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小さく脆い才能でも磨き続ける

おはようございます!

司馬遷のことを時々思います。

歴史書を編纂する家系に生まれ、
ある事件で宮刑という
生殖器を切る罰を
受け入れてでも生き延びて、
史記という歴史に残る書物を書き上げる。

そこまでして書かなければならなかったのか。

どのような気持であったのか
いくら想像しても想像しきれません。

歴史を書きつける才能は
溢れるほどあったのでしょう。
その才能を、
どのような屈辱を受け入れてでも、
ふるったわけです。

才能と言えば、山月記があります。

主人公の李徴は、
あふれるばかりの才能を自覚しながら、
放浪し大成することなく狂った末に、
山で虎になってしまう物語です。

作者は、李徴のことを
臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持つと
表現しました。

自分の才能を自覚・自負しながら、
それはほんものか?と怯え、
才能を磨くことを怠ってしまう。

それならば、凡人として暮らせばよいのに、
自分は人と違う才能があるとするプライドも
捨てられない。

不機嫌で剣呑な雰囲気をまとった人となる。

それを「虎」と表現したのでしょう。

人は、多かれ少なかれ、
天から与えられた才能=ギフトがあると
思っています。

それが大きかろうが小さかろうが、
強かろうが脆かろうが、
ただ取り出して、磨き続けるのが
よいのでしょう。

それしかできませんし。

そうすれば、
少しは幸せに近づける
と思いたい。

今日もよろしくお願いします。

安島

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