「悔しさ」は心のアラート
人間は非常に忘れやすい生き物です。
楽しかったことも、悲しかったことも、
日々様々なことを思っては忘れ、を繰り返しています。
生きていく中で忘れてしまう気持ちを少しでも思い出しやすくするために、このnoteをまとめようと考えました。
「悔しさ」は心のアラート
こう感じた経緯は自分のデザイナーとしての仕事がきっかけです。
アウトプットが上手くできず、何か物凄く久しぶりにこの感情と向き合った気がします。
「悔しさ」
日々なんとなく生きていく中で、良いクリエイティブや自分が持っていないスキルを見ると「悔しいなぁ」と思っていました。
でも、思うだけ。何か特別にしようと最近は考えていませんでした。
そこでふと考えました。
「悔しい」とはどういう状況で生まれ、忘れていくのだろう。
心を引っ掻き回されるくらいに悔しいと思った思いも、どうして時間が経つと忘れてしまうのだろうと。
自分の中の結論は
「悔しい」≒「苦しい」でした。
苦しい思いはしたくないです。すぐ忘れたいですよね。
悔しい思いも同様だと考えました。
ただの苦い思い出であれば、忘れても良いと思うのですが、
≒にし「心のアラート」と言い換えた意図があります。
それは、
悔しさとは「気づきのある苦しさ」「いい意味での苦しさ」というものです。
「悔しい」と思える心があることを、自分に知らせるための感情なのではと考えました。つまり自分の可能性をもっと膨らませたいという気持ちを持っていること。成長の意思を自分に知らせているのではないのでしょうか。
しかし「悔しさ」は放置しておくと、慣れ、忘れ、その感覚が遠くに行ってしまいます。それは「苦しい」思いをしたくないからだと思います。悔しさと向き合うということは、自分のできないことと向き合うという意味でもあると思います。
できないことと向き合うのは苦しいし、いやですよね。
でも、放置しておくにはもったないです。
成長や何かの始まりのきっかけかもしれないですから。
それに、悔しさを忘れた先にもう一度同じ悔しさを味わうと、鈍感になっていく自分や、何もしていない自分に嫌気がさしてしまいます。それがまた自分の感覚を鈍らせ、気づかないフリをし、それが普通になっていってしまいます。
同じ悔しさを味合わないために何ができるか。
それはもちろん成長という対策です。
成長するには何をするべきか思考を止めないこと。
その先に待っている、心の奥の方にある本当に自分がやってみたいこと。それに向き合っていく必要があるのではないでしょうか。
「悔しい」と感じたら、何に悔しさを感じているのか因数分解をしてみます。そして、その悔しさの要因を仮説立てたら、その思いをしないために具体的にできることを考えます。その繰り返しです。
人と関わりものづくりをしていく覚悟がようやくできたような気がします。
2回同じ悔しさを味合わないために、自分が今できることはなんだろう。その想いだけは忘れないようにしようと決めました。
しかし、一生この悔しさとは付き合っていかなくてはいけません。
悔しいと思い、行動に繋げる分だけ先は明るいです。
「悔しさ」は心のアラート