自#196|ファッション(自由note)

 2021年春夏のパリコレクションの各ブランドの代表作品が、一点ずつ先日の新聞の文化欄に掲載されていました。現在、フランスは、コロナ禍の第二波が猛威をふるっています。パレコレには、80ブランドがエントリーしましたが、実際にパリでショーを実施したのは、20ブランドで、他は事前に制作した映像などをオンラインで配信した様子です。リラックスした安らぎを醸し出しながらも、パリコレらしい気品と華やかさを秘めた作品が多いと感じました。
 腕と足には、注目しました。腕は、全員、細くてすらっとしています。趣味で、格闘技をやっていると云うパリコレのモデルさんは、いなさそうです。足を見せている人は、そう多くはないんですが(長いスカートやワンピース、パンツなどがメジャーで、いわゆるミニスカート的な作品は、一点も見当たりません)短いショーツやバーミューダーパンツ、膝丈までのスカートなどで、露出している足を見ると、太ってはいませんが、ガリガリの小枝のような足ってわけでもありません。確か、痩せ過ぎの方は、モデルとして採用しないと云う取り決めが、何年か前から、パリコレには存在している筈です。ですから、痩せ過ぎの方は、一人もいません。健康と安定、逞しさを感じさせる足です。足を見せて、セックスアピールをすると云う概念は、パリコレにはなさそうです。全体の雰囲気が、ユニセックス的で、特別、女の子、女の子らしさを醸し出しているわけではなく、男女どちらも、サイズさえ合えば、自由に着て楽しめると云う風なコンセプトで、作品を仕上げていると思われます。
 色使いは、とても華やかです。私は、毎日(正確には週4日)新宿・池袋を経由して、通勤していますが、パレコレのようなゴージャスで華やかな色彩を、見かけることはありません。新宿、池袋が、ファッション的に、それほどイケてない街だってとこもあるとは思いますが、パレコレの作品は、お金に糸目をつけず、最高級の素材を使って、世界のトップデザイナーたちが、制作しているわけですから、新宿、池袋にいる極東の普通の市民たちには、まったく無縁の高嶺の花なんだろうと想像できます。デザインだって、こんなの博物館にしか見られないだろうと思ってしまう模様もあります。
 クリスチャン・ディオールの作品がそうです。モデルさんは、上に法被(はっぴ)のようなものを纏(まと)って、ベルトを締めているんですが、デザインは、植物を複雑に組み合わせたもので、それを金色っぽい地に載せています。世界史の用語を使うとすれば、アラベスク(アラビア風)に一番、近いと思いますが、地が金色なので、ロシア正教のイコンも彷彿してしまいます。ベルトが長く垂れ下がっているのは、日本の平緒のような印象です。ブロンドの髪も複雑に編んでいて、瞳はblue。「ニューシネマパラダイス」で、映画技師のアルフレッドは、トト少年に、「ブロンドの髪で、blueの瞳の女の子には警戒しろ」と、教訓を垂れます。このモデルさんの瞳もきれいです。こういうblueの瞳に、見つめられてしまうと、男たちは、やっぱりちょっとヤバいことに、なってしまうのかもしれません(このヘンは、フッションと云うよりSex and the City的な考察です)。ボトムは、短いショーツ。セイヤソイヤで、神輿を担ぐ日本のいなせな若い衆と同じで、太股(ふともも)は、完全に見えていますが、1ミリもエロチックではありません。トライアスロンとかにchallengeしそうな、きりっとした引き締まった太股です。足元は、ベンハーのようなサンダル。左足を前に出して、右足の指で床を蹴って歩いていますが、背筋はすーっと伸びて、首から上の頭部も安定していて、きれいな文句のつけようのないwalking 姿です。歩くことだけでも、トップモデルの方は、相当な時間、修練されている筈です。
 ディオールの代表作は、エキゾチックな、如何にもパリコレ的、priceless(値段がつけられないくらい高い)な作品ですが、ルイヴィトンの方は、a little 庶民的で、新宿や池袋では見かけないとしても、原宿や表参道あたりには、もしかしたら、いるかもと親近感を覚えてしまいました。ルイヴィトンなんて、所詮、カバン屋だろうと、ファッションの世界に疎い、極東の庶民は、ステレオタイプな安直なことを考えてしまいますが、ルイヴィトンは、今やあのニューヨークの五番街にあるティファニーをも、買い占めようとしたくらいの(結局、買収はしませんでしたが)フランスを代表する巨大企業です。日本で云うと、トヨタくらいの重みのある会社です。カバン屋は、当然、皮製品を扱うわけですが、皮製品の商品から、次々に大きく広がって行くメカニズムのようなものが、ヨーロッパのファッション界には、存在しているんだろうと想像しています。
 ルイヴィトンは、何人かのモデルさんが、タテ並びで進んで来ている写真を掲載しています。先頭は、サイケデリックな模様のワンピースを着て、いかにもヴィトンっぽい茶色のバッグを右手で抱えています。髪は赤毛でソバージュ。二番目の方は、ボトムは長いパンツ。所々に当て布をコラージュしています。上衣は、金魚のデザインの入ったTシャツ。髪は、ウェーブをかけ右側に流しています。三番目の方も、下は長いパンツ。二番目の方は、ベージュ系でしたが、三番目の方のパンツは黒系です。上衣は、同じ型式のTシャツですが、金魚の模様ではなさそうです。四番目以降の方の服は、もうほとんど見えないんですが、六番目と七番目の方の顔は何となく判ります。この五人の顔を見る限り、全員、ユニセックスだと感じます。一見、男の子のように見えますが、女性が男っぽくしているとも考えられます。ルイヴィトンのコレクションは、男女の概念が消滅してしまっています。洋服ですから、男女どちらが着ても、理論的にはno problemです。ルイヴィトンは、2021年の春夏コレクションで、ユニセックスを、実践して見せてくれたと云うことだと理解しました。
 ケンゾーは、庭園でショーを実施しています。新聞には「養蜂の作業着からヒントを得た作品を披露」とコメントが記されています。ボトムは、バーミューダー丈のパンツで、足元は下駄っぽいサンダルですから、蜂がやって来たら、容赦なく足を攻撃して来ます。養蜂と云うより、日本の中古のむし(からむしのこと。麻みたいなやつです)の垂衣姿って感じがします。市女笠からむしの垂衣を降ろして、太緒の草履を履いて、長谷寺や石山寺に参詣したわけですが、そんな風にことを思わせてくれる作品です。デザインは、ケンゾーお得意のポピーホビーのような柄を、デジタル加工で滲(にじ)んでいるように見せています。これも、和のtasteだと感じます。
 ヨウジヤマモトは、黒の衣装。コロナ禍のこの時代を、色で表すとすれば、やっぱり黒が、ベーシックな色だと思います。時代が表す色を、正直に大胆に誠実にアッピールする、そういう真摯な姿勢が、一流デザイナーにはきっと必要です。
「針金で形作られたスカートが、歩く度にふわりと揺れ、流動的なフォルムは、天女の衣のようだった」と、ライターはコメントしています。天女が黒の羽衣を纏う、まあアートですから、これもありだなと思います。

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