に囲まれた世界ですと、人の死も自然です。不条理は、パリやウィーンやプラハと云った、人工的な大都会で考え出された概念です。不条理は、それを信じている人にとって、不条理です。不条理と云う概念のない世界では、人の死も天変地異も自然です。

 源氏物語には、資本主義も、マルクスレーニン主義も、キリスト教も、ヘレニズムも、イスラム教も、グルーバルも、ICTも、キャリア教育も、GAFAも、ことごとく、一切、存在してません。京都は、一応、都市ですが、今の都市とは、まったく違います。文化はありますが、文明らしきものはないです。文明以前の世界が、努力すれば、高校生にだって、読めます。これは、やっぱり、かなりすごいことです。

 靫負命婦が、更衣の母を訪ねるsceneは、名場面だけに、出題の頻度も高いです。このsceneは、受験対策と云う意味でも、古典の面白さのサワリに触れると云う意味でも、読んで欲しい箇所です。

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