自#048|信じていたものが、突然、信じられなくなったら、大きなトラウマをJuvenileたちの心に残す(自由note)

 武蔵境駅北口に、小さな古本屋があって、現在、休業中です。一昨日、店の前を通りかかったら、シャッターの閉まった店の外側の棚に、文庫本、旅行ガイドブック、料理本などが並べてあって、「ご自由にお持ち下さい」と、書いてありました。販売すると、営業になってしまので、無料で持ち帰ってもらって、何とかリサイクルしたいと店主は考えたわけです。旺文社文庫の高橋和巳エッセー集があったので、持ち帰りました。

 旺文社と云う会社は、赤尾の豆単の発売以来、ずっと受験参考書を扱っている出版社なんですが、私が中高校生の頃は、受験生が読むべき教養書を、文庫本にして出版していました。高橋和巳さんも、受験生が読むべき教養書だと、認定されていたわけです。

 私の世代は、高橋和巳さんは読んでません。高橋和巳さん「悲の器」「憂鬱なる党派」「邪宗門」などを読んだのは、私より6、7歳上の団塊の世代です。私は、昭和29年生まれです。昭和20年に太平洋戦争が終わって、何とか最低限のカツカツでしたが、食えるようになって、人々は、男女の契りに熱くなり、一気に出生率が上昇しました。ですから、団塊の世代は、数が多く、この世代に向けてのサプリメント販売が、コロナ禍のnowでも、ヒートアップした商戦を繰り広げているわけです。

 団塊の世代は、大学紛争を起こした、最後の世代です。その煽りを受けて、都立高校でも高校紛争が起こりました。団塊世代は、常に、社会のメインストリートを、闊歩されて来たような方々です。

 団塊が高橋和巳さんを読んだので、我々は読まないと云うことに、多分、なったんだと思います。我々は、新人類ではありません。新人類と言われたのは、もう少し、下の世代です。

 高橋和巳さんの著作を読んだことはなかったんですが、どういう作家なのか、どういう本をお書きになったのかは、知っています。特に調べなくても、団塊が高橋和巳さんを読んでいたので、自ずと耳に入り、ごく自然に知ってしまったと云う感じです。

 高橋和巳さんは、14歳で終戦を迎えています。14歳まで、軍国主義少年だったわけです。私の伯父は、特攻隊に志願しました。お国のために死ぬのは当たり前だと云う常識は、ごく一部の知的エリート階級を除いて、全国民に行き渡っていたんです。今の北朝鮮以上の洗脳レベルだと思います。

 戦争に負けて、GHQが乗り込んで来て、「軍国主義はNG、戦前の教育は、すべて間違っていた」と、価値観は180度、変わりました。大人たちは、ずる賢く立ち回ります。中高校生は、傷つきます。今まで、信じていたものが、突然、信じられなくなった。どうしたって、大きなトラウマをJuvenileたちの心に残してしまいます。

 私の教え子にも、バツイチ、バツニとか、普通にいます。が、子供がいたら、そんなに軽々しく、離婚しちゃいけないんです。子供は、何故、両親が別れるのか、理解できません。今まで信じていた大きな柱が、突然、消え失せてしまいます。教え子に相談されたら(まあ、最近はもうめったに相談もされなくなりましたが)
「子供が、高校を卒業するまでは、仮面夫婦を演じ続けろ」とアドバイスします。子供が大学生になったら、両親の離婚と云う、子供にとっての不条理を、何とか受け入れることができるようになります。

 軍国主義少年で、その後、マルクスレーニン主義青年になってしまった戦中派は、かなりの数いる筈です。宗教に走った人もいます。私が親しくしていた埼玉のプロテスタントのO牧師さんは、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、陸軍大学に進学し、そこで終戦になったそうです。超エリート幹部候補生だから、生き残れたんです。O牧師は、札幌出身です。いわゆる札幌バンドの影響を、幼少期にどこかで受けたんだろうと思います。その後、警察予備隊(今の自衛隊の前身)とかが設立されます。そっちには行く方向もあったんだと思いますが、東京神学校に通って、プロテスタントの牧師さんになりました。
「原罪はお感じになりましたか?」と聞くと
「陸大までの全部の人生が、原罪だった」と、仰っていました。さすがに、これは納得しました。

 私が敬愛していたJ叔父が、大学でアカになって自殺したと子供の頃、聞かされたので、中3、高1の頃、マルクスレーニン主義の入門書のようなものを、せっせと読んでいました。マルクスレーニン主義は、簡単に言ってしまえば、一元論です。古代ギリシアのデモクリトス以来の唯物論です。唯物論には馴染めませんでした。中高時代は、突き詰めることはできませんでしたが、魂と云うものは、あるだろうと漠然と考えていました。つまり二原論です。

 高橋和巳さんは、人生のテーマとして、中国文学を選ぶのか、あるいインド哲学に行くのか、学生時代に迷ったそうです。で、インド哲学の研究室を訪ねます。
「サンスクリット語を学ぼうと考えているんですが」と伝えると、先生に
「サクスクリット語を身につけるのは、金と暇がいる、君にそれはあるのか」と逆に質問されて、
「どちらもないです」と正直に返事をすると
「まあ、諦めた方がいい」と、忠告されます。「それは、人生経験に富む先生の親切で率直な忠告だった」と、高橋和巳さんは書いています。

 35年間の教職生活の中で、一回だけ「ラテン語の勉強をしたいんですが?」と聞かれたことがあります。ニベもなく、即座に「もう、手遅れだ」と反対しました。

 英国やアメリカのエリート階級の子供は、パブリックスクールやプレッピースクールで、ラテン語の基礎を叩き込まれます。英国やアメリカに住んでいて、学費が年間500万円くらいはするパブリックスクールやプレッピースクールに、通うことができるんだったら、ラテン語にchallengeできます。日本に住んでいて、ラテン語がモノになる筈はないです。私は、65年間、生きて来ましたが、ラテン語ができる人にも、古代ギリシア語ができる人にも、一度も会ったことがありません。まず、英語を完璧にして、その後、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語など、あとひとつできるようになれば、語学はそれで充分です。

 どうすれば、文章が書けるようになるのかと聞かれて、それは、実際に書くしかないと、当たり前のことを言っています。私は、定時制高校勤務時代、毎年、5、6人の卒論を見ていました。とにかく、実際に書かせてみます。それに赤を入れて、修正すべき箇所を明らかにして、書き直してもらいます。3回くらい書き直せば、そこそこカッコがつきます。今は、パソコンですから、書き直しは、簡単にできます。

 高橋和巳さんは、39歳で逝去しています。不惑前後の生き方および健康管理は、大事だと思います。そこで無理をすると、寿命を縮めてしまいます。団塊世代が、学園闘争を始めて、その闘争で、当局と学生達との板挟みになって、ストレスを受け、免疫機能を一気に低下させたしまったと、推測しました(多分、間違ってないと思います)。

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