第1回 noteやらかし王選手権
これは企画ですか?
いいえ企画ではありません。
これは本ですか?それともペンですか?
いいえ、これはバナナです。
って質問したやつあほやないか。
昨日の記事を書いた俺はどこへやらって感じですが、またやらかしますよ。やらかしてしまいますよ。
真面目に一生懸命記事を書けばいいのに、ついふざけてしまうこの性格。
そして何が怖いかって、ふざけていないのにやらかしてしまうという恐ろしさ。これはもう天然じゃないのかと思うよね。
俺は天然キャラの研究を長年続けてきたわけですけど、
その「自称天然キャラ研究家」の俺自身が一番天然キャラだったという、壮大なサスペンス映画のオチ、みたいな話を想像して怖くなるよね。
何言ってるかうまく伝わってるかなこれ。
とにかくnoteに来てからも、俺は色々とやらかしましたよ。
たとえば反響の無い企画をすぐ立ち上げようとするし。
なぜ自分に影響力があると思ったのか。雑魚なのに。
小説の企画とかどうなったんやあれ。
せっかくフォロワーさんが小説の設定の提案をしてくれたのに、いまだまったく思いつかない。
やる気はあるけど今は全然思いつかない。
本当に申し訳ない。3年ほど待って頂きたい。
他にもコメントに気付かずスルーしてしまったり、コメントの内容をはき違えて、まったく意味不明な返信したりとか。
さらには、ある記事にコメントをしたけど、そのコメントを間違えて消してしまったり。
その結果、記事を書いたクリエイターさんが、存在してない俺のコメントに対してコメントをするという謎の現象が起きてしまったからね。
あれは本当に申し訳ないことをした。
それから、まったく絡むことが無いフォロワーさんのフォローを外したら、外した途端にスキをめっちゃくれるから、あせってもう一回フォローするとか、むしろ外されるとか、こんなこともよくあったよね。
思えば俺って子供の頃からやらかすタイプで、失敗したり誤解されたり、エピソードが多すぎて自分がかわいそうになってきた。何かの呪いに違いない。
先日のクリスマスのキティちゃん事件だって、絶対やらかし王やろあれ。なぜあんなことになるのか。100%実話ってところが怖い。
やらかし王ってのは絶対やらかしますからね。
皆の期待を裏切らない。必ずやらかす。やらかさずにはいられない。だからキングなのだ!って何を力説してるんやろうか。
ただ、笑えるレベルならいいけど、仕事でやらかすと笑えんよね。
そして人間関係が最悪になった場合、もうどうしようもない。
自分は何も悪いことをしていないのに、そんなつもりも無いのに、一方的に嫌われるとか、めちゃくちゃ怒ってるとか、きっと自分は何かやらかしているんやけど、でも自分に心当たりが無い場合はどうしようもないよね。
初めて絡んだはずなのに、すでに相手が怒っているって何のことやねん。
俺が何をしたっていうんや。
って考えることが何度もあったけど、たぶん態度が悪く見えるんかな。
昔、バイトの面接で言われたことを思いだしたよ。
俺が面接に行くと、先に誰かが面接してたから、後ろの椅子に座って待ってたら、おばちゃん社員が面接時に言ったね。
「あなた、喋ったらすごく良い子だけど、黙ってたら、すごく感じ悪いわね」
いや、ボロカスですやんそれ。ひどいですやん。
でも実際そうなのです。
自分ではまったく普通にしてるつもりでも、どうも俺は格好つけたり、調子に乗っているように見えるのです。悲しい。
きっとヤンキー諸君に絡まれるのも、俺の目つきが悪いからなのでしょう。
だから大人になった今では反省して、常にミッキーマウスをイメージして目を大きく見開いていますよ。
少し前の話ですけど、当時付き合っていた彼女と食事をした後、レジで会計をしてたんです。
俺は何も考えず、ただレジの前でお釣りを待っていただけ。
でもそれを見ていた彼女は、お店の入り口を出た瞬間、俺に強い口調で言いました。
「ねぇ、なんで気取ってるの?」
えーーっ、気取ってるって何!?
俺は立っていただけ。お釣りを待っていただけですやん。
むしろ気取るチャンスってあります?チャンスって何や。
しかも店員さんの前でデカイ声で言うなよ。めっちゃ恥ずかしいやん。
俺はあせって否定しようとしたら、自動ドアが閉まって俺の言い訳は店員さんには届かず。振り向いたら店員さんは無表情でこっちを見ておりました。
ちょっとちょっと、絶対これ、後で店員同士でしゃべるやつやん。
「さっきの客、彼女に気取ってるって注意されてたで。あの彼氏、感じ悪かったもんな」って笑われてるやん!ブログに書かれたらどうすんねん!
ひどい。俺はこんなに優しい変人なのに。
さらに高校の時まで遡りますけど、すっごい仲の良かった友人がいて、毎日のように遊んでたんですけど、卒業してから俺のちょっとした一言が誤解を生んで嫌われてしまったのです。
さらに誤解が誤解を生み、友人は俺の過去の発言、行動を勝手に結びつけて誤解している。
友人は俺の知らないところでどんどん怒りを増幅している。
これは怖い。辻褄が合っているところがまた怖い。都市伝説かよ。
誤解されすぎて笑ってしまうレベル。
やつは洗脳されてしまったのかと疑ったね。
しかし、ここまで来ると弁解するチャンスももらえない。話も聞いてくれない。
あせった俺は、手書きで手紙を書きましたよ。
メールなんてもんじゃ気持ちがこもってないですからね。
その手紙を送った後、友人は何か思うことがあったみたいで、さらに別の友人Aに、俺が今どんな感じか聞いたらしいのです。
すると何の事情も知らない友人Aは言いました。
「あいつは今、めっちゃ調子に乗ってるで」
友人Aは「たかやんは最近、毎日充実しているらしい。楽しくやっているみたいだよ」
という意味で言ったらしいのですが、その一言で友人はまたまた誤解してしまいました。
「やっぱりあいつはそういう男や。手紙なんかで誤魔化しやがって」
とさらに嫌われてしまったのです。なんじゃそら。
その後、友人は俺を誤解したまま、遠くへ引っ越してしまいました。
しかし数年後、奇跡が起きます。
一時期、俺はフェイスブックをやっていました。
しかし、ハムスターしか友達がいない引きこもりの俺にとって、フェイスブックはやる意味がない。
周りの連中の
「こんなに充実した毎日を過ごしています」
このアピールがすごく嫌で、まったく何もしていなかったのですが、ただ、もしかしたらフェイスブックに登録しておけば縁が切れた友人、知人から連絡が来るかもしれない。
と思っていたら、本当に来ました。
そう、あの怒り狂っていた友人です。
俺を誤解しまくっていた友人が、自らフェイスブックで連絡してきたのです。
かなり時間が経っていたので、友人も大人になっていたのでしょう。
数年前の誤解した部分には触れず、久しぶりに懐かしい会話のやり取りをしていました。
ですがその時俺は、非常に寝不足で眠かった。しかも時間は深夜二時。
俺は返信の途中で寝てしまい、そして翌日もすごく忙しかったので、夜になってから謝ろうと思ってフェイスブックにログインしたら・・・
すでに友人は友達登録を解除していました。
えーっ、判定早くない?そんなにすぐ怒る?
って考えたけど「やはりこいつは何年経っても変わっていない」と判断されたのでしょう。
誤解されたまま時が過ぎ、また誤解されて終わるという悲しい結末。こういう悲劇が俺にはよく起こるんです。
俺もそこまでくるともう弁解はしません。
なぜなら人の話をまったく聞かないタイプの人に弁解しても、時間の無駄だからです。
俺ならいくらでも話聞くのに。
怪しい勧誘、セールスの話でもしっかり聞いてあげるのに。
聞きすぎて謎の宗教団体と戦って勝利した話しましょうか?いやまた今度にしよ。
突然ですが、俺は人に期待をしていません。まったく人に期待などしない。
って言うと、また誤解されて「なんて悲しいことを言うの」って泣かれたことあるんですけど、なんでみんなそんなに判定早いんや。最後まで話を聞いて頂きたい。
俺が期待していないっていうのは、過剰に期待していないって意味で、そもそも人に大きな期待をするから「裏切られた」とか思って傷つくわけで、それは勝手にその人が相手に期待をしていたわけです。
でも、人間なんて完璧な人はいないので、どんな立派な人でも、尊敬できる人でも、失敗すること、判断ミスすること、魔が差すことはあるわけで、やらかすことだってあるのです。
でもそれを猛烈に「許せない」「信じてたのに」って怒ったり傷つくのは、相手のことをまるで「聖人君子」かのように期待してるっていうか、勝手にそうであって欲しいと望んでいるから起きる現象だと思うのです。
もちろん俺だって裏切られたら傷つくし、腹も立つけど、過剰に期待なんてしていないので、心のどこかで「人間だから仕方ないよね。そういう時もあるよ」って思える部分があります。
人を許せる余裕が少しだけ、ほんの少しだけあります。
最近のテレビを観ていたら、ってよく考えたらテレビ持ってなかったですけど、有名人がやらかして叩かれてるけど、そこまで叩く必要あるかな?と思うのです。
しかも犯罪じゃない場合、失言や失態によるただの炎上だった場合、自分にまったく関係の無い人をそこまで攻撃する意味はあるのか?そこまで自分と無関係な人に興味って持てるものなのか?と思います。
その叩いている人だって、実際はきっと色々やらかしてるでしょ。
人のことばっかり叩いているけど、自分はどうなのよ?毎日清く正しく生きてるって言える?ってなるじゃないですか。
だから俺は人を攻撃しません。なぜなら自分がやらかし王だからです。
人間だものですよ。人間だもの。
人間はやらかすんだから「できればもうちょっとだけ大きな心で見守って欲しい」とやらかし王の俺は思っています。
ちなみに俺は人に期待をしていない代わりに、人を信じています。
うまく書けませんが、何か人間関係でトラブルが起こった時とか、大切な人が間違いを起こした時、さっきみたいに誤解された時、そんな時、俺はその人を信じます。最後まで信じます。
理由は何もなく、ただ信じ抜きます。
だからどうってわけではないけど、相手を信じると迷いが無くなって、なぜか楽になります。これこそ勝手に信じているだけですけど。
でも俺の知ってるあいつは絶対そんなことしない、そんなこと言わない、って思うと楽になるんです。
そして相手を信じている自分を強く信じると楽になる。
でもこう書くと「めっちゃ人に期待してるやん」ってつっこまれそうですけど、期待してるのと信じるのとではちょっと違うんですよね。
期待するのは相手任せって感じで、信じるのは自分自身の気持ちの問題って感じがするんです。
ここまで書いてきて思いました。
俺は一体何を書いているのだろう。
なんで今日はこんなこと書いたんだろう。読み直したら、ちょっとわけがわからない。
これ、間違ったこと書いてるかも。また誤解されるかもしれない。
もしかして、またやらかした?
やらかしてる?そして面白くない?
こういう時はあなたを信じています。
こんな内容の記事でもスキを押してくれるって信じています。楽しいコメントをくれるって信じています。
だからあなたも俺を信じて欲しい。
やらかし王ですが、変人ですが、何か知らんが大丈夫だと信じて欲しい。
明日はきっと面白い記事を書くと信じて欲しい。
たぶんやらかしますけどね。