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自#061|ほとんどの人が、やり切れてない(自由note)

 雑誌ananが、創刊50周年を迎えました。私が高校1年生の時、創刊されました。フランスのファッション雑誌「エル」の日本版だと云う触れ込みで、パリコレの紹介をしていました。anan以前にあつた雑誌は「装苑」。「装苑」には型紙が、ついていました。布を購入して、その型紙に合わせて布をcutし、家庭の主婦が、自分で洋服を拵えると云ったことを、それまではやっていたんですが、anan創刊以降、洋服は自分で作るものではなく、買うものになりました。大量消費社会が、本格的に始まった年だと云う位置づけもできます。

 コラムは、渋澤龍彦さんや三島由紀夫さんが書いていました。どちらもある意味、背徳的なエートスを漂わせていて、ananは、明らかに新感覚の雑誌でした。
 女性の国内個人旅行を推奨して、萩、津和野、長崎、金沢、倉敷等の小京都とも云える地方都市を積極的に取り上げ、本家の京都ですと、嵯峨野、北山、東山、伏見など、拠点ごとに紹介していました。70年代半ばからニュートラが一世を風靡しましたが、さほど迎合せず、女性一人一人の個性を尊重すると云う紙面作りをしていました。「自分の好きなことを大切にして、人生を切り拓いて行く」と云うコンセプトを、鮮明に表していました。

 バブル崩壊、阪神大震災、サリン事件と云った不穏な出来事を背景にして、スピリチュアルな記事も増えました。

 ミレニアムに入ってからは、脱力系の生き方やスローライフを意識した企画が増えました。今も、この流れの中で、雑誌を拵えています。欲望の沸点が低い時代に、どんな方向に女性が進むべきかを、模索しています。ananは、時代を先取りした雑誌でしたが、今は、リアルタイムの世相を現して、未来を読者とともに手探りで、つかみ取ろうとしています。半世紀間、一貫して女性の生き方に寄り添って来ました。テーマは、次々にchangeさせて来ましたが、大元のとこでは、ブレない雑誌作りをして来たと感じます。ananに匹敵する男性雑誌は、正直、ちょっと思い浮かびません。

 ポストコロナの時代は、もう考えられません。コロナが終わって、また元の木阿弥になりましたと云う状況には、なり得ません。すでに、with コロナの時代に突入したと私は認識しています。

 コロナが蔓延して、多くの人が、病院に行かなくなりました。私は、昔から、原則、病院には行ってません。院内感染のリスクは、無論あります。それと、病院に行くと、病院が病気を見つけてくれて、それを治療してくれます。その病気は、だいたいの所、放置していれば、自己免疫力で、治る病気です。病院の薬によって、自己免疫力を下げて、病院に頼らざるを得ないシステムを医療業界は、構築していると私は、考えています。これは、私の個人的な考えですが、私は自分の考えの正当性を確信しています。

 別に病院に行かなくてもいい人が、コロナ禍のお陰で、行かなくなったわけで、コロナが、健全な本来の姿に引き戻してくれたと云う言い方も、できそうな気もします。これくらいなら受診しなくてもいいと云う感覚を、おそらく多くの人が、つかんだとも想像しています。地域の小さなクリニックとかは、おそらく経営が立ち行かなくなって、淘汰されて行くと推測できます。

 自然淘汰の波は、まず外食チェーン店を襲って来ています。外食チェーン店はかなり数の店舗を、今後、減らして行きます。ジョイフルは、約200店舗ほど閉店し、すかいらーくは、深夜営業を全廃します。今回、ファミレス以上に打撃を受けた居酒屋も、たとえば甘太郎は196店舗を閉店し、ワタミも65店舗閉めます。もともと、持ち帰りの多かったファストフードは、明らかに勝ち組で、ファミレス、居酒屋は負け組です。オンライン飲み会は、大流行しました。パジャマで参加できるし、眠くなったら寝れるし、単価も安く、好きなものを買って、自由に飲食できます。オンラインと云う制約はあったとしても、メリットはいっぱいあります。オンライン飲み会が、文化として定着することは確実です。その分、外で飲む機会は、減少します。

「集まれ動物の森」は、世界中で大ヒットしています。ラスボスが出て来て、それを倒すと云った明確な目的、目標があるわけではありません。どっかの島で、ふわふわしながら過ごす、ただそれだけで、人々のheartをつかんでいるんです。これは、まあアバターを使った、バーチャルのまったり系だと言えます。まったりだって、ヴァーチャルで代替できるんです。戦闘も、speedも、金儲けも、Sexも、ヴァーチャルで代替できる時代です。with コロナとともに、本格的なヴァーチャル時代が始まったと云う気がします。

 阪神タイガースが、甲子園の土入りのキーホルダーを、全国の野球部の高校3年生に贈ると云う記事が出ていました。今回の大会数の102のロゴが入るそうです。高野連がこれをやれば、高野連のカブは、一気に上がったと思いますが、まあ、そういう柔軟な発想は、さすがにしないと思います。費用は、阪神タイガースの監督、コーチ、選手が出し合うそうです。甲子園に出場できそうだった有力校の野球部員たちにとっては、悔しいけど、いい思い出にきっとなります。ところで、甲子園とかは、テレビで見るだけのものだと思っていた、大部分の野球部員たちにとって、高校3年間の野球部の生活って、一体、何だったんだろうと、振り返ることができる、記念のグッズになるんじゃないかと推測しています。甲子園に行くこと自体は、私は、別に、そうすごいことだとも思ってません。努力は無論、必要ですが、努力以外のいろんな部分があります。そのいろんな部分は、まあ、人生の場数を踏むに従って、見えて来てしまいます。結局は、自分自身が納得できるかどうか、やりきれたかどうかと云うことだと思います。ほとんどの人が、やり切れてないと私は、勝手に想像しています。キーホルダーを見て、やり切れなかった高校時代を振り返って、あの時、やり切れなかったから、今度こそは頑張ろうと発奮できれば、単なる思い出のsouvenir以上の威力を発揮します。もし、高校の野球部時代にやり切れていたら(そう多くはいない筈ですが)その人は、キーホルダーが、あってもなくても、やり切れます。キーホルダーは、やはり、やり切れなかった人のために、威力を発揮すると、私は想像しています。 

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