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自#050|一所懸命、勉強をするのは、高校時代のまさに今(自由note)

 朝日新聞のフロントランナーのコーナーで、山岳ランナーの望月将悟さんが、インタビューに答えています。望月さんは、42歳。山岳救助隊の副隊長として、南アルプスの遭難者を救助する仕事をされています。隔年で開催される日本一過酷な山岳レース「トランス・ジャパン・アルプス・レース」(TJAR)で4連覇されています。日本海の海辺が起点で、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、太平洋まで、全長415キロの山岳roadを5日間で、完走されるそうです。5日間の睡眠時間の合計は、7~8時間。毎日、2時間くらいしか寝てないんです。足首や体の痛みが、限度を超えて、どうしょうもなく眠くなったら、10分か15分、道ばたに倒れ込んで眠るそうです。つまり、毎日、2時間連続で寝ているわけではなく、10分刻みだと12回、15分刻みだと8回、平均して1日、10回くらい、短時間の仮眠を取って、ひたすら走り続けているんです。とんでもなく危険で、不健康なレースです。この競技が許されていること自体が、不思議な気がします。

 水とか食料は、途中の休憩所で調達できるんですが、プロの登山家(望月さんは仕事をしていますから、プロではなくアマチュアです)に「海外の登山は、荷物を全部かつぐ。登山の原点は、無補給だ」と言われて、食料、水をリュックに詰めて、15キロを超える荷物を背負い、無補給で走ったそうです。あまりにも、負荷をかけすぎて、入賞もできず7位。身体への負荷が、限度を超えていて、いつもでしたら3ヶ月で復調するのに、2年近くたった今でも、本調子には戻ってないそうです。山岳救助隊員だからケガをしてはいけない、無謀な行動は絶対にいけないと、本人は語っていますが、この無補給のchallengeは、もしかしたら、死んでたかもしれない、無謀な挑戦だったと推測できます。

 自己の限界に挑戦する、若い頃には、やはりこういう暴虎馮河的なactivityにchallengeしてみたいと考えるんじゃないかと想像しています。

 私は、若い頃、山に登っていました。土佐中村に住んでいた頃、南宇和の千メートルくらいの山に、しょっちゅう登っていました。これは、まあ降りて来て、早く上手いビールを飲みたいくらいのハイキングのような山登りでした。中央アルプスと南アルプスで、冬山を3回経験しています。最初の2回は、縦走。3回目は、20メートルの氷の壁に登りました。山小屋を利用する登山ではなく、テントを張って幕営しました。山岳チームの登山だったので、私はただついて行っただけです。南アルプスも中央アルプスも冬山ですと、テントの中は、マイナス20度くらいです。マイナス20度になると、足の先が冷たくなって、熟睡できないんです。縦走は、基本、尾根歩きですが、滑落したら死にます。無論、アイゼンはつけていますし、ピッケルも持っています。ピッケルの講習会にも、何回か参加しました。滑り始めたら、全体重をピッケルにかけて、がしっと雪山の斜面にピッケルを打ち込んで、滑落を止める。まあ、1回くらい死にかけないと、このピッケルワークは、身につきません。16、7歳のライダーが、地面に叩きつけられる経験をして、1回、死にかけないと真のライダーになれないのと同じです。冬山は、下山して来た時、無事、下界に戻れたと云う強烈な歓びを感じます。圧倒的な生の充実感だと言えます。

 氷の壁を登る時は、無論、ザイルをつないでいます。前と後ろにベテランのクライマーが、ついてくれました。氷壁を登り切った時の、生の充実感が、もうヤバいんです。生きている歓びを、極限状態で、味わうことができます。

 3回登って、冬山をリタイアしました。ロシアンルーレットの10倍くらいの頻度かもしれませんが、登っている内に、いつか必ず死にます。尾根歩きは、まあそうでもないと思います。氷壁に登る人は、山で死んでも悔いはないと、覚悟を決めている人たちです。

 最初に勤めた足立区のA高校で、私なりに限界に挑戦する無謀な行動をしていました。文化祭やクリスマスライブが近くなると、睡眠時間を少しずつ削って行きました。だいたい、1週間くらい前から、毎日、1時間ずつ減らして、文化祭の前日は、完全徹夜のオールです。生徒も、オールで練習してたりするので、亀有や竹の塚にあったスタジオに顔を出したりしていました。睡眠時間を減らしながら、昼休みにグランドを走って、最後の1周は、猛ダッシュをします。睡眠時間を減らすことによって、highになり、ダッシュすることによってhighになり、この2つのhighがかけ合わさって、超絶なレベルのテンションで、イベントを駈け抜けることができます。ただ、睡眠時間を削ってダッシュするのは、危険だと、充分、認識していました。ですから、イベントの前のみ、せいぜい1年間に、2回か3回しかやってません。

 A高校の次に勤務したのは、北区の定時制高校でした。ここで、私は不惑(40歳)を迎えました。睡眠時間を削ったりと云った無謀なことは、最初の学校でしかやってません。ただ、グランドは走っていました。最後の1周は、やはり全力でダッシュします。最後にダッシュしないと、ランニングの意味がないと思っていました。50キロのベンチプレスを、15回やれる人は、あと2回やって、限界に挑戦しないと筋力はつきません。限度いっぱいのギリギリのとこまで負荷をかける、これは、すべての分野で応用できる基本の定理です。

 40歳のある夜、最後にダッシュしたら、突然、心臓が圧迫されて、その場に倒れ込んでしまいました。心臓が強く圧迫され、呼吸も困難になりました。心筋梗塞か不整脈に近い状態です。動いたら死ぬと直観しました。ゆっくり少しずつ呼吸をする努力をして、1時間くらい、グランドに倒れたままでした。40代になると、一気に体力が低下するんです。それは、先輩たちから、さんざん聞かされていたのに、自分自身が危険な目に遭わないと、学習できません。私は、今、毎日、走っていますが、ダッシュはしてません。40歳で倒れた日から、ダッシュをしたことは、一度もありません。

 望月さんは、40歳で無補給のレースに挑戦しました。もっと早く、30歳くらいで、やっておくべきだったんです。ものごとには、justのタイミングの時期と云うものが、あります。

 これを読んでくれている高校生も少しはいると思います。大人たちは、勉強は、いつでもできる的なことを、普通に言ってるかもしれませんが、嘘です。大人になったら、もうそう簡単には、勉強できません。一所懸命、勉強をするのは、高校時代のまさに今です。


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