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渡米17日目 映画と音楽とジャーナリズム、あなたは一体何がしたいのか?

今日はこの秋学期に選択している3つのクラスのひとつ、Conceptual Developmentの授業初日だ。

Conceptual Developmentとは直訳すると、「概念の発展」という意味になるが、一体何の概念を発展させる授業なのか。事前にシラバスを読んでもあまり概要がつかめなかった。加えて、事前のリーディングに課された教育論に関する宿題も、何度読んでもあまり頭に入ってこなかった。果たして自分自身が本当にこのクラスを今季履修すべきなのか、少し不安を抱えながら朝10時のクラスに遅れないように少し早めに家を出た。

クラスはとてもリラックスした雰囲気で、まずはヨガの深呼吸を取り入れるところから始まった。担当教授のPaul の部屋にはエレキギターがあり、元々テレビ業界で働いていた彼は、映像や環境音楽、はたまたインスタレーションのアーティストとしても発信を続け、エマーソンでも10年近く働いているという。全くジャンルに囚われない活動を続けてきている。先生が生徒にグレードをつけることの弊害を長年感じてきていて、だから彼のクラスでは自己採点形式を取り入れていることを話してくれた。

そしてこのクラスの目的はアーティストとしての「自らの声を見つける」こと。エマーソンには僕のように映画を撮りたい人ばかりではく、ドキュメンタリー、インスタレーション、アニメーションと多岐にわたる表現を追求・研究することができる環境がある。どのような表現のスタイルをとる上でも核となるのは自分自身を知り、自分自身の表現者としてのクリエイティブ・ヴォイスを見つけることが欠かせない。どんな作品を作ったとしても、「そもそもなぜあなたがこの作品を作る必要性があるのか」その説明を求められることになる。必ずその原点に立ち戻ってくる。だからそのアーティストとしての「核」を見つけることがこのクラスの目的なのだという。

僕はこのクラスが追求しようとしていることにとても共感した。自分自身、仕事ではニュースとドキュメンタリーのカメラマン・ディレクターをしているが、そこで取材するテーマは紛争地の医療支援から気候変動、日本を代表する映画監督と多岐に渡り、またジャーナリストになる以前からしンガーソングライターやインディペンデントの映画制作を続けてきた。実は以前、フルブライトの面接でもこう問われたことがある。

「あなたは一体、ジャーナリズムと音楽、そのどちらがしたいのか」

選考では盛んにジャーナリズムへの熱意を訴えているが、プライベートではシンガーソングライターとしても活動していて、CDのリリースも控えている。そのことをホームページを通じて知ったジャーナリストでもある面接官が面接の最後に僕に問いかけた。とても興味深い質問だと感じた僕は、その問いに対してこう返した。

「今から私がいうことは、あなたにとってはとても複雑に聞こえるかもしれない。でも僕にとってはとてもシンプルなことをお伝えします。僕はジャーナリズムがしたいわけでも、音楽がしたいわけでもない。僕がしたいのは”伝える”こと。伝えきるためにどのような表現を使うのがいいのか、常にそのことを意識している。そういう意味においては、僕にとってジャーナリズムや音楽はそのためのツールに過ぎない。だからあなたの質問は僕にとってそれほど重要ではありません」

さらに補足として、例えば、世界一周の旅の途中、あるパキスタンの全く言葉が通じない山奥で、いつやって来るともしれないバスを待っていたとき、ギター一本を手にしていたことでどれだけ周りの人とコミュニケーションが取れたかわかリますか?という体験談を話した。それは、とても挑発的な回答に聞こえたかもしれない。しかしこれは紛れもなく当時の僕が思っていたことであり、今も根本的にはその思いは変わらない。この最終面接の後、僕は運良く2005年に一度目のフルブライト奨学金を得ることになるのだが、後日この面接官のかたと出発前の壮行会でお会いした際にこう言われた。

「いや、実はあの最終面接の日、あなたをあの質問でタジタジにしてやろう。もしいい加減な奴だったら化けの皮を剥いでやろうと思っていたんですよ。ところがあなたの言葉に逆に私は、”あなたに芸術とジャーナリズムの本質がわかるか?”と問われたような気がして、逆にカウンターパンチを食らってしまった。もうマルマルマルという感じで、絶対にあなたをアメリカに行かせたいと思った」

その方も実は以前フルブライト奨学金を得て米国でジャーナリズムを学び、今はある新聞社の論説委員をしていることを話してくれた。当時アメリカ人と日本人の面接官5−6人にその最終面接を受けた記憶があるが、逆に僕は「異なる考えを受け入れる懐の深さ」に深く感謝した。こうして僕はフルブライト奨学金を得て、一度目の大学院留学の切符を手にすることができた。そして今、二度目の切符を手にして、エマーソンで学んでいる。

話を元に戻すとこうしたバックグラウンドがあるからこそ、Paul先生がConceptual Developmentのクラスで追求しようとしている根本的な部分に僕はとても共感した。

「Find your own creative voice」(自らの表現者としての声を見つけること)

全ての表現はまさにこれに尽きると思う。ただその一方で僕には懸念があった。このクラスはそうした自分自身の心の奥底にある「表現者としての根っこ」を突き詰めることを大切にしている。だからカメラを使って映画的表現を試みるとか、クラスメイトとコラボレーションして、週に一回課題をこなすとか、そういった類のものではない。僕にとって確かにこのクラスは大切ではあるが、一方で映画はひとりで撮れるものではない。自分を知ることと同じかそれ以上に、今の僕はクラスメイトと切磋琢磨して映画を撮る環境があるクラスを早めに履修して、自分自身の仲間を見つけたいと思っていた。今のままでは、そう言った機会がないまま、この秋学期が終わってしまうのではないか。実はこの懸念は数日前から僕の中でまるで立ちこめる黒い雲のように頭をもたげ始めていた。

4時間のクラスを終えると、ディレクティングの授業も一緒に履修しているクラスメイトのマリナが僕に話しかけてきた。

「このクラス、どう思う?」
「どうってとてもクリエイティブでいいと思うよ。ただ・・・」

僕は自分の中にある懸念を彼女に伝えると彼女も同じことを感じていたらしく、結局僕たちは学部長のジョンに相談することにした。ジョンはあいにく取り込み中でひとまず取り急ぎ面談したい旨をメールで伝えると帰り際にタイミングよくジョンと話をすることができた。そこにConceptual Developoment担当教授のPaulも通りかかり、僕たちはクラス変更の可能性を探ることになった。

DAY17 20230908金1D+0801−0901ー0922

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