あの時食べていたコロッケは、きっと世界で1番美味しかった
僕の実家がある地域は、なかなかの田舎っぷりだ。
最寄りのコンビニはトンネルを2つ越えた先になるし、最寄り駅はその路線の中でもワースト3に入る乗降率。
人口の年齢層は圧倒的にお年寄りが多くて、夜は9時を過ぎれば人の姿はほぼなくてゴーストタウンのようになる。
そんな場所だったが、毎年夏になるとオープンするプール施設があって、小学生の頃は夏休みの期間中、ほぼ毎日遊んでいた。
田舎に相応しいであろう広さで、遊具など特別なものは一切ない。
大人用プールと子ども用プールの2つがあるだけの、至ってシンプルな造りだったが、小学生からすれば十分な遊び場だった。
そうして存分に泳いで遊んだ後は、近くにある小さな個人商店に行って、買い食いしながら友達と何でもない話をするのが恒例となっていた。
その商店の中には総菜コーナーのようなものがあって、1個50円と破格の値段のコロッケが売っていた。
このコロッケ、当時僕達子どもの間では大人気だった。
値段はさることながら、注文するとその場で揚げてホカホカのものを手渡してくれるのだ。
これがプール終わりで程よく疲れた身体と、少しばかりの空腹にとても染み渡る。
プール終わりは、アイスかお菓子かコロッケか。毎日この選択肢に友達と悩んでいた記憶がある。
そんな風に過ごせる時間が、楽しくてたまらなかった。
あれから時は流れ、僕は大人になった。
気が付けばプールは廃止され、あの個人商店は閉店となっていた。
少年時代の思い出の場所が、2つ減ってしまった。
これも時代の変化として仕方ないのかなとは思いつつも、何とも言えない気持ちである。
それでも僕は毎年、夏になると実家に帰り、プール跡地と個人商店の跡地を散歩して回るようにしている。
そこにはもう無邪気にプールではしゃぐ子どもの姿は無いし、笑顔でコロッケを手渡してくれるおばさんもお兄さんもいない。
しかし、僕の中には今でもちゃんと、当時のことが鮮明に色付いたまま残っている。
プールの中に潜って見上げた時の太陽のキラキラとした光、塩素を含んだ水を誤って飲んでしまいむせている友達、飛び込もうとしている子どもに笛を盛大に吹いて注意する監視員さん。
コロッケを笑顔で手渡してくれるおばさんとお兄さん、手に持った時の「あちっ」という感覚、フーフーしながらかじった時のサクッという食感、食べ終わった後の幸福感。
どれもこれも僕にとっては特別で、代わりになるものなんてなくて、そして2度と再現することが出来ない思い出だ。
あの時食べた1個50円のコロッケは、世界で1番美味しかった。
今年ももうすぐ夏がやってくる。
世界はこんな状況だけど、実家に帰ってまた散歩がしたい。あの地をまた回りたい。
目まぐるしく変わるものがあれば、決して変わらないものもある。
それを僕に気付かせてくれる場所は、きっと世界であそこだけだから。
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