世#03|ブッダ
「たかやん世界史ノート③」
仏教の開祖のブッダの名前を、世界史の教科書では、ガウタマ=シッダールタと書いてあります。私は、前の学校では、倫理を教えていましたが(本業は世界史です)倫理の教科書には、ゴータマ=シッダッタと表記していました。生徒が混乱するので、どちらかに統一して欲しいって感じです。
私の世代は、案外と、ヘルマンヘッセを読んでいます。私のように、ヘッセからヨーロッパの文学に入った同級生は、結構いました。ブッダの生涯を扱った「シッダールタ」と云う小説をヘッセは書いています。教科書も用語集も表記は、ガウタマ=シッダールタです。こっちで、覚えて下さい。
ゴータマ=シッダッタは、パーリ語で、ゴウタマ=シッダールタは、サンスクリット語です。どちらもアーリアの言葉ですが、バラモンの言葉であったサンスクリット語の方が、圧倒的にメジャーです。ブッダは、バラモン教を否定していましたから、パーリ語を使っていたんですが、大乗仏教が登場してからは、仏教の世界の言葉も、サンスクリット語になってしまいました。スリランカから、ミャンマー、タイに広がった上座部仏教の経典は、パーリ語で書かれています。ですから、東南アジアの仏教を研究するのであれば、パーリ語を学ぶ必要があります。
ブッダと云うのは「真理に目覚めた覚者」を意味する尊称です。シャカ族の聖者と云う意味で、釈迦牟尼(しゃかむに)とも呼ばれています。釈迦如来は、釈迦牟尼の尊称です。 ガウタマが姓で、シッダールタが名前です。シッダールタは、カピラ城と云うお城(城郭都市のことです。日本のお城とは違います)に生まれたprinceでした。
いつ生まれたのかは、割と、定かではありません。BC563頃と、BC463頃の二説があります。実に100年もズレているんです。何故かと云うと、インドの人は、歴史を残さないからです。この世界は、永遠に輪廻転生しているんです。次々に生まれ変わって行き、移り変わって行く世界の記録を残すことは、無意味だと考えたわけです。
インドに最初にできた統一王朝は、マウリヤ朝です。チャンドラグプタが、マガダ国のナンダ朝を倒して、建国しました。アレクサンドロスが、西北インドを征服してしまい、統一国家を建国しないと、自分たちのIdentityを保てなくなると、危機感を持ったわけです。アレクサンドロスは、バビロンに凱旋した後、マラリアで急死します。アレクサンドロスの死後の混乱に乗じて、チャンドラグプタは、パンジャーブ地方から、ギリシア人の勢力を一掃します。そうすると、アレクサンドロスのシリア地区のディアドコイ(後継者)だったセレウコス1世の軍勢が、インダス川を渡って侵攻して来ます。世界史の用語集には、侵入した来たセレウコス朝を破り、アフガニスタンも獲得したと書いてありますが、ちょっと違います。チャンドラグプタは、話し合いで(つまり講和で)象500頭をプレゼントすることによって、インダス川以西、アフガニスタン南半までを手に入れたんです。
セレウコス朝と、同盟関係ができて、メガステネスが、使者として、マウリヤ朝の首都のパータリプトラ(現パトナ)にやって来ます。このメガステネスが「インド誌」と云う見聞記を書いたので、インドの政治、軍事、地理、社会、風俗などが明らかなったんです。法顕や玄奘、義浄なども、インド滞在記を書いてくれています。インドの歴史は、こういう外国の人たちの書物によって、推測されているんです。100年くらいのズレは、やむえないと思います。ヴェーダがいつ頃、成立したのかということも、正確には解りません。 シッダールタの誕生日は、4月8日です。生まれて、すぐに7歩歩き、右手で天を、左手で、大地をさして「天上天下唯我独尊」とshoutしたと伝えられています。お母さんの摩耶さんは、生後7日目に亡くなっています。いわゆる、産後の肥立ちが悪かったってやつです。昔は、子供が生まれる時は、母子ともに死ぬ確率は、非常に高かったんです。シッダールタは、母親の妹の叔母さんに育てられます。
小さな国ですが、王子様です。何不自由ない生活です。ヤショーダラと結婚して、息子も生まれます。シッダールタは、形而上学的(けいじじょうがくてき)な思索を好む青年でした。ある時、居城の門から出てみようと思って、外に出ます。東の門で、老人に会います。南の門に行くと、病人がいました。西の門には、死体。北門には、生きている出家者。老いるこも、病気になることも、死ぬことも、生きることさえも、苦しいことだと悟ります。この4つを四苦と言います。これ以外に、愛する者と別れる苦しみ「愛別離苦」恨み憎む者に出会う苦しみ「怨憎会苦」(おんぞうえく)、求めるものが得られない苦しみ「求不得苦」(ぐふとくく)、心身が活動するだけで生じる苦しみ「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)があると知ります。基本が四苦で、プラスαで四苦。これを四苦八苦と言います。苦しみを逃れ、静寂の境地に至りたいと考えて、妻子を捨てて、出家します。シッダールタは、29歳でした。
修行の基本は、やはり断食です。私の若い頃の禅寺の体験から判断すると、断食とあと不眠です。四当五落なんてレベルじゃないです。12月のいわゆる臘八接心と云う集中鍛錬の間は、8日間、一睡もしないで、ひたすら坐禅に打ち込む必要があります(私は在家ですから毎日、2時間くらいは寝ていました)。
シッダールタは、徹底的に6年間、断食を始めとする修行に勤めます。ジャイナ教の開祖のヴァルダマーナは悟るために12年間、修行をしています。まあ、やっぱり干支一巡の12年くらいはかかりそうな気はします。比叡山延暦寺の天台宗でも、12年間、山から降りて来ない修行がある筈です。まあ、そこは、特別才能のあるシッダールタだったから、半分の6年だったわけです。今の禅寺は、3、4年で、取り敢えず、免許をくれますが、3、4年じゃ、さすがに足りないような気がします。とにかく、シッダールタは、6年間で、百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)のあと一歩と云うとこまで、到達したわけです。ブダガヤに行って、スジャータと云う村の娘に、乳粥をもらって食べ、菩提樹の下で、12月8日に無事、悟りを開きます。ですから、臘八接心の最終日に、何とか、ブッダにように悟りたいと、みんな超絶ヒートアップしてしまうわけです。
悟ったブッダは、サールナートの鹿野園に行って、最初の説法(初転法輪)を行います。鹿野園に鹿がたくさんいたので、奈良公園にもいるんです。
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