見出し画像

渡米119〜130日目 冬休み突入!?思春期の感性に向き合う日々

12月19日(火)~12月30日(土)

エマーソン大学が冬休みに突入した。昨日まで学生で溢れていたそれまでの街並みを知る人にとって、同じ通りはまるでゴーストタウンにでもなったかのように静まり返り、冬の冷たい風がその空間を吹き抜けていく。多くの仲間はそれぞれの故郷に帰り、また全米各地を旅するべくこの日を境にボストンから離れていった。

一方、僕はこの冬はボストンで過ごすことを決めていた。なぜなら子ども達はクリスマスの直前まで学校があり、また1月2日にはすぐに次の学期が始まるためだ。そして、この冬休みも休むことなく、もう一本の短編映画を撮ろうとしている。

僕はいつものように朝7時50分に家を出て、子ども達を近くのリンカーン学校まで見送った。3年生の次男は僕と手を繋いで学校に向かうが、7年生の長男は僕たちよりも少し遅れて、その後ろを歩き通学する。長男に話しかけると少し鬱陶しそうに小さく言葉を返すだけ。13歳、もう立派にそういう年頃なのだろう。

僕はニューヨークでのサンクスギビングが終わって以来、ここ1ヶ月近く大学院のファイナル(最終課題)に追われて、子供達の習い事の送り迎えや子育ての全てを妻に頼りきりだった。だからこの冬休みは、少しでも普段の罪滅ぼしができればと考えている。
今、次男はプールとバスケ、長男はドラムとバレーボールを習っているが、特に9歳の次男は全ての外出に親が同伴する必要があり、その送り迎えだけで妻は日々へとへとになっている。僕は冬休みに入って、久々に次男の習い事に同行した。

次男は月曜日から木曜日まで毎日特訓が続く地元の強豪水泳チーム・ドルフィンズの練習では、今も言葉がわからないなりにも泳ぎでは周りを追い抜くほどになっていた。そして新しく始めたばかりのバスケットボールでは、その試合を見にいくと、なんとゴールまで決めているではないか。いつからそんなにバスケが上手くなったんだ?全く物おじせずにチームに溶け込んでいる次男を見ていて、なんだか心の底が熱くなった。

「なんのために来たんだよ!」

12月の初めに弟に理不尽に暴力を振るった長男を叱り、全く悪びれる素振りもないため心を鬼にして僕が長男を後ろから抱き抱えた状態で頬を叩くと、長男がゴミ箱を蹴っ飛ばして僕の腹を肘で叩き返してきた。普段ゲームばかりしているので、その力は悲しいほど弱く、全く手応えがなかったが、そこまで僕の前で怒りを爆発させたのは初めてのことだった。「もうどうだっていいよ!」その翌週、やはりゲームばかりしていて、勉強の時間など決めたことを守ろうとしない長男に対してゲームやスマホを一時的に取り上げると告げると、長男は泣きながら机に突っ伏してそう口にした。そこまで投げやりな姿を見るのは初めてのことだった。

その週末、妻が早く起きてきて、子育てについてこれまで溜め込んできた思いを僕にぶつけた。妻曰く、僕は自分自身の留学のために、無理やり家族をここに連れてきたという。僕には無理やりのつもりはなかったが、家族はやはり巻き込まれた気持ちが今でも根強くあるようだ。そして長男は、東京の中学校で新一年生として友達や吹奏楽部の先輩にも恵まれ、本人もそこでの生活を満喫していた中で、言葉も通じない、望みもしない場所に連れてこられたという思いが拭えずにいるのだ。

もし本当に来年の夏になっても長男の思いが変わらないのであれば、その時は、無理にこちらでの滞在を引き延ばさず、本人の気持ちを尊重することが大切なのではないかと最近僕も感じてきていることを妻に打ち明けた。最近、長男は僕と話そうともしない。僕も彼とうまく向き合えている感覚がなかった。

「もっと彼の声に耳を傾けてごらんよ。ほら、僕とタカヤだって歳は離れているけども、友達になれるでしょ。そうすれば長男とだって、同じようにきっといい関係になれるよ」

秋学期の最終日に脚本クラスの教授Owenのホームバーティに招かれた際、クラスメイトのジェリーに子育てについて相談した。22歳のジェリーは今や僕の親友とも相棒とも呼ぶべき存在だが、48歳の僕との年の差は26歳。むしろ、息子の歳に近いジェリーにそう言われて、最近は普段頭ごなしに怒って、自分の気持ちを押し付けてばかりの自分の姿を省みた。

僕にだって彼と同じ時代があったはずだ。親としての正論ばかり語っていないで少しは彼の気持ちや立場になって考えてみたらどうだ。ジェリーの一言にハッと目がさめる思いがした。

12月22日(金)、子供達の学校も秋学期の最終日を迎えた。12時過ぎに次男を学校に迎えにいくと、放課後の遊びの時間が何よりも楽しみ彼は最後の友達がいなくなるまで、いつまでも校庭で遊び続けていた。その間、僕は同じく子供達の遊びを見守るお母さん達と話をした。

外の気温はこの季節0度に近く、今日のように雲のない晴れた日ほど、その空気が冷たい。長年、ここで暮らす親たちによれば、2月にはマイナス20度近くまで冷え込むこともあるため、これぐらいはまだそこまでの寒さではないという。

次男を遊ばせるために、いつもこの迎えの時間をこの寒い中で耐え忍んでいる妻のことを思い、大学での学業に集中させてもらっていることをありがたく、そして同時に申し訳なく思った。ボストンに隣接する、このブルックラインという地域は、ボストン近郊の中でもとりわけ環境がよく、その分家賃も高い。ここに通う生徒の親の大半はハーバード大学やMITなどで研究をしていて、日本人も多いが、その親も大方ハーバードの研究施設に通う医師や医療関係者だ。そのため多くの家庭にとっては、経済的な負担感はそれほどなく、ここでの生活を満喫している。冬休みをカリブ海のリゾート地で暮らす家族も珍しくない。

一方、我が家は、フルブライト奨学金からの援助があるとはいえ、そのほとんどは50万円近い家賃に消えていき、ギリギリの生活をしている。妻が買い物をするたび、なんでもお金がかかるねと愚痴を口にする僕は一体何様のつもりだろう。日本にいる時には感じなかった、経済的な格差のようなものをここにいて痛烈に感じている。それは家族もきっとそうだろう。

秋学期を終えても英語力が養われず学校で先生の話していることが全くわからないと語る長男に、冬休みに入ってから毎日3時間英語を教えることにした。当初、長男はそれを嫌がり激しく抵抗した。しかし1月にニューヨークで英検3級の試験を申し込んでいる。このまま放っておいても、英語力の向上は望めない。そして言葉がわからなければわからないほど、長男はここにいる意味を見出せない。

渡米してからというもの、長男にとって一番の楽しみは東京の友達とオンラインでゲームをすることだ。それは長男にとって慣れない新生活の中で唯一本音を語れる癒しの時間であり、それを大切にしてあげたいとずっと見守ってきた。だが、放っておけばゲームしかしない。生活のリズムも崩れている。そこで何度か激しい抵抗に遭いながらも、毎日3時間英語を勉強しない限りは、ゲームもスマホも使えないというルールを定めた。

「3級なんて絶対に受からないから。だってまだ4級だって取ってないのに」

長男はそう言って、ある日、勉強を途中で投げ出し、その日は机に向かおうとしなかった。その夜、僕がオンラインで次の短編映画のオーディションをている最中に、妻と長男が話し合い、どうすれば3時間の勉強を続けられるか、話し合ったようだった。そして翌日、やはり嫌々ではあるものの、昨日よりは少し能動的に英語の勉強に向き合い始めた。

日々、長男と英語の勉強を続ける中で、長男と会話をする機会も増えた。この秋監督した2本の作品もアップして、世の反応をうかがいたいと思い、クリスマスイブの日、僕は思い立ってYouTubeチャンネルを立ち上げた。その際、長男に相談すると、小学生の頃から自分でチャンネルを立ち上げ、独学でYouTubeへの投稿を続けてきた彼は、最近始めたばかりの僕に惜しみなく具体的なアドバイスをしてくれた。どうすればもっと見る人を惹きつけることができるか、視聴者を解析する方法、そしてバナーの作り方についてなどなど・・・。普段、英語の勉強をしている時はあくびばかりで死んだ魚のような目をしているその姿とは打って変わって、長男はとても饒舌にしっかりとわかりやすく説明をしてくれる。ゲームとYouTubeに関してはとても勉強熱心で放っておいてもどこまでも探求を続ける。

リンカーン学校の先生と面談した際にも、長男は学校に通い始めた最初の数週間は、表情も暗く落ち込んでいたが、最近は仲のいい友達もできて表情も明るくあり、また授業にも以前より積極的に参加する姿勢を見せていると話してくれた。もちろん教科によってもその違いはあるようだ。だが、僕が見ている長男の姿だけが、彼の全てではない。こちらが頑なな姿勢で接すれば、長男もその一面しか僕に見せないだけなのだろう。

「今日、久しぶりに仲が良かった東京の友達とゲームをしたんだけど、、なんだかとても性格が悪くなってた。前はすごくいいやつだったのに」

ある夜、珍しく長男が僕のところにやってきて、僕のベッドに横になるとそう漏らした。そしてその翌日はゲームをしなかった。きっと彼の中でも色々とあったのだろう。

「きっと色々とあったんでしょ」

僕が以前、それまでマンスリーで一緒にライブをしていた荒武さんとあることがきっかけでライブをしなくなり、荒武さんが自宅にも遊びに来なくなった時、まだ小学生だった長男は、何かを察したように僕にそういった。元々とても感受性が鋭く、きっと全てが見えてしまう瞬間があるのだろう。僕はそんな彼に対して、最近、想像力と敬意を持って接することができているだろうか。

サンクスギビングでニューヨークを訪れて以来、Peterが子ども達がほとんど英語を話せないことを気にかけて、友人の英語の先生を紹介してくれた。その後、MarciaとPeterの親友で、元々小学校の先生をしていたRytvaさんとオンラインでこれまで3度、レッスンをした。最初の2回は全く話せず、「なんで英語もわからないのにこんなことしなきゃいけないの?」と話していた長男も、冬休みに入ってからの3回目のレッスンでは、ほんの少しだけ僕の通訳なしに会話ができるようになっていた。その姿を横目で見て僕はとても嬉しく感じた。

確かにまだまだ全然話せないし、その進歩はカタツムリのようなペースかもしれない。でもそれでいいじゃないか。僕はそもそも中学生の頃、一言も英会話なんてできなかった。

「どうしてこんなこともわからないの?」

もし長男に英語を教えていて、そんなふうに感じることがあるとするならば、それは僕の教え方にもっと工夫が必要だと考え直してみてはどうか。

「ねえ、もし英検3級に受かったら、アップルウォッチ買ってあげるよ」
「大丈夫。もう欲しくなくなった」

日々英語の勉強を続ける中で、長男のモチベーションをご褒美で釣り上げようとした僕に対して、長男は笑顔でそういった。彼がアップルウォッチを本当に欲しくなくなったのかどうかはわからない。親に今、経済力がないことを察して彼はそう言っているのかもしれない。

クリスマスの日にも、子供達とボストンの映画館で宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を観た際、日本で映画館に連れて行った時にはあれほど欲しがったポップコーンもこちらではジュースとセットで20ドル(約3000円)近くと恐ろしい価格で、長男も次男も決してそれを買って欲しいとは言わなかった。彼らは彼らなりに、いや親以上に、親や家族の置かれた状況が見えているのかもしれない。

「ママ、いつもありがとうって書いたら?」
「違う。“守ってあげる”って書く」

4歳か5歳の頃、母の日に長男とママへの手紙を準備していた際、長男がそういった。僕は彼が発した言葉に驚き、その真意を尋ねた。

「え、どうして?」
「男だから」

一言、長男はそう答えた。今その当時の話をしても、長男は全く覚えていないという。

「一番小さい人の精神の中に、一番の賢者が潜んでいる」

今、この冬休みの間に制作する新しい短編映画「BENCH」のオーディションを進めていて、主人公を務める子役を探していた際、ある親御さんがそんな言葉を送ってくれた。僕はその言葉に強く共感した。

大晦日前日の12月30日からオーディションを開始し、子役の出演者も無事決まった。冬休みは休む時間ではない。家族と向き合い、そしてまたそこで得たものを新たな作品にも反映し、普段の自らを省みて軌道修正し、成長していくための時間だと感じている。

冬休みが始まって早折り返し地点に差し掛かろうとしている。あれだけ忙しかった学生生活が小休止し、新しい日々が始まり、そしてその非日常がまた日常に変わりつつするある。

そして子供達の習い事や勉強と向き合いながらも、週に3本まで無料で映画が観れるというAMCシアターのメンバーシップに加入したおかげで、映画館で映画漬けの日々が続いている。遠くになど旅に出なくても劇場に行けばいつでも様々な時間と空間を旅することができる。それは僕にとって至福の時間であり、家族と過ごす時間を除けば、僕がこの世界の中で一番好きな時間と空間の一つだ。僕の目は疲れやすく、自宅のパソコンやテレビでは集中して画面を観続けることができない。でも映画館ではそうした疲れは感じることはまだない。

Saltburn、Monster、American Fiction、Napoleon、The Boy and the Heron、The Holdovers、The Color Purple、Poor Thing、Godzilla Minus One・・・。冬休みに入って観た映画の数々。それはまるで夜空に輝く星々の悲しみにも似て、それぞれが独立した光を放っている。そして映画を見れば見るほど、心の中の夜空に星が灯っていくような感覚を覚える。それは一等星のように強い光を放っているものもあれば、まだ光を感じられない星もある。しかし、今夜空を見上げても全くその光を感じることができない状態に等しい今の僕にとっては、映画はその事実と反比例するかのように僕の中でより強い光を放ちつつある。

この冬休みの間に手がける作品に、これまで僕が関わってきた作品に出演してくれた俳優がまた僕の作品に出たいとオーディションにも奮って参加してくれている。そのことが嬉しい。いつか、そう遠くない未来に、この映画館で自らの作品を上映したい。そのためにどうすればいいのかをずっと考え、そして行動を続けている。いつか今は夢みたいな事がきっと叶う日が来るだろう。こうやってアメリカで暮らしていることもしばらく前にはやはり俄には信じがたいことだったのだから。

大晦日の前日、YouTubeに掲載した作品の一つ「Pariah」の視聴回数がみるみるうちに上昇を始めた。

「きっと大林監督が天国で見てくれてるんじゃない?」

子ども達にそのことを話すと、思いがけない一言が返ってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?