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自#189|Sex and the City⑥~テンポ感~(自由note)

 週刊文春に連載している臨床心理士の東畑開人さんのコラムを読みました。「『忙しい』と云う字は『心を亡くす』と書くんだぞ」と、かつて指導教官に教わったそうです。その先生は、もう本当に忙しそうで、杖をついて、いつも構内をセカセカと走り回っていたそうです。トイレで鉢合わせした時は、光の速さで、用を足しながら、ユングがどうだとか、しゃべり散らかし、挙げ句の果てに杖を忘れて、出て行ってしまわれたとか。東畑さんは、同級生と大笑いし、杖まで亡くすだなんて、心を亡くすにもほどがあると、思ったそうです。

 が、自分自身が、大学が教えるようになると(つまり学生から教師へと立場が逆転すると)杖の代わりにスマホを握り締め、講義から会議へ、また講義へと、セカセカ走り回り、飛び込んで来る用件を、卓球のように打ち返し続け、トイレはもちろん光速で、反射神経だけで生きている気がして来ると、お書きになっています。が、そんな忙しい日々の中、心と再会する瞬間があるそうです。それは、中途半端に目覚めてしまう午前4時。夜でも朝でもない時刻で、もう昨日ではないけど、まだ今日も来てなくて、ナメクジのようにトイレに這って行き、もう一度、眠ろうと布団に戻っても、すぐには眠れず、頭の中で、言葉がぐるぐる巡り始め、普段、考えないようなことが浮かび、しばしとどまるんですが、朝がやって来ると、ほどなく消えてしまい、反射神経の世界が始まると、もう思い出せなくなってしまうのだそうです。

 私も、午前6時に起床だった頃には、ごくたまにこういう現象が起こっていました。昼間の生活は、マッハの速さでした。考えないで、反射神経で、どんどん仕事をこなしていました。若い頃、長田弘さんの「深呼吸の必要」と云う詩集を読んで、人は定期的に立ち止まって、深呼吸をしなければいけないと云うことは、心でも、身体でも判っていたつもりでしたが、教員生活の最後の10年間は、息を止めて、25メートルプールを、一気に泳ぎ切るみたいな生活だったなと、自己分析しています。春と秋は、比較的テンポはゆるやかで、忙しさのピークは、夏休みと1月~3月の冬でした。夏休みのイベントは、40個くらい。1~3月は、50個くらい。午前と午後、イベントを掛け持ち、中抜けで別のイベントに顔を出すと云った、慌ただしい、まさに心を亡くすかの如き、反射神経で過ごしているような毎日でした。後悔は、もちろんしてませんが、アブノーマルな状態だなとは、ずっと思っていました。テンポがあまりにも速く、忙しすぎると、人間の精神のメカニズムには、往々にして、ズレが生じてしまいます。私は、若い頃、山登りや坐禅、読書などを通して、自己のメンタルを鍛えていました。若い頃の貯金で、仕事人生の後半を、乗り切ったなと、自分では思っています。

 テンポが速いと言っても、私が住んでいる所、最後に勤めていた学校は多摩地区です。多摩地区と、23区(特に都心部)とではテンポが違います。年に2回くらい、上野や六本木の新国立美術館で開催されている展覧会に足を運んでいました。コロナ禍の今は、どうなのか判りませんが、ここ20年くらい、ビッグネーム(フェルメールとか雪舟とか)の展覧会は、朝の通勤電車並みの混雑状況でした。混雑しているに、テンポは速いんです。ゆったりとした、おおどかな時間の流れは、少しも感じられませんでした。

 もうかなり前ですが、私の仲のいい教え子の女の子が
「20代後半の彼氏のいないOLは、まず普通にウツになる」と、名言を吐いたことがあります。この場合のOLと云うのは、丸の内や大手町のオフィスに勤めているOLです。立川や八王子にもOLさんはいますが、多摩地区は、当然のように除外されています。

 東京(23区)とニューヨークでしたら、まあやっぱりニョーヨークの方が、ポールオースターの小説に親しんだり、ニールサイモンの戯曲を読んだり、Sex and the Cityのドラマを観る限り、テンポは速そうです。月9のドラマとか、真剣に見たことはありませんが、日本のテレビドラマも、映画も、外国のそれと較べると、テンポはゆったりしています。Sex and the Cityのドラマを見ると、確かに、昨夜の情事のなごりを惜しみ、反芻するような暇も余裕も、全然ないなと思ってしまいます。

 東京のリアルの恋愛は、想像できます。日本の文化、東京の文化を、皮膚感覚で、ある程度、理解しているからです。ニューヨークのそれは、ドラマを繰り返し見ても、しっくり来ません。かっかそうよう(漢字ですと隔靴掻痒と書きます)って感じがします。

 私は、日本人の宗教観を理解しています。いくら無宗教だと称していても、宗教心はあります。それは、特定のチャンネルに合わせた宗教心ではなく、常にザッピングをしているような、気まぐれで移り気な宗教心です。ハロウィン、クリスマス、ヴァレンタインディ、イースター、京都や奈良のお寺への参詣、鶴岡八幡宮の初詣…等々、全部ありの宗教心です。つまり完全な多神教です。完全な多神教と云うのは、ゴリゴリの一神教の人たちから見ると、絶対にあり得ないcrazyな状態なのかもしれません。

 アメリカの最高裁判所は、保守派が6人、リベラルが3人と云う構成になってしまいました。保守派は、オバマケアにはNoですし、人工中絶もNGです。人工中絶がNGだと云うのは、キリスト教的な確固たる宗教心がなければ、決定できないことです。Sex and the Cityを見ていても、彼女たちに確固たる宗教心があるとは感じられません。普通の良識や道徳心は、持ち合わせています。が、宗教心と云うのは、つまり神の存在を信じているか否かと云うことです。これが、本来でしたら、モラルの根源にあるものです。宗教心ではなく、4人のゆるぎない友情がドラマを支えています。女同士の4人の友情がゆるぎないとかって、現実には、そうそうあることではありません。ドラマだからこそ、これは可能です。ですから、ドラマから、現実のニューヨークの恋愛を、帰納することは、アメリカの文化を知らない、日本人には、困難だろうと理解しています。ですから、ダメ元くらいの軽い気持ちで、ノートを書いています。恋愛もノートも、重すぎると、やはり過度に敬遠されてしまいます。

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