教#033|神を信じてなくて、絵が描けるのか~ブルーピリオドを読んで④~(たかやんnote)
美術部の部長の森さんは、天使の絵を描いています。大作です。高校生が何をテーマにして絵を描くのかは、自由です。天使でも、悪魔でも、ゴジラでも、想像力の赴くままに、自由に描く、楽しそうです。森さんの天使は、フラアンジェリコ風です。この系統の絵を究めるとしたら、将来は、イタリアのどこかの工房で、修行をすると云う進路にもしかしたら、なるのかもしれません。
もう20年くらい前の話なんですが、絵画の修復を仕事にしたいと云う生徒がいました。Kさんと云う女の子です。絵画の修復について、教える学校があって、そこに行きたいと言ってました。取り敢えず、彼女が進もうとしている絵画の修復の学校に見学に行きました。専門学校ではありません。無認可の私塾です。小さな学校でしたが、イタリアの工房とパイプがあるらしく
「ウチで、基本の技術を2年間学んでもらって、イタリアに行ってさらに修業を積み、修復のプロを目指すことになります」と、塾の担当者が説明してくれました。
「日本の古美術を修復すると云うカリキュラムはないんですか?」と聞くと
「ウチの学校では、日本の古美術は想定してません」と云う返事が戻って来ました。日本の古美術の修復は、美大の日本画科などを卒業された方が、何らかのツテ、コネで、そういう方面に進むんだろうと推測しました。今でしたら、ネットで検索すれば、日本の美術を修復する工房とかも見つかるのかもしれません。
当時、サッカーの中田選手が、フィレンツェにいました。チーム名は、解りませんが、セリエAのチームです。Kさんは、サッカーも好きだったので、イタリアで修復の仕事をしながら、セリエAのサッカーの観戦もしたいと言ってました。当時、Kさんは高校2年生(進路の相談に来たのは、文化祭明けの9月下旬でした)。高2の2学期から、画塾に通って、取り敢えず、油絵科を目指し、大学でテンペラ画とかフレスコ画の勉強もして、イタリアに赴くのが、王道だろうと思いました。が、Kさんは、経済的にそれは、絶対に無理だと、きっぱり言いました。王道の進路も一応、シュミレーションした上で、2年間の学費だけで通える修復の学校に進学しようとしているんです。
絵画の修復とかを教える、聞いたこともない学校に、生徒を進ませていいのかどうか、それは、結局、自分自身が、学校に出向いて、見学してみないと判断できません。私は、相当数の生徒を、専門学校に送り込みましたが、送り込む前に、まず私自身が見学に行っています。2年間の時間と、お金と、エネルギーを使って、通う価値のある学校なのかどうかは、結局、自分の直観で判断するしかないんです。自分の直観と生徒の直観とが、マッチングすれば、送り込みます。だいたいにおいて、それで失敗したことはないと言えます。
Kさんは、修復の学校に進んで、それなりに有意義な2年間を過ごしました。学校選びに失敗したわけではありません。しいて、失敗と言うのであれば、イタリアで絵画の修復をすると云うテーマの設定が、失敗だったのかもしれません(もっとも、これは私が進路担当として頭の中で、考えているだけのことで、Kさん自身は、失敗だとは思ってない筈です)。Kさんは、イタリアに行きました。フィレンツェです。修復の工房は、フィレンツェが、一番多いんだろうと想像できます。Kさんから手紙が来て
「中田選手が通っているような日本料理の店は、高くて絶対に入れない」と、書いていました。修復の仕事そのものは、別に嫌じゃなかったそうです。ただ、Kさんを取り囲んでいるのは、すべて宗教画です。修復の仕事は、結局、99%、宗教画の修復です。キリスト教と云うものを信じてなくて、宗教画の修復ができるのかと聞かれたら、やっぱり、信じてないとできないんだろうと思います。イタリア人は、たとえクリスマスの時しか(つまり年に1回)ミサに行かないとしても、宗教画の修復の仕事をしていたら、クリスチャンとしての自覚は、自ずと高まります。DNAの中に、キリスト教が組み込まれていると言っても、いいかもしれません。純JapanのKさんには、キリスト教のDNAは組み込まれてません。結局、Kさんは、日本に帰って来ました。
「キリスト教のあの、おどろおどろしい濃さが、どうしてもダメでした」と、言ってました。
クールベは、「オレは、羽の生えた天使など描かない。見たことないから」と、言ってました。だからと言って、クールベがキリスト教を信じてないとは言えません。ピカソも、一枚も宗教画は描いていません。ゲルニカは宗教画だとかと言ってる批評家は、いっぱいいると思いますが、私に言わせると、ゲルニカは宗教画ではありません。前回、書いたように、あれは統一した世界を、断片にして見せた絵です。統一した世界を見せて、人々を安心させる、それが宗教画です。ピカソは、キリスト教を信じています。どこにもそんなことは、書いてないのかもしれませんが、私はピカソは好きなので、直観で解ります。「青の時代」の人々は、二十世紀初頭のパリの場末に住んでいたわけですが、あの人たちが、二千年前にガリラヤに住んでいたと言われても信じられます(二千年前にアイロンとかあったのかと突っ込まれると困りますが)。
ところで、羽の生えた天使を描いている部長の森さんは、この世界を究めるために武蔵美の油絵科に進学するわけですが、キリスト教を信じない限り、天使は描けません。フラアンジェリコは、神を信じていたからこそ、間違いなく実在するであろうと思わせてくれる天使が描けたんです。
絵画の巨匠は、やはりルネサンスの三人です(レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)。バロックの巨匠は、レンブラントとルーベンス。セザンヌも無論、巨匠です。ところで、この巨匠たちは、神を信じています。神を信じてなくて、絵が描けるのか、そういう大問題が、油絵の前には、横たわっています。ここで云う神とは、キリスト教的な一神教の神です。
ところで、日本画を描く場合、日本の神の問題に、ぶち当たるのかと云うと、ぶち当たらないと思います。日本は多神教です。意識してもしなくても、神はそこら中に、沢山います。その中で、日本人は、ごく自然に暮らしています。
八虎は、この後、絵に打ち込んで、最終的には東京芸大の油絵科に、合格するんだろうと思います。が、それは、ほんの入り口です。スタートラインに、ようやく立ったのかもしれない、入り口に過ぎません。
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