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手帳をオンラインにした時

おはようございます。

オンライン手帳はとても不安でした。

紙の手帳にスケジュールを書いて
仕事をしてきたわけですが、
それをオンライン上に入力し
スマホで見るわけです。

何か月も先まで予定しているので、
それがなくなったら、
シャレになりません。

恥ずかしながら、最初の2-3か月は、
紙に書いてそれをスマホで入力し、
二重管理していました。

二重管理ゆえに、
間違った予定が出てきたりして、
これはいかんと
オンラインだけにしたのを覚えています。

昔の人のことに思いを転じます。

文字が使われた頃、
印刷が始まった頃
のことです。

便利になってよかったね
と教科書では習いますが、
本当にそうだったのか?
とも思います。

言葉で自分を表現していた人が、
自分の考えを文字に書きつけたとき、
言霊として大切なものが、
物としてコロリと目の前にあるのを見て、
不安を覚えたのではないか?と想像します。

文字が印刷されると、
それが不特定多数の人の手に渡るわけです。
途中で書き換えられたり、
嘘を印刷されて偽りの自分が
知らないところで広まったりしないかと
不安を覚えたかもしれません。

今となっては笑い話ですが、
結構本質をとらえている気もします。

ネット上に出回る自分のイメージは、
本当の自分とは違います。
本当の自分のほんの一部を
切り取ったものにすぎません。

あるいは、SNSで様々な書き込みをされて、
本当の自分とは似ても似つかない自分が
出回っているということは日常茶飯事です。

場面は変わりますが、
世話になっている銀行に行って、
知り合いの銀行マンと手続きをしているときに、
本人証明をできるものありませんかと問われ、
運転免許証を持ち合わせてなく戸惑いました。
相手は、私が私であることをわかっているのに、
免許証がないと本人と認定出来ないのです。

出回っている私の一部の情報が
私を証明するものとなり、
本物の本人は私を証明するものとならない
という倒錯が生じています。

本物の私は、ノイズが多すぎて、
本人証明とならないのでしょうか?

面白い世の中になってきました。
先が楽しみです。

今日もよろしくお願いします。

安島

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