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有機農家11年目。まったく売れなかったビーツのヒットでブランド確立。大病を経て、これから進む道は?|先輩移住者file.4

先輩移住者ドキュメントfile.3 平形清人

  • 生まれ:1981年群馬県高山村

  • 移住タイプ:Uターン

  • 以前の住まい:カナダ・サスカチュワン州

  • 移住時期:2009年(現在14年目)

  • 家族構成:5人(妻、息子9歳、8歳、娘4歳)

  • 仕事:有機農園「Kimidori farm&kitchen」運営

近年の深刻な環境問題を背景に、2021年、国は「みどりの食料システム戦略」を発表しました。その中で「耕地面積に占める有機農業の面積割合を25%に拡大」という目標が掲げられ、有機農業は一気に注目を集めるようになりました。高山村でも「有機農家になりたい」という夢を持った若者の移住者が実際に増えています。しかしながら、移住をして有機農家として独立するというチャレンジの先に待つのは、いったいどんな現実なのでしょうか。Uターン移住を経て有機農家11年目の平形清人さんに伺います。独立の経緯、ヒット野菜のきっかけ、苦労、ブレない軸、家族のサポート……そして次に目指す景色とは? 高山村の有機農業を代表するKimidori farm&kitchen。そのブランドがいかにして確立されたのか、探っていきましょう。

カナダ留学。家族経営の有機農家で働きながら、地域づくりのボランティアを楽しむ

 25歳の時、ワーキングホリデーの制度を利用してカナダで働き始めました。もともと大学は国際学部で、環境問題を解決するための手段として有機栽培に興味がありました。カナダは有機農業の最前線。その中で、有機ヘンプの加工をしている小さな会社に就職しました。この会社は家族経営に近いアットホームな職場でした。友達には有機農家の人も多く、彼らは子ども達と仕事をしながら時間がたっぷりとあって、田舎ののんびりとした環境でとても自由で豊かな暮らし。自分も将来はこんなふうに働きたいなと思いました。
 仕事の傍ら、地域でのボランティア活動も楽しんでいました。「環境」と「教育」をテーマにしながら、子ども達に日本文化を伝えるイベントを開催して……ちなみに、この活動の中で今の妻と出逢いました。学生の時もインカレサークルでイベント企画をしてたので、そういうの好きなんです。取り組んでいくうちに、地域活動/地域づくりに参加する事の醍醐味も味っていきました。カナダの永住権も取得したのですが、職場が買収されることになってしまい、自動車関連の仕事に止む無く再就職。仕事内容が自分の関心領域である「有機」からかけ離れてしまったこと、そして、ボランティア活動で一定の目標を達成できたこともあって、留学から3年後、日本へ帰国することにしました。

オーガニックファーム「Kimidori farm&kitchen」が誕生

 帰国の際、稼ぐために東京で就職するという選択肢もありましたが、迷いなく実家のある高山村に戻りました。それは、ヘンプ会社や有機農家の友人の働き方を見ていたから。彼らのように、自分の時間や家族を大切にしながら田舎で暮らしたい。さらに、カナダでやっていたように地域活動もしたい。生まれ故郷である高山村であれば、この2つの想いが実現しやすいと思いました。実は、最初から有機農家で独立しようという発想はなかったんです。なので、帰国後数ヶ月はピザ屋でバイトしていました。その後、高山村の地域活動をするNPO法人に就職。そこで出逢ったのが、後に自分の師匠となる有機農園「銀河高原ファーム」を営む後藤明宏さんです。
 この頃から自分の中には軸が一つ芽生えていて、それは「環境負荷の少ない有機農業の振興」です。最初は自分で農業をやらなくてもよかった。それで、後藤さんの作った有機野菜を東京に持って行って、直接お客さんに販売したりとサポート側に回っていました。でもそのうちに「自分でも動かないと」という気持ちが大きくなっていきました。日本ではまだまだ少ない有機農業ですが、高山村で、その一線を先に走ってくれている後藤さんの存在は大きかったです。有機農家の出荷団体と販路も確保していたので、その仲間に入れてもらって、自分も生産側に回るという決心が付きました。NPOの仕事の任期が終わった翌日に、起業しました。カナダから帰国して3年目の年です。

まったく売れなかったビーツがテレビ放送をきっかけにヒット。直売所にお客さんが殺到!

 後藤さんの畑の隣で村の伝統野菜である高山きゅうりを作り始めたのが、Kimidori farm&kitchenの最初の一歩です。しかし、はじめは何をどうやれば良いのかまったく分からなかった。手探りの中、とうもろこしやトマトなど、色々な野菜を作り始めました。作り方は先輩農家さんに教わりました。今でもそうですが、高山村の農家さん達は新米農家にすごく親切。たくさんの先輩達に助けられながら、なんとか生産に漕ぎ着けました。色々な野菜を作っていく中で、カナダで食べて美味しかったビーツにも挑戦してみました。当時、高山村では誰もビーツを作ってる人はいなかったのですが、栽培してみたらしっかり収穫できました。しかし、売れないーー。道の駅の直売所に並べても売れず、回収。また並べては回収、の繰り返し。まったく売れないもんだから、ビーツを使ったレシピを紹介したり、一生懸命POP作ったり、その苦労を農園のブログでも発信していきました。
 転機は5年目にやっと訪れました。ビーツの健康的な効能がテレビ番組で放送されたのです。翌日から一気にお客さんが殺到するようになりました。人気の少ないのどかな里山の道の駅に全国からビーツを求めるお客さんが集まり、大混乱になりました。しかも、当時は農閑期で売れるビーツがない。しょうがないので、残っていた少量のビーツを使って無料の試食イベントを開催しました。在庫のあった加工品のビーツパウダーは、毎日飛ぶように売れました。

試食イベントでお客さんから集めたアンケート用紙は、今でも保管している。

 その後、貯蔵法や生産方法を試行錯誤して、夏だけでなく秋にも収穫ができるようになり、年間を通して安定的な販売ができるようになりました。ビーツの生産者も増えて、高山村を代表する野菜の1つとしての立ち位置を確立しつつあると自負しています。

高山村の中心地「さとのわ」のカフェで人気の「ビーツなサラダピザ」にも、
Kimidori farm&kitchenのビーツが使われている。

 Kimidori farm&kitchenといえばビーツというイメージの方も多いのですが、実は、一番の稼ぎ頭はビーツではなく、さつまいもなんです。やっぱり、誰もが日常的に食べる作物が一番強い。みんなが食べ慣れていて比較しやすいから、美味しく作れば、美味しいことに気がついてもらえる。うちのシルクスイートという品種のさつまいもは、みんな美味しいと言ってくれます。甘いのですがくどくなく、すっきり食べられる。特に干し芋が人気なので、ぜひ食べて欲しいです。一方、ビーツみたいな珍しい野菜を売っていくのは、本当に大変です。 

プライベートでは3児の父に。子育てと農作業の両立はウーファーの存在のおかげ

 起業と同時にカナダで出逢った妻と結婚し、今は3人の子育て中です。農作業に子育てに……正直めちゃくちゃ忙しいです。それでもなんとか生活が成立しているのは、実家が近くというところももちろんありますが、WWOOFER(ウーファー)※の存在が大きいです。

イスラエルから来て8日間滞在したウーファーとの記念写真

※WWOOF(ウーフ)……お手伝いが必要な有機農家とお手伝いをしながら農業技術を学びたい人を結ぶプラットフォーム。ウーフを通じて有機農家に滞在する人をWWOOFER(ウーファー)と呼ぶ。滞在において金銭は発生せず、ウーファーは寝食を提供されて技術を学べる代わりに、自分の時間と知識・経験などを提供する。ウーファーとして各国で働きながら旅をする人も多い。詳しくはウーフジャパンのサイトへ。

カナダ経験のおかげで僕も妻も英語が話せるので、海外からのウーファーを積極的に受け入れています。ヤフオクでコンテナを購入して、ウーファーが滞在するための部屋に改装しました。ウーファーのお陰で農作業の時間を短縮できるし、人によっては小さい子ども達と遊んでくれます。正直、ウーファーがいなかったら、子どもを3人も持つ余裕はなかったと思います。彼ら・彼女らには本当に感謝しています。また、ウーファーを魅了する高山村のポテンシャルにも毎度驚いています。彼らはこの里山の地形、空気、景色、食べ物、人、すべてのことに感動してくれる。「理想郷」と言いきる人もいる。ウーファーは色んなところを旅するのが一般的なのですが、リピートで2回も3回も戻ってきたりする。家族を連れてくる人もいる。ウーフという仕組みを最大限に活用できるのも、この高山村という里山資源のおかげだとつくづく感じています。それと、ウーファーの受け入れから食事、身の回りの世話などきめ細やかに立ち回ってくれる妻のおかげですね。

ウーファーと一緒に、収穫したてのとうもろこしにかじりつく

有機農家と慣行農家がお互いに尊敬し合っている高山村。分断が起きないような働きかけを


 
高山村はオーガニックビレッジ宣言に向けて有機農業を推進していく流れになっています。

オーガニックビレッジ宣言……有機農業の生産から消費まで一貫し、農業者のみならず事業者や地域内外の住民を巻き込んだ地域ぐるみの取り組みを進める市町村であることを宣言すること。2023年現在、群馬県では甘楽町、高山村が宣言の準備を進めている。

 国として有機農業の面積割合を25%に拡大するという「みどりの食料システム戦略」が発表され、ますます有機農家に注目が集まっています。うちにも連日、メディアの取材や大学からの視察や研修生が訪れています。そんな中、僕が今課題だと感じているのは、有機農家と慣行農家(法律で認められた農薬、肥料を基準の範囲内で使う従来の一般的な栽培方法を行う農家)の間に分断が生まれてしまうこと。高山村では有機農家も慣行農家もお互いに尊重し合っていて、お互いの方法を否定していません。しかしながら、有機農家のみにサポートが回ったり、慣行農業を否定するような発言をする人が増えていくと、この調和が崩れてしまいます。実は僕の実家は、慣行農家なんです。有機農家になり始めたとき、最初は一悶着ありましたが、今はもう何も言われません。僕も両親の技術や築いてきたものを尊敬している。こういう関係性が伝播していけばと願います。

慣行農業と有機農業の畑が隣り合わせになることもある高山村。
平形さんは慣行農業の作物に影響が出ないよう、こまめな草刈りを心がけているそう。

有機農業ばかりを支援するという構図ではなく、慣行農家からの移行を支援したり、有機農業の知識・技術を教育に組み込んだり、有機農家の当事者以外の人に向けた働きかけが充実しないと、国の目標は達成できないのではと考えています。僕個人としては、有機をやりたいという人を全面的にバックアップしていきたい。これまで色んな研修生を受け入れてきて、みんなに伝えている口癖があります。それは「うちを踏み台にして頑張って」。実際にうちを踏み台にしてくれて、活躍している人が出てきているのは嬉しいですね。

「都会の人が羨むようなかっこいい農業者」とは? 

 プライベートなことですが、去年、くも膜下出血を起こして生死の境を彷徨いました。数ヶ月間、家族をはじめ友人、周りの農家仲間のサポートを受けてなんとか生還しました。今、生まれ変わったような心境で、改めて自分の人生を見つめ直しています。今までは目の前のことに忙しくてある意味で視野が狭かった。有機野菜の生産という事業面では何とか柱も建ったと感じていて、次のフェーズのことを模索しています。例えば、農業を始める前に自分がやっていたこと、関心があったことを形にしたい気持ちが強まっています。つまり、環境問題であったり国際協力であったり。妻はカナダ時代から教育の領域に携わっていて、村でも教育委員会から子ども達の英語指導などの仕事を請け負っている。農業/環境/国際協力/教育……夫婦のキャリアと関心がリンクするところでKimidori farm&kitchenとして何かができないかとぼんやり考えています。拠点は高山村のまま、海外での有機農業指導なども一つあり得るのではないかと。
 もう亡くなってしまったのですが、恩師のような存在の方にこう言われました「都会の人が羨むようなかっこいい農業者になってください」と。この言葉を思い出すと、いつも気合が入ります。「かっこいい農業者」の姿って、どんな姿でしょう? 僕の今のところの回答は、自分たちが美味しいと思えるものを作り、それを食べて感動してくれる人がいる。というシンプルな事実だと思います。Kimidori farm&kitchenの目指すコアな部分はやはり、お客さんをはじめとした、大切な人達の美味しいという感動。これを追求するスタンスは変えずに、今後はもう少し、活動の幅を広げていきたいです。

就農してはじめて取り組んだ作物・高山きゅうりをバックに。

●Kimidori farm&kitchen
https://kimidorifarm.com/
●野菜が直接購入できるオンラインショップ
https://kimidorifarm.thebase.in/

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●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。






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