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自#186|Sex and the City ③~強さを身につけた後に、他人に対しての優しさが生まれ~(自由note)

 ニューヨークのモテる遊び人の多くは、おそらく、きちんと筋トレをしています。モテる遊び人でなくても、自己の若々しさを保ち、健康を維持し、自分に自信をつけるためにも、エグゼグティブにとって、筋トレは、必須のカリキュラムです。所得が高いほど、身体のバランスは整っていて、所得が低くなると、肥満傾向になると云うデーターも存在します。肥満=努力できない敗北者と云う烙印は、少なくとも、USAの一流企業社会では、普通に捺されてしまいます。モテだけではなく、出世のためにも、筋トレは必要不可欠です。

 ボルダリングも、どうやら筋トレのバリエーションのようです。ボルダリングは、疑似山登りと言ってもいいと思います。ほんの少しですが、私も岩登り、氷壁登りを若い頃、経験しました。PM10時頃、新宿駅のアルプス広場に集まって北アルプスなり、南アルプスなりを、目指したこともあります。山男と言ってもいいような人たちとの付き合いもありました。20代には、せっせと四国の山に登っていましたし、私も山男の最下層付近の青年だったかもしれません。山男は、最上層も最下層も、「モテ」とは無縁な雰囲気の人が多いんですが、今、冷静に過去を振り返ってみると、本当は「モテ」たいのに、その本心を抑圧し、山登りに没頭していたってとこは、あったのかもしれません。娘心は(歌のフレーズの如く)秋の空のように、不安定でつかみ難いものなので、より安全、安心な、リスクの少ない山登りに専心してたってとこも、きっとあります。

 何故、山に登るのかと問われて、「そこにあるからだ」と、エベレストに初登頂したヒラリーは、答えました。娘は、そこにいるように見えて、娘心は、そこにはないのかもしれません。fantasticで、摩訶不思議なゲームかもと、ある種の諦念のようなものがないと、恋愛と云う登山道には、入って行けないような気もします。もっとも、若い頃、私が「モテ」を抑圧し、山登りをしていたのが事実だとしても、それを検証するつもりはないですし、後悔しているわけでもありません。何かを得れば、何かを失います。恋愛と云う魔道に入って行けば、間違いなく、膨大な量の時間とエネルギー、お金を使ってしまいます。イスラム教は恋愛禁止です。韓国の統一教会だって、「お父さま」が、結婚相手を決めて下さるわけですから、恋愛と云うシステムは存在してません。私の祖父、祖母、伯父、伯母、大伯父、大伯母、等々、私より上の世代は、私の母を除いて、誰一人、恋愛などはしてません。見合いらしい見合いもなくて(そんな余裕もなかったと思います)親が決めて、ある日、突然、夫婦生活が始まるみたいな、simple lifeだったんです。上の世代で、唯一、母は恋愛を経験したわけですが、まあ、子供の私が言うのも何ですが、どう考えても、不幸な恋愛だったと、断言できます。もっとも、母の恋愛が不幸だったからと言って、恋愛そのものが、不幸だと帰納することはできません。

 筋トレをしているモテ男の遊び人たちは、結婚を否定しているわけではありません。基本、エグゼクティブで、賢い人たちですから、結婚を否定してしまったら、自分たちが寄って立つこの社会の基盤が消滅してしまうと言うことを、理論的にも、本能的にも理解しています。モテ男たちは、全員、結婚と恋愛は、まったく別種のものだと、正しく認識しています。制度として有利であれば、結婚と云うスタイルを選びますが、別段、有利な面もなく、同棲でも結婚と同じように権利を保証されるのであれば、敢えて、結婚と云う自己を束縛するスタイルは、選択しないとも考えられます。結婚に関して、不必要な幻想を、少なくとも、ニューヨークのモテ男たちは、持ってないなと、彼等の発言を聞いていて、率直に感じました。

「Sex and the City」には、四人の女性が登場します。主役は、コラムニストのキャリー。彼女の頭の中には、結婚に関する不必要な幻想が渦を巻いています。もっとも、保守的なもしかしたら、「50'sのお堅いお嬢さん?」と思ってしまうのは、アートディーラーのシャーロット。アートディーラーだけに、夢を見るのが、仕事のようなものなのかもしれません。白馬の王子様を永遠に待ち続けているタイプです。で、白馬の王子様がED(Electile Dysfanction 勃起不全)だったりする、これがリアルです。PR会社の重役のサマンサは、性欲の塊のような女性、性の野獣です。本物の肉食女史です。狙った相手は、必ず落とすと云う、根拠のない自信にあふれています。が、そんなサマンサも、ある日、突然、変身するかもしれません。青天の霹靂ってことも、あります。どうなって行くか解らないからこそ、人生はfantasticで、happyだと云う言い方もできそうです。

 もっともホットで、冷めているのは、辣腕弁護士のミランダ。恋愛にもセックスにも積極的。愛のないセックスだって、もちろんできます。が、同時に、男性に対して、恋愛に対して、人生に対しても、斜に構えているとこがあります。賢い人に、ありがちなアンビバレントな二面性って感じもします。ちなみに、私は四人の中では、ミランダが一番、好きです。恋人とかじゃなくても、生涯の友人として、仲良く付き合って行けそうな気がします。自分に絶対の自信を持っているとこにも惹かれます。
「やさしくなりたい」と云う斉藤和義さんの名曲があります。高校生が、この曲をコピーするのを、何度も聞きました。歌のタイトルは「やさしくなりたい」ですが、まずその前提として「強くなりたい」が先に来ます。私が、教え子たちに望むことは、賢く強くなって欲しいと云うことです。賢いはclver & wiseです。強くは、精神的にも、肉体的にも強くなってくれることを願っています。体育系部活と云うのは、まず肉体的に強くなって、同時に、精神的な強さも追求して行くんだろうと想像できます(体育系部活に所属したことも、顧問になったことも一度もないので、想像です。が、間違ってないと思います)。音楽は、生徒を鍛えるための手段ではありません。音楽は、純粋にenjoyすべきものです。が、結果として、音楽を通して、学べるものは沢山あります。強くなることを学ばなければ、間違いなく、どこかで自分が潰されてしまいます。スポーツの世界のように、コーチや組織、システムに守られているってとこは、一切ありません。個々人が、ソロ活動で、自分を守り通す以外に方法はないんです。強さを身につけた後に、他人に対しての優しさが生まれます。心の弱い人が、弱い人に対して優しくなると、ややともすると、共倒れになります。法律学の学問を通して鍛えられ、弁護士の資格と合衆国憲法、州法、さまざまな判例法に守られながらも、人間として(つまりpersonality)強くないと、弁護士の仕事も、女としてのlifeも、乗り切って行けないと、ミランダは自覚しています。

 四人それぞれのpersonalityが違っていて、信頼し合っているからこそ、限りなくperfectな、容易なことでは崩れないチームワークが生まれるんです。私は、シーズン③の途中くらいまでしか見てませんが、このドラマは、friendshipの物語だと思っています。

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