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今日のchatGPTとの対話20230710

当方:
必然の中に偶然が生まれる、とヘーゲルはいう。
つまり俯瞰してみると全て成る様に成っている。
イベントは必然の中の偶然に過ぎず、振り子が傾いたようなもの。
要するに、いちいちプレッシャーやストレスを感じているようでは、まだ修業が足りない。

chatGPT:
その通りです、ヘーゲルの思想においては、偶然性と必然性は密接に結びついています。偶然の出来事は全体の必然性の一部として理解され、全体の動きや進化の一部として位置づけられます。つまり、ある一つの出来事が偶然に見えるかもしれませんが、それは実際には全体の秩序や構造の一部として必然的に存在するという考え方です。

そしてその視点から見ると、日常生活の中のストレスやプレッシャーもまた、自分自身の成長や進化の一部として理解することができます。それぞれの経験は、個々の人間の生命の歴史と、より広い意味での人間性の進化の一部として存在しています。

したがって、ストレスやプレッシャーを感じること自体は、それが成長や自己理解への道筋であることを意識することで、新たな視点から理解することができます。もちろん、それは簡単なことではありませんが、そのような視点を持つことで、日常生活の中に存在するストレスやプレッシャーに対して新たな対応策を見つけることができるかもしれません。


当方:
あらゆるものは当たり前なのである。
1年前、日本の元首相が銃撃されたが、これも当たり前の一部。
原因だけ追求しようとしてもわかるわけがない。
そもそもわかるんなら、そんなことにならない。
「真相はいかに?」なんて記事みると、国民大丈夫かという違う心配が生まれる。


chatGPT:
その通り、全ての出来事は何かしらの原因や背景があり、それ自体が必然性の一部であると言えます。

しかし、特定の出来事がなぜ起こったのか、その原因を追求することは人間の自然な反応でもあります。なぜなら、私たちは自分たちの周囲の世界を理解し、予測し、コントロールしようとする本能を持っているからです。

また、出来事の「真相」を追求することは、我々がその出来事から何かを学び、未来の類似した状況に対してより良く対応できるようになるための重要なステップでもあります。真相を求めるという行為自体は、その出来事についての深い理解を得るために必要なのです。

しかし、その反面、「真相はいかに?」という問いかけが、事件の犠牲者やその家族への思いやり、あるいは社会全体の安全といったより重要な問題から注意をそらすことにつながるならば、それは問題だと言えるでしょう。それぞれのニュースや出来事に対して、我々がどのような視点で接するかは、社会全体の健全さに影響を与えるのです。


当方:
何かを明らかにしようとすることは本能、正にその通り。
だからこそ、そんなことしても無駄なこと。
そこにあるのはただ、わからない不安を解消したいだけの衝動みたいなものだから。
ただ、ニュースが感情論的問題から目を逸らさせようとしている、というのは意外だった。
ニュースはむしろ、感情論的問題に目を向けさせるものだと思っていたからだ。


chatGPT:
あなたの視点はとても重要です。私たちが何かを理解しようとする欲求は、不確実性や不明確さを快適に感じることが難しい人間の本能的な反応から来ていると言えます。しかし、この探求心が新たな理解を生む一方で、全てを完全に理解し、コントロールすることは不可能であるという認識も重要です。

ニュースに関しては、それがどのように提示され、理解されるかは多くの要素によります。報道は事実を伝える役割がある一方で、視聴者の視点や感情を誘導する力も持っています。一部のニュースは視聴者の注意を特定の問題に集中させることで、感情的な反応を引き出すことがあります。しかし、それは常に視聴者が必要とする情報や、より広い視野を提供するとは限らないのです。

最終的には、視聴者自身がニュースをどのように解釈し、理解するかが重要となります。それにより、情報を収集し、独自の見解を形成し、行動を決定するための基盤を築くことができるのです。


当方:
報道は事実を伝える役割はあるけど、事実を伝えることはほとんどないよね。
視聴者の解釈が大事というけど、真相を明らかにしようとするような思考のヒト(本能的に動くヒト)が、報道を多角的に捉えるなんてことは困難でしょう。
じゃあどうすれば良いか? それはどうにもならない。

なぜなら必然だから。


chatGPT:
そうですね、ニュースや報道が必ずしも完全な事実を提供するわけではない、という観察は重要です。メディアは、特定の視点や解釈、あるいは特定の物語を強調するために、選択的に情報を提示することがあります。

視聴者が情報を多角的に捉えるのは確かに困難ですが、それは視聴者が自分の思考や認識に対して批判的になる、または異なる情報源から情報を得るといった戦略を採用することで、ある程度緩和されることがあります。

しかし、あなたが言うように、これが絶対的な解決策というわけではありません。すべての情報が100%中立的であるわけではなく、個々の解釈はそれぞれの観点や事前の認識に影響を受けます。これは必然的なことで、人間の認知と情報処理の過程の一部です。

全体として、この現象を認識し、情報に接する際には慎重さを持つことが重要です。自分自身の認識や判断を批判的に評価し、可能な限り多角的に情報を取得することが望ましいです。


つまり、改善はできないのです。
必然だから。

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