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詩のこと、死のこと、そしてCocco

わたしが詩を書き始めたのは、適応障害になったことがきっかけだったから、まだ5年ぐらいしか経っていない。文学研究が生きるすべてだったわたしは、病気をきっかけに、読むことも書くことも一切できなくなった。ただ、床に転がって、生存しているだけだった。それでも、何とか文学につながっていたいと思ったのだろう、寝たきりでもできることとして、X(当時はTwitter)に、詩の断片のようなものをつぶやくようになった。

むかし、教え子と、「生まれ変わったら何になりたいか」という話になったときに、躊躇なく「詩人」と答えるほど、詩、あるいは詩人というものは、わたしにとって遠い憧れであり、文学者としてのあるべき理想のかたちだった。そのくせ、まともに詩集すら読んではいなかった。中原中也と宮沢賢治以外は。しかし、わたしの魂の根幹をかたち作るまでには至っていない。

そんなわたしにとって、詩の核にあるのは、坂口安吾であり、Coccoだった。前者については、たびたびブログ(高山京子のブログ (hatenablog.com)で言及しているのでここでは触れない。きょうは、Coccoについて、少しだけ書きたいと思う。それにしても、いわゆる「詩人」ではないこの両者が根幹にあるというのは、わたしが通りいっぺんの詩人ではなく、何やら怪しげな、いわばヌエ的な生き物であることを証明しているようではないか。

Coccoは1977年生まれ、わたしは75年生まれだから、ほぼ同世代のミュージシャンということになる。彼女を最初に知ったのは「Raining」という歌からであるが、それを聴いたときの衝撃は、いまでも、どんな言葉をもってしても表現することはできない。その日からわたしは、Coccoに取り憑かれた。彼女の存在と、彼女が織り成す世界観は、わたしの理想とする芸術家の具現化であった。同じ時代に生まれたことを、地にひれ伏したいほど感謝した。

その頃、わたしは大学院生であった。文学漬けの日々を送っていた。それは、いやでも、自分というこの不快な生き物と向き合わなければならないということでもあった。家族のこと。自分のジェンダー、セクシュアリティ。そして根深い希死念慮、消失願望。言ってみれば、それは、もっとも「死」に近い季節だった。自傷行為がいちばんひどかったのもこの頃である。

わたしのすぐそばには、詩と、死があった。それを捩り合わせるようなかたちで、Coccoが存在していた。あの頃は、椎名林檎や宇多田ヒカルもいた(いまでもいるが)。後年、椎名林檎論や宇多田ヒカル論は出たが、Coccoについての論考は寡聞にして知らない。それは、彼女の歌が、本質的に、彼女に歌われることによって初めて完成するものであり、文字通りの「歌」であるからなのだ。詞でも、曲でもない。分けることができない。太古の昔、天と地をつなぐ巫女が歌ったような世界が、Coccoの世界なのである。歌うことは儀式だった。

院生のとき、わたしは死ぬまでに、Cocco論を書こうと決めた。その気持ちは、いまでも変わっていない。余談になるが、わたしを詩に、死に向かわせたのは紛れもなくCoccoであった。そして、文学を、生きることを教えてくれたのが、坂口安吾であった。わたしはいまも、この両者のあいだを行ったり来たりしている。

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