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ナラティブとアイロニーとお店屋さんごっこと猫のドット絵ゲーム、『ニャー次郎』

はじめに

2022年11月にSteamで発売された、02GAMES制作の低価格ゲームである『ニャー次郎』がよかったので、オススメレビュー記事を書いてみます。
ウィンターセールの対象なので、カートに余裕があれば入れてみてはいかがでしょう。

公式の紹介文はこうです。

『ニャー次郎』はコンビニアルバイトシミュレーションと育成・収集を掛け合わせた癒し系ゲームです。
お会計と商品の補充、レンジ、清掃、ソフトクリームを巻くなどの仕事をこなして、獲得した報酬でニャー次郎を満足させます。
猫と二人きりの温かい日常はここから始まります。

『ニャー次郎』Steamストアページ

定価はお安く500円。
同じ作者の低価格動物ゲームとセットだと、もっと安いかもしれません。『もんたろう』と同じ作者と言えば、Steam利用者にはわかるかも。
かわいいドット絵の通り、手に汗握る大作ゲーとかではないんですが、いい味わいのゲームでした。

ちなみに『ニャー次郎』を知ったきっかけは、Vtuber名取さなさんの配信です。
インターネット流のおふざけをモリモリでやってて楽しい配信なので、よかったらこちらもどうぞ。


癒しゲーに見えるけど?

『ニャー次郎』はぱっと見た感じ、猫とイチャイチャする癒し系ゲームに見えます。
日本語タイトル画面には『猫奴隷のコンビニアルバイト生活』という、現代の禁止コードに挑戦するようなイイ感じの文言があるわけですが、これもまあ、ネットのオタクが「お猫様の奴隷❤」なんてふざける時に使いがちな言葉遣いです。
よって、社畜労働をネタにする斜に構えたユーモアと、ネコちゃんの可愛さが魅力のゲームだと思えるでしょう。
私も、Steamの製品ページだけ見たときはそう思いました。

しかし、違うのだ!
大枠ではあってるけど、このゲームの魅力やな楽しさの中心となるものが、違う!
このゲームが持つ一番の魅力のは、猫の可愛さやふれあいでは、ない!!! ……と思う!

猫は可愛い

もちろん猫は可愛いのですが、それ以上に、コンビニ店員としてのバイトパートが印象に残りました。
それは、プレイ時間としてはミニゲームをやるバイトパートが当然長くなるというだけの意味ではなく、面白さの核としてバイトパートがあるように感じたのです。
いったいどういうことなのか?
このnoteでは、本作の魅力を「ナラティブ」と「お店屋さんごっこ」の2つとして説明しましょう。


魅力1:ナラティブ

本作はストレスを楽しませるゲーム性である

ナラティブな魅力について……を語るために、まずゲーム全体について説明します。
『ニャー次郎』は、家で猫に餌をやったり家具を買うおうちパートと、コンビニ店員としてレジ打ちや商品補充などのミニゲームをこなすバイトパートを繰り返すゲームです。
おうちパートは猫を愛でてコレクションを買い集める時間なので、ゲーム性はバイトパートが担います。
画像の通り、ドット絵が綺麗で細かいです。日本のコンビニがモデルなので、日本にある商品のパロディが売られ、ポスターも日本語です。(テキストに稀に繁体字が混ざるので中国作品だと思うのですが、日本マニアなのか?) 差分も多くて、商品が売れるごとに棚の品数が数段階に分かれて減っていきます。SEも気を使っており、アルミ袋のポテチと筒ケースのポテチでは違う音がします。

おうちパート
コンビニバイトパート

で、そのワンオペコンビニ仕事なのですが、マーーージで忙しい。
昨今ネットで言われる「コンビニ店員って簡単なバイトの筆頭みたいに思われてるけど、やることがめちゃ多いし、しかもワンオペだったりすると超大変」というネタが発想元にあるのかもしれません。
レジ打ちして、品補充して、掃除して、レンジでチンして、お客様を待たせすぎちゃ駄目で……手が足りるかこんなの!
とはいえ、クリアのための難易度が高いムズゲーだというわけではないです。
なぜなら、別にミスっても仕事は終わりますし、失敗を繰り返して給料を引かれても、自分や猫が飢え死ぬわけではないからです。

『Papers, Please』に比べると基本給が高い。資本主義サイコー!

単純作業を時間に急かされながらやる、という意味で本作は共産主義国の国境検問ゲームである『Papers, Please』に近いです。
しかし『Papers, Please』は生活がカツカツなのでミニゲームで失敗しているとすぐ飢えるのに対して、ニャー次郎は資本主義社会の一人暮らし(with猫)であり、減給されても飢えたり凍えたりしません。Capitalism, Ho!
では、何をモチベーションとし、何を楽しんでこのゲームをするのか?
その一つは、ストレスを楽しむことだと思います。
「レジが激混んでるのに、あっちで床汚してる奴がいる! レンジ4つとも使ってるのに弁当温め頼むなよんンモおおお!」というストレスフルな店員さんの気持ちになり切る、それが『ニャー次郎』というゲームが提供してくれる楽しさなのです。
だから、忙しすぎて全部の仕事を完璧にこなすことが困難なことも、かといってゲームオーバーにならない事にも意味があるのです。
終業時には「やった、むずかったけど今日の仕事はノーミスでクリアできたぜ!」という達成感ではなく、「ほんともうあの客、あの客よ~! ああ、疲れた……」という疲労感が味わえます。
ミニゲームをクリアすることではなく、ミニゲームをプレイしている最中の心の動きを楽しむ作品でしょう。

ここで読者のみなさんは疑問を持つかもしれません。
ストレスが楽しいなんてことあるか? マゾゲー的な、人を選ぶ楽しさではないのか?
これがね~、楽しいんですわぁ。
特に、ストレスに対して、素直にリアクションができるってのが楽しいです。雑に言っちゃえば、キレていい!
たとえば現実のコンビニバイトだったら、レジに人が並んでいてうんざりしていても、穏やかで丁寧な接客をすることが求められます。(少なくとも日本では)
他の職業でも趣味でも、やることがが積み重なった時に「期日に間にあわないな、完全放置だわ!」ということはなかなかできません。そんなことをしたらたいてい後悔します。
でも『ニャー次郎』はゲームなので許されます。

俺は今品出しと掃除を頑張ってるの! レジで客が並びまくってる?

うるせ~~~~!!!
知らね~~~~~~!!!!!!

🐈

Meowji
ro

また、レジでお客さんが出す商品にも、ちょこちょこキレたくなるポイントが紛れ込んでいます。

めちゃめちゃお釣りがめんどくなる出し方してんじゃねー! だから顔がねえんだよ!
といっても、ゲーム内で客に殴りかかったりはできません。
あくまでプレイヤーの私が画面の前で「千円札出すなおっさん!」とか思ってるってことです。
そして、そこがいい。
もしも『ニャー次郎』のゲーム内で本当に暴れることができたら、一瞬の爽快感と引き換えに、あとはGTAみたいな大暴れ破壊アクションの方へ楽しさが変わってしまうでしょう。
そもそも、本気でお客さんに不快になるわけではありません。
ストレスを感じるコンビニバイトのロールプレイをして遊んでいる、というのが正確です。
ゲーミングお嬢様を真似て遊ぶ時みたいな。気の利いたdisりを考えてふざける楽しさとも少し近いと思います。
コンビニ店員としてヒーコラ言ったりキレてふざける状態を楽しみ続けるためには、あくまでバイト仕事を勤め上げるゲームである方が適切なんですね。

それに、大量の仕事でパニックになる感覚自体が、ストレスなだけでなく快楽も含んでいると思います。
一見不思議な心理かもしれませんが、フィーバータイムと考えると納得しやすいでしょう。
ピンボールやブロック崩しでのボール分裂モードとか、アクションのボーナスステージで大量に雑魚が湧く時とかって、フィーバーであると同時に、とても手が追い付かないパニックと同じ感覚も発生していると思います。
最近の流行ゲーだと、『Vampire Survivors』もそうですね。

勝ち確状態

『Vampire Survivors』は周囲360°から現れる敵を倒してレベルを上げていくゲームなので、敵が大量にでる時間帯は、自キャラが弱ければ押しつぶされないよう必死に逃げるパニック状態、自キャラが強ければザクザク狩って経験値を得るフィーバー状態、微妙なところならばそれらが混ざり合った気持ちとなり、いずれにしても興奮状態を楽しむことになります。
このように、パニックとフィーバーって、悪いことと良いことで正反対のようでありつつ、その味わいには共通点があると思います。
『ニャー次郎』でお客さんがたくさん来る時間帯はおおむねパニック寄りですが、しかしそこに気持ちよさもあるのです。


ストレスにプレイヤーごとの物語がある=ナラティブ

そろそろナラティブの話に繋げましょう。
ここまで述べてきたように、『ニャー次郎』は忙しさによるストレスが楽しさになっているゲームです。
それが実現できているのは、難易度調整ならぬストレス調整がうまいからです。
つまり、店を訪れるお客さんの緩急がいい。
そして、それはただ忙しさのメリハリというだけでなく、プレイヤーが勝手に物語を想像できるようになっています。
その意味で、ナラティブな魅力があると私は考えます。

ナラティブとは何か。
色んな分野で便利に使われる言葉ですが、ここでは「あるコンテンツが、参加者が主体的に行動したり決定したり解釈したりできる作りになっているので、参加者によって違う流れや、その人だけの物語が作られ、印象深い体験になる」みたいに考えておきましょう。
2011~12年頃から、ナラティブはゲーム分野で流行語になっており、2013年のゲームイベントで行われたナラティブセミナーのレポート記事などはわかりやすいです。

このセミナーでは、メタルギアソリッドなど、リッチな映像とムービーと言葉で製作者が練り上げた物語をプレイヤーに聞かせるゲームを、ストーリー型と呼んでいます。
一方でナラティブ型のゲームは、情報を絞ってプレイヤーに体験させることを主眼とします。
(もちろんほぼすべてのゲームにストーリー面とナラティブ面はあるので、完全に分離できるわけではなく、より重点を置いているのはどっちかという視点での分析です)
その上で、「ナラティブゲーっぽい」と呼ばれる作品群は、デフォルメのきいた抽象的な見た目や、ミニマルなゲームデザインなど、オシャレでハイセンスでいささか雰囲気ゲーっぽいイメージがあると思います。
ここには、ナラティブな魅力はグラフィックなどが質素でも発揮することができるために、見た目にかけるリソースを削って他に回しがちだからという理由があるようです。
また、有名なナラティブゲームである『風ノ旅ビト』のビジュアルが抽象的デフォルメ系だった影響も強いでしょう。
しかし、そのようなオシャレな雰囲気は、ナラティブゲーの必須要素ではありません。上記セミナーでは、トルネコやシレンのようなローグライクゲーもナラティブの魅力があると説明されていることからもそれがわかります。
そして『ニャー次郎』は、猫ゲーっぽさやバカゲーっぽさのある題名と、animeゲーっぽいかわいいキャラデザですが、実はいかにもナラティブな魅力を持っているのです。

『ニャー次郎』でお客さんや仕事が来るペースは、おそらく、「忙しい設定の日と余裕のある設定の日」「一日の中でも忙しい時間と暇な時間」「客ごとの買い方の癖」「プレイヤーが仕事をこなす順番」「ランダム」などが絡み合って決まっています。
その、計算された部分とランダム性の噛み合い方がちょうどいいために、単にアクションゲームで敵が押し寄せてくるラッシュタイム以上に、独特の物語性のようなものを感じることができるのです。
欠品が連続発生して、それらをなんとかギリギリ時間内に解決して、長い列ができているレジまで走って戻り、息を切らせて「お客様どうぞ」と呼んだお姉さんがレジに置いたのが、作るのが超めんどくせえソフトクリームのXLを3つ注文するカードだったりした時なんか、「お前さ~~~! ていうかクソ長ソフトクリーム3つってどういう持ち方するつもりだよ姉ちゃん! ロロノアゾロか!?」と画面の前で言いたくなりますね。
かと思えば、「もういっぱいいっぱいで限界だよ~~!」って時に来るお客さんが、バーコードチェックしやすい大き目の商品を1つ2つだけで、お釣りなしのピッタリなお金の払い方をしてくれて、「好き……」となってしまうような場面もたまにあり、感情の起伏が激しくなります。

ピッタリ34円出してくれるオタク君、好き……

また、プレイヤーによっては気づかないようなストレス要素が生まれることもあります。
たとえば、レジに置かれたのが弁当一個で楽なお客さんかと思いきや、弁当をどけたら下にソフトクリームの注文券もあって「ソフトもかよ! ってか変な置き方するなよ!」となるみたいな、実際のコンビニでもありそうな状況。
こういうのは、プレイヤーの主体的な察知能力への報酬としてもらえたストレスであるがゆえに、特に強く感情移入して「ンモ~!」となれるんですね。


フレーバー面でもナラティブ

さらに、『ニャー次郎』は、仕事の内容だけでなく、お客さんの見た目や、買い物内容などのフレーバー面でも、物語を想像したくなるナラティブ性を提供してくれます。

たいていチュッパチャプス1本だけ買うお姉さん

見ての通り、本作のお客さんたちは、ビジュアルだけでもキャラ立ちしています。
ゲーム内でお客さんのセリフは一言もありませんが、外見だけで、「こんな人だろうな」と想像できます。
そのキャラクターがいかにも見た目のイメージに沿った買い物をしていると、納得感と共に、キャラ立ちがもっと強まります。
では、外見にそぐわない買い物をしてきたら?
プレイヤーは「えっ、このお客さんこんな買い物するの? なんでだろう? もしかして○○とか?」などと勝手に予想したくなります。
口調すらわからないので、性格やライフスタイルはプレイヤーが情報を組み合わせて想像し、それぞれの生活を勝手に作り上げることになります。
ここでもやはり、プレイヤーによって違う物語が読み取られるのです。

たとえば、毎回大量の酒を買っていくお姉さんがいます。この時点でめっちゃ魅力的。

酒カスお姉さん

彼女が、ある日は酒と一緒にZテンドープリペイドカードも買っていったとします。
「おっ、これから酒飲んで徹ゲーっすか、ご機嫌なゲーム体験っスねえ!」って気持ちになります。
でも、酒飲み姉ちゃんがこれから酒飲んでゲームというのは、私が勝手に想像した、彼女の生活という物語です。
このように、『ニャー次郎』をプレイしていると、勝手な想像をしたくなります。
現実では、他人の買い物内容から勝手に生活や性格を推測する覗き見趣味はほめられたことではありません。でもこれはゲームなので、存分にやって良いのです。

色気のある主婦風の人。何気に正露丸のドット絵も細かい。

主婦っぽい人が胃薬を買ってたら「お大事に」ってなるし、やつれたサラリーマンっぽいおじさんがお弁当三つ買ってたら「職場でパシらされてんのかな」とか思うし、酒のお姉さんがおにぎりも買ってたら世話焼きの女友達に食事しろって怒られたのかなと百合妄想をしたくなります。
また、同じような買い方でも、こっちの状態によって感情は変わったりもします。
同じ酒とゲームの買い物でも、仕事が溜まっていて疲弊してる時なら、「これから酒飲んで夜通し新作ゲームってか~? こっちはひいこら働いてんのによお!!」と言いたくなっちゃうわけです。
その時その瞬間に私というプレイヤーがやってるからこその感情であるため、味わいが強まります。

このように、仕事が出てくるペースと、魅力的なお客さんの絵、それにランダム要素の噛み合い方から、プレイヤー個々で違うドラマチックなストレスを主体的に読み取ることができるようになっています。
ドラマチックなストレスはペーソスであり悲劇です。そして悲劇に酔うことは魅力的な体験です。まして自分自身の発見や行動によって見出された悲劇であればなおさらでしょう。
『ニャー次郎』にナラティブな魅力があるというのは、こういう意味です。
バイトの仕事が多くてキレるとか、客の生活への勘繰りなんてのは、しょうもないといえばしょうもないことです。
しかしそれが妙に印象深く楽しいのは、ナラティブによる没入感のおかげだろうと思います。


ストーリーゲーである『VA-11 Hall-A』との比較

やや余談になりますが、名作ストーリーゲームである『VA-11 Hall-A』と比較してみましょう。
『ニャー次郎』はたぶん、『VA-11 Hall-A』を意識しています。
おうちパートで操作するスマホのレイアウトや機能はわかりやすく似ています。
仕事画面が一人称視点であり画面をクリックして作業すること、職場と家の往復であることなども共通点です。

ニャー次郎
ヴァルハラ

しかし、『VA-11 Hall-A』は製作者が作り込んだ物語を楽しむゲームです。
ナラティブ寄りの『ニャー次郎』と対照的に、『VA-11 Hall-A』はノベルゲームと同様にストーリーに重点を置いた作品だと言えるでしょう。
(ただし、『VA-11 Hall-A』は客の注文に対してどのように作ったカクテルを提供するかでテキストが変わる仕組みにしたことと、カクテルのミキシングもプレイヤーに作業させて没入感を持たせたことで、会話中の選択肢を押すだけで物語が分岐する多くのノベルゲーに比べればナラティブ性を増やしてはいます)
『VA-11 Hall-A』はセンスあふれる会話劇によって、作り込まれたキャラクターと物語を楽しめますが、描写を整理できていないと、物語に置いていかれることもあります。
一方で『ニャー次郎』は明確な物語やキャラクター付けの情報がなく、それゆえにもっと刹那的で、勝手な空想で遊べるという、逆の体験になっています。
『VA-11 Hall-A』は腰を落ち着けてプレイすることで深い満足感を得られ、『ニャー次郎』は軽い気持ちでプレイできます。
コンビニの激務ワンオペバイトという舞台設定ですから、斜に構えたユーモアが漂っており、その舞台の上で色々な物語を想像するナラティブな材料を提供してくれるし、忙しさにあたふたして「もう労働はコリゴリだよ~!」とふざけることもできる、それが『ニャー次郎』というゲームの魅力の一面です。


魅力2:お店屋さんごっこ

本作の楽しさを説明するもう一つのキーが、「お店屋さんごっこ」です。

前節で説明したような、斜に構えたユーモアとナラティブという魅力は、多少のリテラシーが必要とされるものです。
しかし、『ニャー次郎』をプレイしてみると、もっと素朴で懐かしい楽しさもあり、子供心に帰れるゲーム体験のようにも感じられます。
それは、『ニャー次郎』には「お店屋さんごっこ」の楽しさもあるからだと私は思います。

子供がお店屋さんごっこをする時の小道具といえば、オモチャのお金とオモチャのレジスターでしょう。
そしてレジスターの機能を整理すると、「バーコードスキャナー」「金額を計算する電卓」「お金をしまう引き出し」になります。
「店員さん、これください」「(ピッピッ)……はい、300円です」「1000円札でいいですか」「はい。お釣りは、1、2、……700円です!」「どーも」「ありがとうございましたー!」ってなわけですね。
そして『ニャー次郎』のレジでやることって、まさに子供のお店屋さんごっこではないでしょうか。
きっと人間は、幼い時から「バーコードピッピと、お金を数えて出すことと、お客さんと交流しつつその内容は事務的である状態」を楽しむ生物なのでしょう。
私はアナログゲーム版の人生ゲームで銀行役をやるのが、面倒というより楽しかったのですが、それも似た性質なんだと思います。
『ニャー次郎』のレジ仕事では、お客さんの出してきた商品を一個一個スキャンして金額と釣銭を表示、お客さんがトレイに置いた硬貨を一枚ずつクリックして回収して、お釣りも一枚一枚クリックして出します。
細々した作業が必要とされるのは、コンビニ業務のチマチマしたストレスを再現するためかもしれませんが、結果的にお店屋さんごっこのお金いじりの楽しさを再現していると思います。

他の仕事にも、ごっこ遊びの楽しさを感じ取ることができます。
時間がかかる厄介な仕事であるソフトクリーム作りだって、マシーンにコーンをセットしてレバーをガシャコンと降ろしてうねうねクリームが出てきて適当なところでガショっとレバーを戻す行為に、私の中の子供心がワクワクしている部分は確かにあるのです。

引きたいレバー(蹴りたい背中)

そしてまた、子供っぽさという視点に立ってみれば、前節で述べた客の買い物から生活を勘繰る楽しさというのも、小学生くらいに一番躊躇いなくやりそうな素朴な意地の悪い楽しみだと考えることもできます。
仕事の忙しさにムキーッ!となるのも、大人びたソトヅラではなく、素直な我儘の発露でもあります。
さらに言うまでもなく、家に帰った時の猫の可愛さは、子供でもわかる快感です。

現代は、SNSと道徳的啓蒙らしきものに覆われ、己の幼さを発露することが危険になりました。
そんな時代において、『ニャー次郎』は癒しである……かどうかはよくわかりませんが、仕事に忙殺されるゲームであるにも関わらず、なんともいえない解放感があったのでした。


アップデート計画もアリ

制作者は今後のアップデートにも意欲的で、発売一週間で猫へのなでなで機能と猫の鳴き声が追加されました。
さらにミニゲーム追加やお客さんのリアクション追加など、色々アップデートする計画がある様です。
……と、この記事を書くのに一カ月半かけていたのでアップデートが来てしまいました。
猫のモーションが追加されたり、抱き上げる(頭の上に持ち上げる)ことができるようになったり、家具絡みの行動をしたり、とにかく猫の可愛さを強化したアプデみたいです。
今年中に、新しい猫や家具の追加もするそうで、精力的ですね。


まとめ

コンビニワンオペ激務労働という斜に構えたユーモアと、仕事の忙しさの緩急やお客さんの見た目と買い方から自然と物語性を読み取ってバイトの立場に没入したくなるナラティブ、そしてお店屋さんごっこという子供心をよみがえらせる楽しさ。
それらを兼ね備えた『ニャー次郎』は、低価格の小さなゲームではありますが、しっかり魅力あるゲームだと思います。

前述の通り、Steamのウィンターセールでも少し安くなっています。
ここ30日のユーザーレビュー57件のうち好評が92%となっております。

『ニャー次郎』を遊ぶきっかけになった名取さな。


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