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自#160|毒親(自由note)

「毒親連鎖を断つ」と云う記事を読みました。見出しの下に、「誰にも毒親になる要素がある」と、注意書きしています。毒親と云うのは、子供にとって、益になるよりも、圧倒的に毒として、作用する親のことを云うわけでしょうが、「誰にも毒親になる要素がある」とは、決して言えません。毒親になる要素がある人と云うのは、毒親に育てられた方に、ほぼ限定されます。あとまあ、子供の頃に育った環境が、あまりにも劣悪だった場合に、毒親になる可能性があります。普通の親が、普通に育てた場合、子供は普通に、健全に育ちます。普通と云うのは、つまり中庸ですから、やはり偉大な価値なんです。毒親は、eccentric。eccentricには、常にリスクが伴います。

 父親が小さな娘に性的暴行を加えるケースは、間違いなくeccentricな毒親だと言えると思いますが、何故か、毒親と云うのは、娘にとって圧倒的な悪影響を与えた母親に限って使われている言葉のようです。息子にとって、圧倒的な悪影響を与えた母親は、私が知る限り、少なからぬケース、存在します。が、息子が母親を、毒親だったと非難したり、責めたりは、普通しません。それをやると、男としての立場、社会的なポジションなどに多少なりとも、悪影響を与えます。私は、自分の母親に愛されてなかったし、自分も母親を愛してなかったと、はっきり正直に言い続けて来ましたが、これを言うことによって、遠ざけられ、程度の差はあれ、疎外されて来たってとこは、間違いなくあります。そんな暗い過去の経験を、わざわざカミングアウトすることは、どう考えても、自分にとって、不利益なことなんです。が、自分のような立場の息子は、世の中には間違いなくいますし、もし生徒の中に、そういう息子がいたら、多少なりともサポートしてあげられるだろうと思って、本当のことを言い続けて来ました。ところで、本当のことを言うのは、人生において、だいたいの所、得策ではありません。正義感を発揮して、本当のことを言って、行動したりすると、ややともすれば、村八分状態に置かれてしまったりします。まあ、日本って、そういう国です。が、翻訳小説を読んだり、映画を見たりする限り、諸外国も基本は、同じです。

 毒親の母親に育てられた息子は、母親のようにはなりません。それは、やはり性別が違うので、なりたくてもなれないと云うことだと思います。毒親の母親に育てられた娘は、将来、母親のようになる、その可能性は充分にあります。「ヤンキーの子供は、ヤンキーになる」と云うセリフを、定時制に勤めていた頃、よく生徒たちから聞かされました。毒親に育てられた娘にも、多分、同じようなことが言えると思います。ですから、そういう連鎖を、どこかで断ち切って欲しい願って、被害を受けた娘が、自己の不利益を省みず、カミングアウトするようになったんだろうと想像しています。

 私が知る限り、元アナウンサーだった小島慶子さんが、カミングアウトされた最初の方です。小島さんは「母は無邪気で感情表現が下手な人。たとえば、かわいい雀を見つけて、『うわぁ、かわいい』とぎゅっと握り締めて殺してしまうような人」と、仰っています。まさに、eccentricです。

 大人対大人の関係でしたら、eccentricな人と、距離を置くことができます。が、こっちが小さな子供で、相手が母親の場合、その世界から逃れ出ることはできません。逃れると云う発想すら、思い浮かばないと思います。私は、中1の時、母親をボコボコにして、家出しました。小さい頃から、さんざん母親に殴られて来ましたから、正直、そのツケを、ほんの少し払ってもらっただけです。ですが、まあ、親とは中1で、縁が切れました。その後は、基本、離れて暮らしました。小学校時代に毒親から、逃れる方法、手段も、まああるっちゃあります。犯罪を犯せば、施設入りして逃れられます。意識的にはそう思ってなくても、無意識の内に、毒親から逃れようとして、犯罪を犯してしまう子供は、沢山います。子供が犯罪を犯すのは、親に原因がある場合が多いです。児相(児童相談所)が介入して、普通の養護施設に入る場合も、まああり得ます。が、矯正教護院や養護施設で暮らすことと、毒親のもとで暮らすことと、どっちがより環境が悪いかと云うのは、一概には言えない問題です。毒親の元で、中卒くらいまで我慢した方が、betterな場合だってあります。

 子供は、考える力がないので、不幸です。毒親に苦しめられているのに、自分が悪いからこうなるんじゃないかと、自分を責めたりもします。状況が改善されないことが辛くて、改善の方法も解らないし、どうにもできない袋小路にはまり込んだりもします。

 子供にとっての毒親と云う人に、教師になって、結構、出会いました。例外なく、そういう母親は、自分の価値観を子供に押しつけます。自分の考えが絶対なんです。私は、そういう毒親さん(クライアントですから、さんづけします)とは、まあ上手に付き合って来たと、自分では思っています。別段、四六時中、顔をつき合わせているわけでもありません。学期に1回くらい、学校に来てもらって面談し、あとは電話で喋るくらいです。私は、毒親さんの価値観を否定したりはしません。当たりさわりなく、如才なく応接できます。他人ですから、心理的にも、お互いを傷つけないように、きちんと距離を置くことが可能です。毒親さんを、説得したり、改善したりと云ったことは、私の仕事ではありません。そもそも、毒親さんは、絶対に変われません。私の母だって、生涯、表面はともかく、根本のとこは、不変でした。私がすべきことは、生徒が将来、どの時点で、毒親さんとsay-goodbyeできるのか、そのプログラムを示してあげることです。将来のプログラムが描けたら、生徒のモチベーションは高まりますし、頑張れます。高卒で、公務員になって(国税庁が多いです。初年度に、すぐに寮生活できますから)毒親さんと、say-goodbyeしたケースも、それなりにあります。

 毒親とは距離を置く、これ以外に、解決方法はないです。私の母は、86歳で認知症になって、多重人格になりました。その母親と、ほんの少しの間、一緒に暮らしました。母親は、もう私のことを息子だとは認識してません。ですが、私に対する憎しみだけは、強烈に抱き続けているんです。母の介護を、自分がすることは、物理的にも精神的にも不可能だと早々と悟って、病院に入ってもらいました。病院では、絶対に死にたくないと、ずっと言い続けていました。が、まあ、病院で死んでもらいました。これが、私の最後の親不孝でした。

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