無の境地とは
おはようございます!
無の境地とはどのような境地なのか
と時々考えます。
禅の廓庵さんが書いた
十牛図を良く思い出します。
10の絵が紙芝居のように
展開されたものです。
牛を捕まえようと四苦八苦して、
何とか手なずけると
8番目の絵は何も描いていない
真っ白な絵になります。
解釈は色々ありますが、
牛は自我を表していて、
自我を手中に収めて
自分のものとした段階が8番目
と言われます。
手に入れるまでは、
自分の外にあるので、眼に見えます。
しかし、手に入れると、
自分の中に入り、同化するので
見えなくなるわけです。
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山で雲を目指して登っていると
同じことが起こります。
遠くにある雲を見て
雲を手にしたいと近づいていくと、
雲は霧ですから、
雲を手に入れ、雲の中に入ると、
そこは360度真っ白な世界になります。
十牛図の8番目の世界のようです。
手に入れるとは、
その対象物と一体になることであり、
一体になると対象物は
消えて見えなくなり、
意識からも消えます。
*
習慣もそうです。
英語を勉強しようと、
毎朝、ラジオ英会話を聞き始めますが、
初めは意識しないと続けられません。
しかし、毎朝顔を洗うように、
ラジオ英会話を聞くことが習慣になると、
何も考えずストレスなく
聞けるようになります。
生活の中に同化すると
見えなくなり無となります。
無の境地とは、
周りと同化すること
ではないでしょうか。
意識があるようで無意識で、
無意識のようで意識がある。
起きているようで眠っていて
眠っているようで起きている。
今日もよろしくお願いします。
安島
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