見出し画像

自#009|「おーっ、今日はジョギングしなくてもいいぜぇーっ」と、守りに入ってしまっている心の弱い自分(自由note)

「大林さん、亡くなったんだ」と、夕刊の一面を見ながら言うと
「えっ、素子(もとこ)亡くなったの、マジ?」とリビングに寝っころがっていた長女がリアクションしました。
「いや、大林素子じゃない。大林宣彦監督だ。オマエ、『青春デンデケデケデケ』を知らないのか?」と言うと
「えっ、何それ。意味まったくわかんない」と、クッキーが父親役をやっていて、スマホにしか興味がない娘とのコミュニケーションの糸が、ぷつっと途切れるように、会話が止まってしまいました。まあしかし、BLガチオタクの私の娘が「青春デンデケデケデケ」を知らないのは許せます。が、私が勤めていた前の学校の部活の2、3年生が、「青春デンデケデケデケ」を知らないとしたら、apple、tomato、orangeくらいの英単語を知らないくらいに、ヤバいかなと、無責任かつお気楽な気持ちで、言い放っておきます。クラッシーやスタディサプリを見ても、「青春デンデケデケデケ」には辿り着けません。ネットフリックスor アマゾンプライムに、即、Go!って感じです。

 要するに、今の軽音部業界は、産業革命以後の異常なまでに発達を遂げてしまった、産業社会並みに、大々発展しすぎてしまいました。私が軽音部の顧問になった頃は、3学期のイベントは、卒コンの1個だけでした。バンド数が多ければ、1、2年はスプリングライブ、3年は卒コンと、別々に実施しましたが、それでも2個です。今年は、コロナの影響で、2月下旬以降のイベントは、消滅してしまいましたが、例年ですと、3学期のイベントは、40個くらいはあります。「青春デンデケデケデケ」の時代は3年間のイベントは、3つくらいでした。つまり、1年に1個。レコードだって、高くてめったに買えませんでした(一枚2000円。ラーメンが一杯50円でした)。ライブイベントを実施するとなると、莫大な費用がかかるので、本当に年に1回くらいしか、やれなかったんです。ですが、音楽に対する情熱は、熱くて本気でした。まだ貧しい時代で、モノがなく、情報もなくて、インフラも整備されてなかっただけに、とにかく勢いと気持ちで行くしかないってとこもありました。

 ところで、今日は雨。
「おーっ、今日はジョギングしなくてもいいぜぇーっ」と、守りに入ってしまっている心の弱い自分がいます。走り始めてきっかり3日後に、猛烈な筋肉痛が来ました。年寄りになると、3日後に筋肉痛が襲って来ると云う噂は本当でした。ただ、痛いだけじゃないです。夜中に足がつって、何度も起きてしまいました。下半身は基本、ひょろひょろなのに、膝とか太ももとか、太ももの付け根とかが、めっちゃ痛いんです。私と同年齢のにわかランナーの方は、間違いなく、同じような症状で苦しんでいる筈です。

 私と同年齢と云うのは、つまり高校1年生の1学期、「小さな恋のメロディ」を一体誰と見に行くのかと云うことを、悩みに悩んだあげく、ツテを頼り、人脈を探しまくり、ひいおばあちゃんの友達のおばあちゃんのやしゃごあたりまで手を広げて、相手を見つけることで、右顧左眄、いや周章狼狽、いや虚々実々、いや一騎当千、最後は猪突猛進して、結局、そのやしゃごと見に行ったみたいな方のことです。

 が、まあ筋肉痛で、まんしんそうい(これを読んでいる方、漢字で書いて下さい)ですが、この後、走りに行きます。ちっちゃい頃(小2)、母親にこう言われました。
「タカは、げに、根性ないけんね」。言われたのは、もう60年近く前ですが、鮮明に覚えています。そこらの子供の誰よりも、根性があると自分では確信していましたが、確かに、母親と較べると、根性がないと、認めざるを得ませんでした。母子の人間関係は、まあずっと、ヤバかったんですが、自分より根性のある母親のお陰で、泣きごとを言わない、後ろ向きにならない生き方を、貫くことができたと思っています。

 根性があっても、なくても眠くなります。眠くなったら、外の広場の樹木の陰や東屋(あずまや)で本を読みます。いろいろ、知りました。

 荷物を運んで来るトラックは、頻繁にやって来ます。クロネコ、佐川、赤帽、郵便局の軽四など。どっか一社にまとめれば、一回で運搬できるだろうと思います。が、そうすると、競争原理が働かず、独占禁止法的にもまずいことになるのかもしれません。

 おじいちゃん、おばあちゃんが、子供を遊ばせているsceneも良く見ます。私が子供の頃は、お兄ちゃんやお姉ちゃんが、弟・妹の面倒を見ていました。今は、そもそも一人っ子が多いし、兄弟がいても、上は学習塾や習い事などで、忙しいんだろうと想像できます。キメツがどんなに大ヒットしても、兄と妹とのあの愛のあふれる絆はあり得へん感じです。そもそも、妹が可愛いとかと言っている兄or姉を、見たことがありません。妹が可愛いと云うのは、マンガ・アニメ業界が捏造した巨大なイリュージョンです。

 おばあちゃんが、捨て猫にエサをあげています。本当は、いけないんですが、捨て猫にエサをあげることが、おそらく生きがいでしょうから、やむえません。

 タバコを吸うために、外に出て来る爺さんがいます。自分の部屋で吸っちゃいけないんです。本当は、珈琲や紅茶を飲みながら、吸いたいんだろうと思います。が、まあ奥さんの命令は絶対です。子供たちが広場にいるので、人のいない所に行って、人目をはばかるようにして吸っています。

 時々、保育園の園児たちの集団が広場を横切ります。安全を確保するために密集隊形です。密集してもらわないと管理が大変です。が、誰かがコロナウィルスを持っていたら、間違いなく、保育園でクラスターが起こってしまいます。

 広場の周縁の花壇で花の手入れをしているおばあちゃんがいます。今日は、雨・風ともに激しいんですが、合羽を着て、丁寧に見て回っています。雑草も引きますし、ゴミも拾っています。広場がきれいなのには、あのおばあちゃんのお陰です。

 今、勤めている学校には、音響方面のインフラがまったくありません。総合の授業で映画を見せることにしているので、ハードオフに行って、簡易PAセットとケーブルを買って来ました。この5日間で、買い物に出かけたのは、これ1回だけです。ハードオフには、人がいっぱいいました。時々、防災無線で「非常事態宣言が発令されています。外出は控えて下さい」と、アナウンスしていますが、多摩地区の住民は、たいして聞いちゃいないって感じもします。

 食べ物系の買い占めとかは、私のファミリーは、してません。中央線の駅の傍のOKマートでバイトをしている教え子がいて、小池都知事の週末外出自粛要請が出た後は、一斉に客が押し寄せて来て、四時間くらいずっと、レジ打ちをしていたそうです。途中トイレにも行けないくらい、過酷な仕事量です。

 ブログを書くようになって、そっちで目を使ってしまうので、手紙を手書きにしました。この歳になって、こんな下手な字で、手紙を書くのも、多少は、気恥ずかしい気持ちもしましたが、4、5通書いている内に、慣れました。高校時代に戻ったような気さえします。以前よりも、届く手紙の量が多くなりました。下手な字で、手紙を書いているので、「あっ、こんなんでいいんだ」と、手紙を書く敷居の高さを、下げてあげているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?