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贅沢とは、自由とは

おはようございます!
 
久しぶりに散歩しました。
 
格闘技を3日連続は疲れるので休みとし、
仕事は懸案だったGoogleの再設定を
済ませることができたので、
なんとなく散歩でも行ってみるかと
寒い中歩き始めました。
 
いつもなら、
ランニングをしようと家を出るのですが、
昨日はそれもせずに、ぶらりです。
 
いったことのない方向に行こうと歩き始め、
何も考えずに時を過ごすと
神社がありました。
 
第六神社とかいう名前で、
無粋な名前だなあと思いながら
神社のゆかりを読んだりしました。
普通の神社でした。
 
それから道伝いに歩いて
行き止まりが多い所なので
遠回りして帰ってくると、
狭い入口の神社がありました。
 
こんなところに神社があったのかと
通り過ぎようとしましたが、
なんとなく戻って本殿までのぞきました。
 
ただそれだけの30分なのですが、
とても豊かな気持ちになりました。
 

 
最近は、やるべきTO DOで
スケジューラーがいっぱいになり、
週末に持ち越し、
それでも間に合わずに
リストが積みあがるばかりです。
 
趣味の運動もルーティン化し、
整体もルーティン化し、
ラジオ英会話も習慣に落とし込んでいます。
 
たった30分の散歩が
これほど豊かに感じられたのは、
そうした目的からはなれて、
意味もなくふらつくことができたから
なのでしょう。
 

 
話は変わりますが、
1989年のベルリンの壁が壊れた時に、
壁の上でつるはしをもって
レンガを壊している勇ましい映像が
あります。
 
その時、テレビインタビューをみました。
「我々は西側に移民したいわけでも
亡命したいわけでもない。
ただ、道の向こうに行って
お茶を飲んで帰ってきたいだけなんだ」
 
そんな些細なことでも、
やってはいけないと言われると、
閉塞感を感じるものなのかと思いました。
 
校則と同じです。
 

 
ただの散歩が大げさな話に
なってしまいました。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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