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自#132|終戦記念日(自由note)

 私が古本屋で買った講談社の大歳時記は、各季節の暦と行事を見開き2Pの表の中に、表示してくれています。つまり秋の季節ですと、8月7、8日の立秋から、11月6、7日の立冬の前日までが、ひと目で見渡せて把握できます。昨年度(令和元年度)まで、35年間、勤めていた学校の年間行事予定表に、部活のイベントのスケジュールを全部書き込んで、それを50%くらいに縮尺し、手帳の表紙見返しのとこに、貼っていました。つまり、1年間の行事予定が、ひと目で、見渡せる仕組みにしてありました。手帳は、今年も使っていますが、年間行事予定表は、もう貼ってません。今年に関して言えば、コロナの影響で、体育祭、文化祭、修学旅行、競技大会と云った行事がすべて中止になっています。夏休みや冬休みが、短縮されて授業日も変更になっています。つまり、年度当初に配布された年間行事予定表は、もうチャラになっているんです。まあ、ですが、私の場合、コロナ禍とは無関係です。部活の顧問をリタイアしたので、年間行事予定表は不要になってしまったんです。寂しくないと言ったら嘘になりますが、老後は私なりのスタイルで、enjoyできていると自分では思っています。

 6月に修正版が出た学校の年間行事予定表は、社会科準備室の自分の机のとこに貼ってあります。終業式や始業式、土曜授業のある週なのかどうかは、それを見れば解ります。中学生のための学校説明会の前には、保健部の清掃作業もあります。この程度の情報を、inputするためでしたら、月始めに予定表を一瞥すれば、充分です。大歳時記を買ったのも、何かの縁ですし、歳時暦を眺めながら、季節の風物に親しみ、日々の変化を楽しんで行こうと思っています。

 8月7日は、立秋でした。今年は、この立秋の日が、1学期の終業式。三密はNGなので、体育館に全校生徒を集めたりはしません。密になるので、大掃除とかも実施してません。放送での終業式の後、クラスでのHRが終わると、私がいる4階のフロアーの廊下や、アルコーブに設置してあるベンチには、生徒が集まって、即座に密になり、夏休みがstartする解放感で、はじけまくっていました。

 立秋と夏休み突入の組み合わせが、ちぐはぐ過ぎて、私の技量では、とても句は作成できませんが
「今朝の秋女生徒夏の薄化粧」と、無理やり捻り出しました。都立の中堅校ですから化粧もピアスも、ちょっとした染髪も自由です(緑や赤、紫、白などはいません)。終業式が終わって、取り敢えず、池袋とかに繰り出す子は、繰り出すんだろうと想像できます。

 もっとも、今は男子もメイクをする時代です。学校では、メイクをしているDKは見かけませんが、ビジュアル系バンドのメンバーでしたら、高校生でも普通にメイクをしますし、池袋を歩いていれば、ちらほらメイクをした男の子も見かけます。男子がメイクをしちゃいけないと云う法律も校則も存在してません。女の子は、間違いなくメイクによって化けます。男の子が、メイクをして、BTSのようなイケメンに化ける時代は、もうすぐそこまで来てるような気もします。

 8月22、3日あたりが処暑です。1年を12ヶ月に区切り、その1ヶ月をさらに2つに分け、二十四節季と云う区分を拵えています。ちなみに秋の節季は、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降の6つです。各季節に6つずつ節季があって、6×4=24節季なんです。処暑の処は、落ち着くくらいの意味です。つまり暑さもようやく一段落して、落ち着いて来た時期です(ちなみに処女は、家にいて落ち着いている、つまりまだ嫁に行ってないと云う意味です)。歳時記には、立秋~処暑の前日までの間に、イベントや記念日の類いは、沢山、掲載されていますが、私の判断ですと、一番、大きい、big nameの記念日は、終戦記念日です。「終戦記念日ではなく、敗戦記念日だ」と、若い頃、組合系の人たちから、よく聞かされました。ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏しましたから、敗戦記念日でも、別段、構わないと思います。ただ、言葉としてもう、終戦記念日は、定着してしまっています。名称は終戦記念日で、句は敗戦で詠んでも、別段、支障はないような気がします。

 平凡社の歳時記の終戦記念日の箇所には
「昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して、第二次世界大戦は終わった。底知れぬ戦禍から逃れ得た虚脱的な安堵と、暗澹(あんたん)たる前途におののく恐怖との交錯したあの日を、忘れる人はないであろうし、またいつまでも語り継がれて行くことであろう」と解説を書いています。この歳時記が上梓されたのは昭和34年。戦争の爪痕は、まだそこかしこに残っていた時代です。昭和34年ですと、私は5歳。私が住んでいるアパートのすぐ近くには、戦後の焼け跡にできたバラックのスラムはありましたし、街角には傷痍軍人さんたちが、アコーディオンを弾いて、物乞いをしていました。

 終戦のあの日を、85歳以上の方は、間違いなく覚えている筈です。が、語り継がれてはいないと思います。私は、母からも、伯母、伯父、祖父、大伯母の誰からも、終戦のあの日について、聞いた記憶がありません。最近になって、終戦のあの日についての思い出の記事などを、新聞の投書欄で見かけるようになりました。85歳を超えて、死が目の前に迫って来て、ようやく語っておきたいと云う心境になったんだろうと想像しています。
「終戦日格別のことなく過ぎゆけり」
 終戦日に何かをしたと云う記憶はないです。九段に靖国神社があって、戦争で亡くなった兵士の御霊が、そこに集まると云った知識も、中学生くらいまで知らなかったと思います。特攻隊の生き残りの伯父も、戦争については、一切、語りませんでした。戦争は、体験した人にしか解らない大悲劇です。語り継げるものではないと、多分、戦争を経験した人たちの多くは、考えていたんだろうと思います。

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