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早朝に飛び起きて、noteでエッセイを書く。
朝起きて、いきなり記事を書く。
頭は回っていないのに、記事を書く。
そんなことが、たまにある。
なぜ俺はこんなに朝早く起きて、いきなり記事を書いているのだろう?
自分でもよくわからない。
それほどnoteが好きなのだろうか?
noteは好きというよりも、noteはずっとやめられない趣味だ。
趣味だから、いくら書いても飽きることはない。
心が疲れることは無い。
疲れる時は、きっと周りの反応を期待しているからだ。
評価されたいと思っているからだ。
でも趣味というものは、本来誰からの評価もいらない。
俺は純粋に書くことが好きだから、自分のために書いている。
好きだから自由に何でも書ける。
孤独でも構わない。
むしろ孤独であればあるほど、自由に書ける。
知り合いが「SNSに疲れた」という話をしていた。
いいねの数を気にしてしまう。
お返しをしないと悪い気がする。
コメントに気を使ってしまう。
確かに人に気を使って記事を書いていたら、疲れるだろう。
周りの反応を気にしていたら、評価されないと寂しいだろう。
今の俺はどうだろうか。
寂しさやむなしさは感じない。
いつの頃からか、評価されなくても気にならなくなった。
書くことだけに集中したら、気持ちが楽になった。
俺はただ何かを書くことができれば、それでいいと思っている。
書くことができるということは、自分自身で何かを考えているということだ。
俺はまだしっかりと何かを思い、考えている。
悩みすぎておかしくなったんじゃないか、気が変になったんじゃないか、そんな風に思った時でも、まだ文章を書くことができている。
他の人には伝わらないかもしれないけど、変だと思われるかもしれないけど、俺はいつも何かを考え文章にしている。
いつか、人の心を救えるような文章を書きたい。
もっと笑ってもらえる記事を書けるようになりたい。
そう思いながら、俺は自分のために記事を書いている。
人の心を救うだなんて偉そうなことを書いているが、本当は自分自身が救われている。
書くことで自分が変わり、自分が救われている。
他の人の心のこもったエッセイを読むことで、たくさんの気づきを与えてもらっている。
noteで文章を書き、noteで知らない人の知らない世界を知る。
とても良い趣味を持てたと思っている。
ここだけの話ですが、現在タイムマシンを作っているので、その資金に使わせて頂きますね。サポートして頂けたら過去のあなたに大事な何かをお伝えしてくることをお約束します。私はとりあえず私が14歳の時の「ママチャリで崖から田んぼにダイブして顔面めり込み事件」を阻止したいと思います。