ワインの香り物質~ピノ・ノワール編~
はじめに
ワイン愛好家にとっては言わずもがなの品種、ピノ・ノワールの香りを構成する化合物をまとめていきます。
ピノ・ノワールは霜害を受けやすく、果皮も薄いので病気になりやすい、機械収穫に向かない、低収量など、栽培者泣かせの品種です。一方で優れたピノ・ノワールのワインは他と一線を画す幻想的な香りを生み出します。
ピノ・ノワールに対して一般的に使われるテイスティング表現として、”赤系果実”、”花のような”、”ジャム”、”なめし皮”、”スパイシー”、”腐葉土”などが挙げられると思います。そんなピノ・ノワールの香りをサイエンスの視点から少し掘り下げて覗いてみましょう。
※この記事はLongo(2021)らのレビュー論文がベースとなっています。
ブドウ由来の香り(第1アロマ)
テルペン
ブドウ由来の香りで重要なものの1つとしてテルペン類、とりわけモノテルペン類の存在が挙げられます。モノテルペン類は通常、植物の中で配糖体として存在し、発酵や熟成の過程で加水分解によって糖が外れ、香気成分として立ち上がってきます。
ピノ・ノワール中に含まれるモノテルペン類の代表例としてリナロールやゲラニオールが挙げられます。これらはピノ・ノワールだけでなく多くのワイン中に見られる香気成分です。
モノテルペン類は一般的に”フローラル”や”シトラス”といった香りに寄与しますが、Rutanら(2014)の研究では、モノテルペン類の増加によって”スパイス”、”フローラル”、”木のような”、”フルーツジャム”といった香りに大きな影響が生じたと報告されています。まだ十分にわかっていませんが、ピノ・ノワールのワインにおいてモノテルペン類は、直接的にワインの香りに寄与するよりむしろ、間接的な効果が大きいと考えられています。
Yuanら(2016)の研究では、図2に示すように、リナロールはべレゾン以降減少し、一定の濃度に収束しますが、ゲラニオールはべレゾン以降減少した後、ある時期から再度濃度が大きく増加しています。
C13-ノリソプレノイド
ノリソプレノイドは主にカロテノイドの分解で生じてきます。
ピノ・ノワールにおけるノリソプレノイドの代表例はβ-ダマセノンとβ-イオノンです。
β-ダマセノンは単体だとバラのようなフローラルな香り、リンゴ、花梨などの香りを呈しますが、それ以外にも紅茶やハチミツなどといった香りとも関連があるようです。果実をよく熟させることで、β-ダマセノンの量は劇的に増加します。アルゼンチンやオタゴのピノ・ノワールはβ-ダマセノン量が多く、オレゴンではむしろ穏やかな量のようで、ピノ・ノワールの地域的な特徴にも寄与しているという話があります。
β-イオノンはスミレのようなフローラルな香りやラズベリーのような香りを呈します。β-イオノンの果実中の総量はβ-ダマセノンほど劇的に変化はしないようです。ちなみにβ-イオノンに対する感受性は遺伝的に決まっており、25~50%の人が嗅盲と言われています。(Plottoら, 2006)
また、Risticら(2010)によると、β-ダマセノンやβ-イオノンが香気に与える影響については、栽培による蓄積もさることながら、果実中では多くが糖と結合している状態を取るため、醸造過程でどれだけフリーの状態で放出されるかがより重要だと述べています。
発酵由来の香り(第2アロマ)
高級アルコール
高級アルコールは400 mg/L以上で”フーゼル油”のような臭いを呈しますが、それ以下ではワインに”複雑性”を与えます。また、高級アルコールはエステルなどの他の香気成分の知覚にも影響を与えるようです。
ピノ・ノワールのワインにおいてはフェネチルアルコールとイソアミルアルコールが重要な化合物として挙げられています。フェネチルアルコールはバラ様の香りを呈しますが、ワイン中では”スミレ”、”プラム”などの香りに寄与します。イソアミルアルコールはフーゼル油の主成分で、”過熟なバナナ”などのアロマに寄与します。
また、炭素数6のヘキサノールやヘキセノールなどもピノ・ノワールの果粒中に含まれ、青臭い香りを呈しますが、ワイン中にはほとんど残らないとされています。
エステル
エステルもピノ・ノワールのアロマに大きく影響していると考えられています。エステル単体では”フルーティー”な香りに寄与します。
一般的にワインに含まれるエステルは、エチルエステル類(エタノールとなにかしらの脂肪酸の結合)と酢酸エステル類(なにかしらのアルコールと酢酸の結合)に分かれます。
Tomasinoら(2015)のニュージーランドのピノ・ノワールを対象にした実験では、ピノ・ノワールのワインにとって重要なエステルは、エチルエステル類ではイソ酪酸エチル、イソ吉草酸エチル、酪酸エチル、カプロン酸エチル、カプリル酸エチル、デカン酸エチル、酢酸エステル類では酢酸エチル、酢酸ヘキシル、酢酸イソアミルと報告されています。
また桂皮酸エチルとヒドロキシ桂皮酸エチルも閾値が低く、”フローラル”、”スパイシー”、”はちみつ”などの香りを呈します。
脂肪酸
脂肪酸は炭素鎖の一端にカルボキシ基を持つ化合物群です。適度な濃度の脂肪酸はワインに”複雑性”を与えます。しかし、過剰量になると、”汗のような”、”バターが腐ったような”、"脂っぽい"、不快な香りを呈します。
ピノ・ノワールのワインではイソ酪酸、イソ吉草酸、酪酸、カプロン酸、カプリル酸などが検出されています。中でもカプリル酸やイソ吉草酸の寄与が大きいと考えられています。
熟成由来の香り(第3アロマ、ブーケ)
揮発性フェノール
オイゲノールやグアイアコールなどはポジティブな揮発性フェノールの香気成分です。オイゲノールは”スパイシー”、”クローブ”、”木のような”香りを呈します。グアイアコールは"薬品のような"、”スモーキーな"香りを呈します。どちらも樽から抽出される代表的な物質ですが、オイゲノールはフェニルプロパノイドの一種として、ブドウ内でも合成されるようです。(Linら、2014)
また、ポジティブな香りではないですが、フェノレと呼ばれる欠陥臭の原因となるエチルフェノールやエチルグアイアコールも揮発性フェノールです。これらはブレタノマイセス属酵母や一部の乳酸菌(Lactobacillus plantarumで確認)で産生されます。(Santamaríaら, 2018) フェノレの臭いは"馬小屋臭"などと表現されます。
ラクトン
ラクトンは環状エステルのことで、同一分子内でエステル化反応を起こすことで環状になります。美しいですね。
ワインで重要なラクトン類は主に4つで、γ-ノナラクトン、ワインラクトン、ソトロン、オークラクトンになります。
γ-ノナラクトンは"焼いたフルーツ"、"桃"、"ハチミツ"、"シナモン"などの香りに寄与します。ラクトンはだいたい樽由来ですが、γ-ノナラクトンはブドウ由来、発酵由来、樽由来などと様々です。グルナッシュなどでよく見られ、ブドウの過熟の指標になり得るそうです。(Ferronら, 2020) ちなみにピノ・ノワールではまだよくわかっていません。
ワインラクトンは"スパイス"、"焼いたパン"の香りに関与します。ブドウ中に前駆体が配糖体で存在しており、発酵を通して徐々にワインラクトンへと変化していくと考えられています。また、この変化はpHや温度の影響を受けます。pHが低いほど、温度が高いほど速く進行します。(Giaccioら, 2011)
ソトロンは"メープルシロップ"の香りと表現されます。ポートワインやヴァン・ジョーヌ、シェリーなど酸化的なワインで特に重要な香気成分です。(Waterhouseら, 2016) α-ケト酪酸とアセトアルデヒドの反応によって産生されます。どちらの物質も必ずワインの発酵過程で生じるので、ピノ・ノワールに限らず重要そうですね。
オークラクトンはラクトン類の筆頭ですね。通常、「ラクトン」と言うと、樽から抽出されるオークラクトンのことを指していると思います。別名ウイスキーラクトンとも言います。”バニラ”や”ココナッツ”などの香りを呈します。4つの鏡像異性体が考えられますが、ワイン中で主に見られるのは2つで、シス-ラクトンとトランス-ラクトンと呼ばれます。割合としてはシスの方が多い(>75%)ですが、徐々にトランス体へと変化していきます。またオークラクトンは前駆体の形でも樽に含まれており、ゆっくりとオークラクトン生成反応が進行していくため、樽から引き抜いた後もオークラクトン量が増加することがあります。(Wilkinsonら, 2013)
その他の化合物
アルデヒド
ピノ・ノワールのワインにおいて、アルデヒド類の中で最も重要な香気成分はベンズアルデヒドです。ベンズアルデヒドは本来、ビターアーモンドの香りとして知られており、ピノ・ノワールのワインでも微量ながら含まれていて、"オーク"や"スパイス"の香りに寄与し、含有量が増えると"ラズベリー"の香りにも影響するようです。ベンズアルデヒドは酵母や灰カビ菌(Botrytis cinerea)の代謝によって作られます。(Delfiniら, 1991) また樽からの抽出もあります。(Cadahíaら, 2003)
チオール
一般的にチオールは柑橘やトロピカルフルーツなどの香りに寄与し、ソーヴィニヨン・ブランなどの白ワインの香りに重要な化合物群ですが、ピノ・ノワールにおいても重要である可能性が示唆されています。4-メルカプト-4-メチル-2-ペンタノン(4MMP)や3-メルカプトヘキサノール(3MH)は閾値以上の濃度で存在することが認められていますが、におい嗅ぎガスクロマトグラフィーによる分析では検出されませんでした。
メトキシピラジン
メトキシピラジンは以下の記事で細かいことを書きました。土っぽさや青臭さを呈する物質です。本来、ピノ・ノワールの果粒はメトキシピラジン合成酵素が一部欠損しているので、メトキシピラジンを作れません。しかし、梗には含まれるので、例えば全房などで発酵するとワインにメトキシピラジンが含まれることになります。
また、全房でなくとも、梗がわずかに混じったり、テントウムシが混入したりするとメトキシピラジンが検出されます。
まとめ
以前下記の記事で香り物質についてまとめましたが、今回はピノ・ノワールに焦点を当てて調べてみました。何度も調べないと私も化合物の名前や特徴はなかなか覚えられないです。。。
結局ピノ・ノワールを含め、ワインはこうした化合物を寄せ集めた液体なわけですが、それでは説明しきれないほどの魅惑の香りがあるというか、掘り下げたところで野暮だなと思ったりもします。
参考文献
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