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はじめて肉眼で見たクナシリ

私は29歳になって初めて、肉眼で国後島を見た。
別海町の道の駅。遠い海の向こうにうっすらと見えるのが、そうだと言う。
晴れた日の午後、静かな海とそよ風が吹くだけ。そのはずなのに、
静けさの中に響く叫びや、怒りが聞こえるようだった。

私は車を走らせ根室へと向かった。
そもそも今回の旅は、「ただ、納沙布岬へ行ってみたかった」という
深みのない理由からだった。
そんな軽い気持ちを蹴とばすような、「返せ」と書かれた看板たち。
怒り、悲しみ、憎しみが漂っている。
ニュースでしか、聞いたことのないような話。
ウクライナの件が脳裏によぎる。
戦争というものは、決して対岸の火事ではない。
なんなら、もう、この町も燃えているのではないか。

別海町の道の駅の資料館で時間を使ってしまい、
納沙布岬についたのは、陽が沈んでからだった。
16:40。館員の方々も今日も一日終わった…
という顔をしていた。
なんだか申し訳なかったが、時間いっぱい、資料を見た。
自分の無知に、この北方領土問題の深さに気づいたからだ。

驚いたことがいくつかある。
一つは、ロシアとの交流会があったことだ。
ウクライナ問題後、外交が悪くなり中止になっているとのこと。
しかし、それまではロシア人の子供と、
日本人が交流している写真があった。
この子にとっては、国後島や北方領土が故郷になるのだろう。
そう考えた時、日本人が北方領土を取り返すということは、
この子にとっては、「取られた」となるのだろうか…。

続くように、日本はロシア人の人権を尊重すと意思を示しているらしい。
外務省が無料で配布しているパンプレットに記載があった。
住んでいるロシア人たちを追い出すようなことはしないらしい。
素敵な話だと思うが、いがみ合う国同士。
信用し合えるかは、難しく思える。

このように、がんじがらめの糸をどうほどくのか。
気の遠くなるような深さに、がくんと気が重くなった。

第二次世界大戦終戦頃、
ロシアは釧路と留萌を線で結んで、それより北を
自分たちのモノにしようとしていた。
それをアメリカに止められたことで、
今の北海道が無事であるとのこと。

日本は樺太半分を日露戦争で奪い、第二次世界大戦で
北方領土を取られた。
戦争は、誰が悪なのか分からなくなる。

最後に、納沙布岬の資料館2階にあるホワイトボード。
その思いを自由に描くスペースに、沢山心無い言葉があった。

「ロシア人なんて〇〇。」「ロシア人なんて〇ね。」

こんな言葉が、日本人の間で蔓延しているかと思うと、
悲しくなる。
このような言葉を交わす限り、きっとお互いが納得することは
ないのだろう。
確かに、先代の人々の怒りや悲しみを思うと、
言葉が出ない。言葉が出ないが、
怒りや憎しみだけでは解決できない。
そんな気もする。



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