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物事の決め方

おはようございます!
 
高校まで、
物事は多数決で決めるもの
と思い込んでいました。
 
学校のクラスでは、
いつも多数決でしたから。
大学でも、なんとなく、
そのような雰囲気が濃かったような
気がします。
 
ところが、社会人になって会社に入ると、
全くそのようなことはなく、
上の人が決めるのだと知りました。
 
外資系はもっと民主的か
と思っていましたが、
逆で、ボスの言うことは絶対で、
「Yes, Sir!」の世界だと骨身にしみました。
 
世の中がそいうものならば、
早く子供の時からそう教えほしかった、
などと子供じみたことを思っていました。
 
15年くらいたち、
トップダウンの世界に慣れた頃に、
国立大学病院の経営改革の仕事
をいただきました。
 
その時の衝撃は今でも忘れませんが、
物事が多数決で決められていました。
多数決で決めるというよりも、
多数決なので痛みが伴う改革案は
決められないということでした。
多数決などをしているから、
決められないのだ
と憤慨していたのを思い出します。
 
ただその後、多数決というやり方が、
なぜ社会の中に生まれ、
あり続けているのかを
冷静に考えたりもしました。
 
現時点で思うのは、
多数決(=民主主義)は、
最悪のケースを避けるためにある
のではないかということです。
良いことなどは半ばあきらめ、
最悪の状態にはならないようにしようと、
考えだしたのではないでしょうか。
 
逆に、多少のミスは許容してでも、
良いことをスピーディーに求めるならば、
権限を誰かに集中させて、
トップダウンでことを進める
のがよいのでしょう。
 
多数決は、最悪のケースを回避するために、
物事を簡単には決められないようにした
人類の英知なのだという気がします。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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