見出し画像

恩師の言葉を振り返る

15年前にわたしを引き抜いた恩師について思い出しておきたい。恩師というとご年配の男性の印象を与えるが、年齢の差は一回りくらいの差だと思う。わたしの中では、下町ロケットの財前部長に外見は似ていると思っている。人から好かれ、愛され、厳しく、人に優しい。4年ほど付き合ってみてわかったのが、意外なことに寂しがりだった。財前部長似といことで、Zさんと呼ぶことにする。わたしはある問題を起こして以来、孤立した時期がある。マネジメント層の期待を裏切ったと思う。あまり思い返したくないことではあるが問題解決には、もっとマシな選択肢がいくつもあったと思う。問題解決ができない、無知なまま歳を重ねるのは問題だと思う。

当時、自分ではどうにもならない状況になっていた。わたしのいたらなさが原因でしかない。わたしはマネジメントについて無知で、感情をコントロールすることを知らなかった。工夫も配慮もないまま、どうにもならない不満を上司にそのままぶつけた。結果、せきららな事実の羅列が思いの外、マネジメント層に効いてしまった。関係者に閉じていたものの、上層では波紋を呼び、統制上の問題になったと思われる。わたしの主張はだいたいあっていて、もっともであると、一定の理解を示していただいた方もいたし、余計な問題を起こしてもらいたくなかったマネジメント層からすれば、わたしの扱いに困ったことだろう。

着地としては関係者の配置転換があり、わたしは見えない鈴をつけられた形になっていた。しばらくして「斜に構えて、くすぶっているやつがいる」そういう情報を聞きつけて、Zさんは訪ねてきた。当時のわたしは年上の厳しい雰囲気の男性は苦手だった。Zさんは見た目もそういうタイプだ。わたしからみると顔が険しくて怖い。女性は違った印象を持つようで相当に人気があった。わたしは以前からZさんのことを知っていたと思う。だが、Zさんがわたしを認識しているとは思わなかった。今後の陣営を固めるために、人を集めていた時期だったように思われる。一連の流れを考えると、誰かがわたしのことを推薦していただいたのだろう。わたしはあらたな環境で再出発のチャンスをいただけたのだと思っている。数ヶ月後にはZさんに引き取られることになった。

Zさんの下で、新たなビジネス環境に戸惑いながら、少数精鋭の組織で働くプレッシャーに押しつぶされそうだった。常に働いていないと問題が増え続けてしまう。この頃長時間労働が続いた。そんな中でも、たびたびお酒の席の声がかかった。まったくの余談だが、注文する料理については、お子様が好きそうな料理を並べれば、Zさんはいつも大満足で満点が取れた。実際、唐揚げくらいが目の前にあれば問題なかった。ただし、唐揚げにレモンを絞ると、烈火の如く怒るという謎の一面があった。店もほぼ毎回同じ店で、それとなくいつも焼酎のボトルを自腹で入れる。Zさんの酒の場での取説を整理して、こっそり情報共有したり、酒の場で問題が置きないように幹事に注意するこも面白かった。ときには3時頃まで飲んで、タクシーで帰ることも当時はしばしばあった。そういう生活が苦しい、辞めたいとは不思議と思わなかった。お互い無茶して飲んでも絶対に朝は出社する。頭の先までまだ焼酎に浸かっている状態でもだ。たまにはカラオケも行った。Zさんは、あまり歌わない。1曲か多くて2曲。わたしも歌わないが、Zさんはカラオケでも大人気だった。河島英五さんの「時代おくれ」という曲をごくまれに歌っていた。わたしはこの曲がZさんの人物像にとてもよくあっている曲だと思った。

この頃、わたしは無意識ではあるが、ある言葉を常に発していた。仕事上のやっかいな相談にしても、単なる声かけであっても。

ある日、恩師はわたしが発している言葉について、焼酎を飲みながら話してくれた。焼酎は芋焼酎である。

「お前はいつも、ありがとうございます。というよな、あれがうまくいくための、すべてだ」

Zさんは、ありがとう。という言葉の重要性を指摘した。わたしの場合は当時、ただの口癖になっていたので、その点、シュタインズ・ゲートの岡部倫太郎が口にする「エル・プサイ・コングルゥ」とおなじだ。この言葉にとくに意味はない。「アリガトウゴザイマス」を自動で口にしていたのが、かえって恥ずかしい気分になった。Zさんは、この言葉の持つ意味を何段階も深いレベルで認識していたと思う。わたしもこの言葉の深さにようやく気づきはじめている。うまく説明ができないが、毎日、ありがとう。を言い続ける人と、まったくありがとう。を言わない人。どちらに自分はなりたいだろうか。そして、そのありがとう。を受け取った人はどういう想いを持つだろうか。

わたしに関わる人には、まずは、ありがとう。を言いたい。感謝こそが全てなのかもしれない。

この頃、同僚のMさんとあるプロジェクトを検討していた。いろいろ試算して費用対効果を整理すると、プロジェクトの生み出す効果はとんでもないものになると思っていた。わたしが関与した仕事のなかでは最大級の効果を生んでいる。構想、準備、調整に1年の時間がかかったがMさんとの連携によるシナジー効果といえる。お互い得意分野が違ったので、お互いに足りないところを補完できたのだろう。当時はとても大変だったが、運用フェーズに載せると、噂を聞きつけた誰かが、Mさんとわたしは表彰を受けるべきだと推薦してくれたという。わたしはわたしが知らないところで、誰かにいつも支えられている。そうとしか言えない。この頃、すべてが順調だった。

プロジェクトを終えてから、次にやるべきことが見いだせず、慢心していたように思う。ある日、恩師はわたしを呼び出し次のような言葉を発した。

「お前には軸がない」

強めの指導に対して、慢心していたわたしは、これまでの実績をすべて否定されたと感じた。内心かなり反発していた。軸がない人が、いい仕事ができるものか。一方で、軸とはなんだ?という、素朴な疑問も芽生えた。「軸がない」という言葉は、くすぶり続けて、その後、何年もかけて軸と向き合うことになる。

わたしなりに行き着いた「軸がない」の言葉の自己分析結果はこうだ。たしかに軸がなく、指摘はあっている。正直なところ、自分の弱い面を自己分析するのは辛くて嫌なことだ。だが、受け止めなければ先には進まない。

わたしはビジネス上で発生する問題については、こうすれば、こうなる。こういうときは、こうすればよいという、ある程度の経験則があった。その判断には、わたしの想いが強く乗ることは稀であった。よくいえばフラットに全体を俯瞰しているという表現になるが、悪くいうと意思決定に際して、どこか他人ごとなのだろう。そのときどきの空気を読みながら、多数決で支持が多いルートを積極的に選択するような思考パターンで判断していたと思う。これは一見すると熟慮を重ねているようにも見えるし、他の意見を汲みいれて、懐が広いようにも見えるが、根っこの部分は、他者の意見に乗っかることで、自分が大きな責任を負わなくても済むような、安全なルートを選択する根拠として、他者の意見を求めていたと言える。その点で、軸がないという意見は妥当な意見だ。

自分がこうだと信じた方向に舵をきることよりも、多くの他者が満足する方向を良しとして、多数派の声を予見して舵をきってしまうことに、軸がないと言ったのだと思う。組織で動く以上、これはひとつのロジックだと思うが、わたしは右か左かを決めろと言われたときには、自分の意見が決定打になることについて、自分の決定により、無限に責任が発生するような、怖しい気がしていた。選択を迫られた時にトーンダウンする傾向があったと思う。Zさんはそれを感じ取っていたと思う。責任を背負う覚悟を持った判断ができるようになることを、わたしに求めていたのだと思う。

結局、当時のわたしは言葉の理解と腹落ちに時間がかかってしまい、当時は真正面から受け入れられなかった。いったん、よくわからない指摘としてスルーしたが、たびたびこの日のことは思い返していた。数年後に、自分の軸になりうるものは何かの一つの答えとして、法律を学ぶことを選んだ。理由や動機についてはまた別な機会で整理するが、恩師の軸がない発言が遠因のひとつになっている。

数年経った頃、組織は少数精鋭ではなくなっていた。人員は補充され、いつも人で賑わう組織になっていた。その過程で接点も少しずつ少なくなっていた。そしてある日、みんなを置いて遠くにいってしまった。物理的にも精神的な距離も遠かった。わたしはどこかでZさんから見捨てられたような感覚をもっていた。当時、Zさんの期待に沿わなかったところもあったので、安易にこちらからは連絡できないと感じていた。

最後にあったのは2年くらい前だ。昔の仲間と飲みたいので、ふらっと現れる情報を察知した当時の同僚が、わたしにも声をかけてくれた。ここでもわたしは救われている。昔の仲間は声が無駄にでかくて、うるさい人が多いが、楽しい場だった。わたしは少し距離をおいて座った。Mさんも珍しく参加していた。すっかり仕事面では関わることもないが、この日、昔の仲間と話ができたのはよかったと思う。今は何もかもが難しい時代になっている。寂しがりのZさんはコロナ禍で大丈夫なのだろうか。

帰りがけに、Zさんはわたしにつぎのような言葉をかけた。「お前な、やりたいことがあったら、もう自由にやっていいんだぞ」

この一言だけ頂いた。ビジネスでの成功は諦めろという助言なのか、免許皆伝の意味なのだろうか。真意はわからない。わたしはその頃、専門的なポジションにつくことを目指していた。そのことを言っているのか。本質的には、自分の声をもっと自由にあげてもいいんだぞ、ということなのだろうか。

いや、Zさんなら単に励ましの言葉であろう。わざわざ帰りがけに声をかけるくらいに、今も気にしてくれているのだと思った。この言葉の真意は、シンプルに頑張れ、でよいと思っている。

先日、ちょっとした問題があって、Zさん宛にわたしのボスがメールをした。間もなく2行程度のメールが届いた。当時も今もメールは短いが、恩師のメールにはいまも変わらず「ありがとう」が添えられている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?