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渡米104〜117日目 秋学期ファイナル、今ここにある全てを映画に!


▼2本の短編映画の完成に向けて
2024年12月4日(月)~12月18日(月)

秋学期最後の二週間は、撮影を終えた素材と向き合い、2本の短編映画を完成させるためにひたすら日々編集作業を続けた。12月3日の週に監督クラスとRough Cut(荒編集)の提出締め切りがあり、ひとまず素材を感覚的に繋ぎ合わせて、それぞれのクラスに提出した。

Fiction Film Directing (監督クラス)では、10人それぞれのクラスメイトが実在する2本の映画の中から、それぞれワンシーンを選んで監督した。完成した作品は正直玉石混交で、素晴らしいと素直に感じる作品がある一方で、この人は本気で映画を撮りたいのかなと正直理解に苦しむような作品もあった。このクラスには大学院1年目から3年目までの学生が入り混じっているが、上の学年になるほど、なぜかその本気度が低いように感じた。

その反面、この秋学期のスタートから監督クラスを受講している仲間は、やはり最初から映画に振り切って全力投球している感があり、今回の撮影にとても力を入れていることが感じられた。僕自身もやはりこの作品にとても力を入れて取り組んだ自負があった。だからこそ、本気度が低いと感じる何人かの先輩学生の作品を見て、なぜこんな恵まれた場所にいて、もっと努力をしようとしないのかなと勝手にとても残念に感じてしまった。

Foundation of Image and Sound Production(映像と音響制作の基礎クラス)でも、最初の週にやはりRough Cutを提出して映像を先に仕上げた後に、この作品の要となる音作りに取り掛かった。映画は映像と音で成り立っている。だからその両輪が揃ってこそ初めて傑作が生まれる。長年、報道カメラマンを務めていた僕にとって、こうした感覚は、このクラスに参加するまでは頭ではわかっていても、あまり強く意識していなかったものであり、このボストンで脚本・監督を手がけた処女作「Ghost Booth」を通じて、成し遂げたい大きな要素でもあった。

そのゴーストの声を、仲間のDavidにお願いしたところ、快く引き受けてくれて、様々な声のバリエーションの収録に惜しみなく付き合ってくれた。

Kurtisの自宅スタジオ

その声を、いかにゴーストの声らしくできるか。今回の撮影に惜しみない協力をしてくれたバークリー大学のエンジニアのKurtisに相談すると、彼は週末、自らの自宅兼スタジオに僕を招いてくれて、一緒にゴーストの声を生み出すべく試行錯誤をしていくれた。そして、オーバードライブやピッチシフト、ディストーションなどの様々なエフェクトを組み合わせて、とても理想的な音を生み出してくれた。

僕はそうした作業を通じて益々映画の音作りの魅力に引き込まれていった。Kurtisは来年の5月にはバークリーを卒業し、映画の本場ロサンゼルスに活動の拠点を移す予定だという。一方で作曲を手掛けてくれたGloriaは卒業後もボストンに残り活動を続けるという。今回のGhost Boothの制作を通じて、二人の素晴らしい作曲家、サウンドデザイナーに出会うことができたことを有り難く感じた。

「視力を失いつつある中で、今後、アーティストとしても自らの耳を活かす機会が増えてくるでしょう。そういった意味でも今回の作品はとてもいいチャレンジだったと思います」

Foundationクラスを担当する教授のデイヴィッドをオフィスアワーに訪れた際、完成した作品を見てそう言ってくれた。それぞれの教授に僕自身の目の状況を共有しているが、彼らはそれをハンディとして捉えるのではなく、その新たな状況の中で僕自身がどうやって新たにアーティストとして開眼していくのかに、その視線を向けてくれていることを感じる。作品を生み出すのは、あくまで人間であり、その人が何者であるかが、作品そのものに反映されていくことを考えると、それはとてもシンプルで、それをなくしてはゼロか一が生まれてこない。

制作の合間を縫って、仲間の映画をサポート 出血は特殊メイク


「The most personal is the most creative
(最もパーソナルなことが最もクリエイティブだ)」

これは敬愛するマーティン・スコセッシ監督の名言で、アカデミー賞の授賞式でポン・ジュノが引用し、一躍脚光を浴びた言葉だ。僕も本当にその通りだと思うし、僕もそうした作品を生み出したいと心から思う。

次の春学期には音響制作のさらに専門的に映画の音響制作を突き詰めるSound Thinkingのクラスを履修する予定で、それが楽しみでならない。



▼脚本クラスのOwen教授がくれた言葉
今学期、僕たちの間で一番人気が高かったクラスが、Writing for Short Subject(短編映画の脚本クラス)だ。このクラスを担当するのは現役の売れっ子脚本家であり、映画監督、コメディアン、ミュージシャンでもあるOwen Egerton(オーエン・エガートン)。彼の講義は常に情熱的で、学術的、技術的なことはもとより、僕たちに映画作家として生きていく姿勢と情熱を叩き込んでくれた。そして作家はまず何よりもストーリーテラーであり、エンターテイナーであるべきことを、彼のユーモアとエンターテイメント性に溢れたクラスが身をもって教えてくれた。

オーエンが学生の質問を受け付ける月曜日と水曜日のオフィスアワーは、訪問者が絶えず、常に熱心な学生たちの順番待ちが続く。

僕は今回、授業の中で課題となる脚本2本を提出したが、それに加えて、Ghost Boothを含めた僕が直近で監督を務める短編映画の脚本も持ち込み、相談に乗ってもらった。冬休みに新たな短編映画を撮ろうと考えていてそのアイデアを相談すると、ときにコーヒーショップの片隅で帰宅前の電車に飛び乗るわずかな時間さえも惜しみなくシェアして、相談に乗ってくれた。

「大胆なゴールを掲げよう!例え、それが今は大それていて、不可能に思えるような目標であっても、紙に書いて見える場所に常に置いておこう。そうすることで自分自身がどうすればそのゴールに近づけるのか、僕たちの脳は考え始める。人生は短い、遠慮や謙遜はいらない」

「物語を書くことは、僕たちに撮って一番大切な作業だ。人生、常に時間がない。時間は待っていてもやってこない。時間を作り出すこと。そのためにはテレビを見ないとか、パーティーに行かないとか、スマホを手放すとか、いろんなやり方があるはず」

「物語を書くこと、映画を撮ることはとても聖なる仕事だ。それは、天職そのもの。でもそれを趣味として扱えば、趣味に終わる。何よりも聖なるものとして扱うことでそれは初めてあなたに応えてくれる」

最後から一つ手前の授業で、彼は僕たちに作家としての明確なゴール3つ掲げることを勧めてくれた。

▼3つの大胆不敵?なゴール
授業後、相棒のジェリーがオーエンを飲みに誘い、僕はMaja(マヤ)にも声をかけて行きつけのバーに飲みに言った。

「タカヤの3つのゴールは?」
「アカデミー賞、グラミー賞、カンヌ映画祭でグランプリをとること!」


僕は即答した。今の僕にはまだ限りなく遠いゴールに見える。そしてそれは少しでも気を緩めれば、絶対に手に入らない類のものだ。それは誰の目から見ても、何をいい大人がときっと笑い飛ばされてしまうぐらい明確だろう。

でも、やらないで自分を卑下したり一笑に付している時間があるなら、結果がどうであれやった奴はやはり何者にも変えたがいと思う。今、僕は本気でそこにいきたいと思う。本気でそう思うところからきっと全てが始まる。

オーエンはその後、12月18日(月)の授業の最終日に、大学から特別な許可をとり、2クラス分の学生合わせて20人近い僕たち全員を自宅のホームパーティーに招いてくれた。

この夏テキサスのオースティンから初めて大学で教鞭をとるために家族全員でボストンに移り住んだオーエンにとって、僕たちはやはり初めての生徒でありやはり特別な思いがあるのではないかと、クラスメイトが話していた。

次の春、彼はWriting Darkというホラーやサスペンスを描く新たなクラスを担当するが、それはとても人気が高く、ウエイトリストにも候補者が殺到している。幸いにも僕はその新たなクラスを履修登録することができたことに感謝している。

プログラムをみんなよりも早く最大2年半で終える僕にとって、ここで映画を撮れる時間は短い。次の春学期のうちに、卒業制作に匹敵する熱量で手がける短編作品の脚本を書き上げたい。そして来年の夏にはその作品を撮りたい。そしてその作品で映画祭に打って出る。秋学期の最後に行われたホームパーティで、この冬休みに撮る作品のクルーを引き受けてくれる仲間をリクルートしながら、僕の心はさらにその先にある作品に向けて思いを馳せていた。


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