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ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!(41)

 背中からどろりと痛みと共に漏れ出るそれに、白島は呆然とそれを確かめるように手で触れ、眼の前で手を広げた。

 血だ。振り向くと、M9を持って息も絶え絶えな江藤の姿──。


「殺、殺っちゃる……ウチが仇をとっちゃる!」


「無粋ね──人がせっかく友達と話に花咲かせている時に」


 江藤は口からゴボゴボと文字通り血を吐き、バレルは揺れている。立っているだけでも奇跡のような状態だ。そんな中でマズルフラッシュと共に吐き出された銃弾は、もはやその役目を果たすことはできなかった。トリガーが押し込まれる音が、むなしく響く。


「ああっ」


 情けない声を漏らして、江藤はM9を見つめた。その目に、鉄扇が突き刺さる。

 それが最期の一撃となったか、江藤はそのまま頭から後ろへ倒れ、動かなくなった。その場の畳にどろどろと血が広がっていく。死んだのだ。


「リ、リノ──さん!」


 江藤の放った銃弾が二発、白島の腸あたりを抉り、潜り込んでいた。紺色の着物が黒く染まり始め、広がっていく。安奈には帯の取り方すらわからず、彼女を抱き寄せる。


「リノさん! しっかりしてください!」


「とんだヘマを踏んだものね……」


 焦げた臭いが強くなってくる。ヒロシマ城の延焼はもはや止まらない。脱出しなくては、白島はおろか安奈自身の命も危ういだろう。


「安奈さん」


 白島は奥歯を噛んで痛みを堪えながら──言葉を選んでいた。


「もう行って」


「そんな……置いていけるわけないじゃありませんか!」


「なら聞いて。自分の体……だもの。マズいかそうじゃないかくらい分かるわ。いいこと、安奈さん。私は、他人に沢山の犠牲を払わせた。同じくらい払ったとも思う。だから、その犠牲の果てにあなたに託した未来を考えて」


 安奈は構わず彼女を持ち上げ、おぶった。別れなくて済むのなら、それに越したことはない。


「リノさんがいない未来じゃ、意味ないんです!」


「バカね、あなた……」


 炎が、黒い煙が行く手を遮る。安奈は白島をおぶったまま、声をかけながらも必死にヒロシマ城の中を駆け抜けた。



「安奈さん」


「なんですか?」


 とにかく運が良かった。安奈が飛び出した瞬間、ヒロシマ城は炎に包まれ中は崩落し始めたのだ。殺到する消防車やパトカーをこれまた運良くやり過ごした。もう一度やれ、と言われてもとても無理だろう。

 燃え盛るヒロシマ城はすでに遠くなっていく。背中に届く熱が遠くなっていくのを感じながら、白島は安奈に呼びかけた。


「そうやって、あなたは筋を通してね」


「なんですか、急に」


「仁義《ルール》とか、筋とか──口だけになってる子も多いから。……あなただけは、違っていてね」


 安奈はそれを聞いて思わず笑った。なんだか嬉しくて、気恥ずかしくて──こんな時にも関わらず、少しからかってみたくなったのだ。


「じゃ、私も約束」


「なあに?」


「私、友達にご飯奢ってもらうの、夢だったんです。だから、奢ってください!」


「……それは、約束できないわね」


「なんでですか? あっ、病院行ったら、しばらく入院ですもんね。じゃあ、退院したらでいいですよ。わたし、スイーツもいいんですけど、ラーメンとかでも…」


 ヒロシマ城から南側に、救急病院があることを安奈は事前に確認していた。彼女は白島に他愛もない話を──あの日、シフォンケーキを食べながらしたような話をした。

 楽しかった。ワクワクして、明日からのすべてが、道を行き交う車のヘッドライトみたいに、きらきらしているような気さえした。

 夜間病棟のランプが二人を照らし出した時、安奈はホッとして気が抜けたように感じた。終わったのだ。


「リノさん、着きましたよ病院。もう大丈夫ですよ。安心してください」


 自分で殴って傷つけておきながら、馬鹿みたいなセリフだなあと思いながら彼女は振り返った。

 白島は顔を伏せたままだ。


「……リノさん?」


 返事はなかった。

 白島の右手は、地面にだらりと垂れていて、そこから伸びた指から血が滴っていた。

 それは彼女が生きていたことの証であり、その死を唯一の友と認めた女の背で迎えた事実でもあった。

 安奈は震える手で、血塗られた手を握った。無常にもそれは、水に沈めたように冷たかった。



 安奈が連絡がつく中で、呼んでも良さそうな人間は限られていた。白島の死がどのような影響を産むのか、さすがの彼女も察していた。

 メッセを送って一時間もしないうちに、三人のこくどうがヒロシマ救急病院に到着した。長楽寺姉妹と、宇品である。

 よりにもよって案内されたのが霊安室の前だったことに、三人はなにが起こったのかを察してしまった。メッセには、とにかく来てほしい旨しか書かれていなかったからだ。

 その霊安室の前、扉の直ぐ側で蹲っている安奈を見て、宇品はしゃがみこんだ。


「上島の姉妹。どがあになっとる」


 宇品は開口一番言った。


「ま、まさか本当に白島会長を……」


 安奈は力なく頭を振った。納得はできない。肩をつかんで、宇品は思わず彼女の体を揺らしていた。


「ほたら、なんでこがあなことになっとるんじゃ!」


「宇品の姉妹。……こん中じゃとあんたがそれをようわかっとるんじゃなあか?」


 ゆみは冷ややかに言う。


「紙屋連合が──あんたか不動院あたりが鉄砲玉でも送り込んだんじゃろ」


「ち、違うわ! だいたいわしゃ、天神会に戻してもらう約束で──」


「姉様。それに宇品の姉貴。今はそういう揉め方をしよる場合じゃなあです」


 悠は冷静にそう述べると、病院の床にしゃがみこんで俯く安奈に話しかける。


「安奈さん、一体なにがあったんですか。白島会長に筋を通しに行く、と言っとったじゃなあですか」


 その言葉に、ゆみは絶句する。少なくとも安奈は白島の元にたどり着いたということを意味する。であればやはり──。


「道龍会の……人たちが──世羅さんも、リノさん、もっ……」


 涙の間になんとか吐き出された真実に、ようやく宇品は納得することが出来た。

 やはり姉妹は、白島の下に辿り着いたのだ。


「そういうことかいや……」


「宇品の。説明してもらえるか」


「……実は、上島の姉妹から相談を受けとったんじゃ。不動院が鉄砲玉を用意して、自分もカバーするように頼まれた言うての。真意を聞こうにも、日輪会長にゃつなぎが取れん。ほたら、その暗殺を阻止すりゃ無視はできんじゃろうと思うて…」


「ほたら何か? 安奈は暗殺を阻止しようとしたが──」


 できなかった。

 そう結論づけることはできたが、彼女の眼の前で言うのは憚られた。この落ち込みようは、単に阻止できなかったことに対するものではない。もっと深い絶望と悲しみから来るものだ。

 安奈と白島の間に、なにかがあったのだ。


「お前が会長を殺したわけと違うんじゃの?」


 安奈はその言葉に、顔を上げることはできなかったが、何度も、何度も首を振った。


「……わかった。安奈。ワシャお前を信じる。お前が嘘をつくようなこくどうじゃとは思わん」


「姉様が仰らずとも、私も同じです」


 長楽寺姉妹はそう頷く。


「ワシもじゃ、上島の姉妹。ワシらは信じるけえ安心せえや。白島会長は道龍会の襲撃で亡くなられた──ほいでも、これじゃあ紙屋連合の一人勝ちになるのう」


 ゆみは頷く。紆余曲折を経たとはいえ、天神会はトップである白島を失った。同じくヒロシマ城に行っていた世羅も運命を共にしたのだろう。序列でいえば跡目は小網ということになる。


「……のう、長楽寺の。あんた、小網の姉貴の話、掴んどるか?」


 宇品は突然、おずおずと聞いた。


「小網の姉妹? 何の話じゃ」


「そのう……道龍会を引き込んだんは、姉貴なんじゃ」


「ハァ!? わりゃ何を言いよんなら!」


 ゆみより早く宇品の胸ぐらを掴み上げたのは、悠であった。無表情に宇品を見下ろし、冷ややかな視線を浴びせ掛ける。


「姉様と小網の叔母貴の仲をご存知なのでしょうね?」


 どんどん首が絞まり、宇品の体が少し浮き始める。


「く、くるし……」


「やめえ、悠! 病院じゃここは!」


 ぱっと手を離すと、宇品の体が床へと転がる。思わず苦しげに咳き込みながら、涙を拭った。とはいえ、とても無視できない発言だ。敵味方に分かれてしまったのは事実だが、仮にも元姉貴分のことを悪く言われれば、追求をせねばならない。


「宇品の。ワレ性根入れて話さんかいや。さすがに姉貴分のことをそがあな言われ方したら──」


「ほ、ほいじゃがワシャ聞いたんじゃ! 小網の姉貴に呼び出された時に、保険になるようなもんを探そう思うて──ほしたら、せらふじ会の盗聴器があったんじゃ!」


 宇品は誰よりも保身に敏感だ。それが彼女をまたも救った。

 彼女は小網に呼び出され、不動院の始末を引き換えに天神会への復帰を約束された。しかし日輪達による陰謀に巻き込まれ、親殺しまでさせられた彼女は小網の口約束など全く信用できなかった。また流されるように利用されるのはゴメンだと、いかにも従ったふりをして、生徒会室を漁ったのである。生徒会室には、せらふじ会の仕掛けた盗聴器がそのままになっており、そこからマイクロSDを無我夢中で抜いた。

 大抵は特に重要でもなんでもない、幹部同士のやりとりでしかなかったが、その中にそれは紛れていた。


「小網の姉貴と若頭のやり取りじゃ。せらふじ会は生徒会室まで盗聴器を仕掛けよるちゅうて噂されとったが、まさかほんまじゃったとは思わんかったで」


 スマホを置いて、音声を再生する。すると、世羅の声が流れ始めた。


『……それじゃ、君が道龍会の手引をしたということで間違いないわけだね』


『さあ? わしらは警察じゃなあでしょうが。怪しい思うんなら、拷問でもなんでもやったらええが』


 小網は否定しなかった。十分過ぎる証拠だった。こくどうの世界において、灰色は黒である。天神会の大幹部である小網が、それをわからないはずがない。世羅に対し、事実を認めたのだ。


「……まさかこがあなデータがあるとは……宇品の、これがほんまなら、小網の姉妹は組織を売って会長に座ろうっちゅうたことになる。跡目を阻止せにゃ笑いもんじゃ」


「しかし姉様。叔母貴を排除しても、紙屋連合に利するばかりですで。戦争が続いてしまいます」


 きな臭い空気が漂ってくる。死と戦争、血と涙の臭い。安奈の脳裏に戦いそのものが──リノの冷たい手が流し込まれる。


「もう、やめてください!」


 安奈は信じられないくらい大きな声が出てしまったことに、自分でも驚きながら──啜り上げるようにもう一度繰り返す。


「もう、やめてください……やめましょうよ、こんなの」


 また失った。大切な人を。友達を。そして今また、誰かを失おうとしている。自分のせいで。

 ゆみはその言葉を汲み取り、彼女の悲しみの源泉が、彼女自身が自ら引き寄せた別れであることをなんとなく察した。かつて自分が、悠を切り捨てて前に進んだように、安奈は割り切れるだろうか。

 無理だろう。彼女は限界を超えてしまったし、ほんの数ヶ月前までは単なるカタギだったのだ。


「安奈。カタギになれとは言わん。ほいじゃがもうこの件から降りろ。あとはワシらがなんとかするけん」


「ほうじゃ、上島の姉妹。あんたはようやった。これ以上苦しむこたあなあで」


「いえ、そういうわけには行きません」


 突如、悠が言葉を挟んだ。


「安奈さんにはまだ役目があります」


 彼女はそう言うと、SNSサンメンの画面を見せた。トレンドになっているのはもちろん、ヒロシマ城襲撃のトピックだ。

 『伝説の終わり』『天神会終了』などいう無責任な言葉が画面に踊る。

 その中でちらほら見えているのは『スカジャンはどこに?』というワードだ。天神会の伝統──事始めにおける会長衣装のお披露目と、受け継がれたスカジャン、そして新デザインの背中の刺繍は、こくどう界でもかなり新鮮な話題だ。

 今の天神会の勢いならば、まさにこのスカジャンを背負う者がヒロシマを統べる者と言い換えても良い。ヒロシマ城と焼失していなければ。


「安奈さん。それを持つ者は、ヒロシマを統べる者──つまりてっぺんに立つべき人間です。あなたはその資格を持っている」


 安奈はスカジャンを握りしめたまま体育座りで蹲り、顔を上げようともしない。


「そのスカジャンには、それだけの力があるんです。人を神に等しいカリスマに押し上げる力が」


「それはいくらなんでも酷じゃ……上島の姉妹、そがあなもん、もうせんでええ。姉妹のことは紙屋会で身柄受ガラウケするけん。長楽寺の、ワシらはもう、降りる。あとは連合と天神会でええがにやってくれや」


 宇品はそういうと、安奈の手を取り引っ張った。そこからジャケットが溢れ、床に広がる。雷雲を掻き分けて昇る龍の見事な刺繍が、地面に目を落とす安奈の前に現れる。

 てっぺんに立つ人間は、乙女の未来を託せる人間でなくてはならない。日輪高子がそうでなければ、あなたが──。


「私に、そんなの……」


「ほれ、行こうで姉妹」


 安奈はその刺繍から目が離せない。どうしても。リノの言葉が、諭すようによぎる。

 てっぺんに立つ人間は、伝説になる。それはこれまでの歴史と戦いを背負うということ。人の命と死を背負うということ。


『あなたに託す』


 安奈は思わず後ろを──白島が眠る霊安室の扉を振り返る。もちろん、彼女はもういない。

 床には、ジャケットとその刺繍が広がっている。彼女が託したモノが。ゆみはそれを見て、口を開いた。


「安奈。そのジャケットがどうなろうが──日輪はヒロシマのてっぺんに立つで。あんなあはたしかにええこくどうじゃ。ほいじゃが、ええんか。お前がそれを持っとるちゅうことは、白島会長はお前に渡したっちゅうことじゃないんか。てっぺんに立てる人間じゃいうて、認めたんと違うんか」


 白島は実力の見極めについてはシビアだった。少なくとも無能をそのままにはしなかったし、幹部連中の引き上げについても実績と実力をおおむね正しく評価できていたはずだ。

 ヒロシマのてっぺんに立つ証であるこのジャケットを、その資格がない者に託すとは到底考えられなかった。安奈にはおそらくその資格がある──彼女が受けた傷がその資格を得るまでに白島から与えられたものであろうことは、容易に想像がついた。


「そのジャケットを拾う資格が、お前にはある。ほいじゃが、同時に拾えばてっぺんの行く末を『見届けにゃならん』ちゅう義務も拾うことになる。迷いがあるなら、辞めとけ」


 安奈は白島と同じく右目だけになった視界の先で、これまでの数ヶ月が走馬灯のように巡るのを見ていた。出会いと別れ。生と死。本音と建前。道理と不条理。すべてが渦巻くこくどうの世界の中で安奈が得たのは、強くなければ奪われ、様々な別れを押し付けられるこの世の真実だった。

 私は所詮、別れを産むことも押し付けられることも覚悟できない半端者だ。

 でも、こんな私に、リノさんはこくどうの──乙女の未来を託したのだ。その未来を自分で守るか、信じた者に託し直すかさえ、私の判断に任すと言ってくれた。


「私は──」


 安奈はジャケットに手を伸ばす。掴んだジャケットに、体温があるような気がして、安奈の右目に涙が滲んだ。でももう涙は溢せない。私はこれの行く末を見定めなければならない。託された未来のために。


「皆さん──お願いです。日輪の姉妹と会う方法を教えてください。私は、てっぺんが誰になるのかを見届けなきゃいけないんです」


 安奈はジャケットを抱いて、三人に頭を下げた。対等に力を貸してもらうために。


「だからっ……その。私に、力を貸してもらえませんか」


 その場の誰もが、それに逆らうことはできなかった。彼女はことここにおいて白島の遺志を継ぐものになった。こくどうならば、それに応えねばならない。伝説に立ち会うことになったのだから。

 ここに、組織の垣根を超えた奇妙な連帯が生まれ、ヒロシマの──こくどうの未来を決める最後の戦いが始まろうとしていた。


続く

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