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こどもの頃好きだったこと~野球~

こどもの頃、好きだったことについて何回かに分けて書いてみようと思います。
好きなことはたくさんあったのですが、今回は野球のことについて書いてみたいと思います。
とはいえ野球をやっていた、とかそういう話ではありません。
自分が小学生の頃、キャプテン翼が大流行し、その影響でサッカーが大人気でした。僕自身も小学校時代は部活動でサッカーをやっていました。
ただ、それをもう少しさかのぼると、僕のスポーツにおける関心は主に野球にありました。

甲子園とキャッチボール

春夏は甲子園のテレビ中継に夢中になりました。高校球児たちが名勝負を繰り広げるのを見た後は、その興奮のままに外に出て、家の前の道路で兄とキャッチボールをしました。大体僕がピッチャーで兄がキャッチャーでした。その前の試合で自分の好きな選手がアンダースローで投げていれば、その選手になりきってアンダースローで投げます。当然うまく投げられませんでしたが。兄もピッチャーをやりたかったかもしれませんが、弟である自分は兄のボールを受け止められないので、弟である自分が役得でピッチャーになれたわけですw

父ともキャッチボールをしました。
父はリウマチだったので、キャッチボールが自由にできたわけではないでしょうが、こども相手なのでそれくらいはできたのでしょうね。父にノックしてもらって、守備練習もしましたね。別に野球選手になろうと思ってた訳じゃないから、ノックやキャッチボールが親子の遊びとしては割合定番だったのかもしれません。
路上や公園でキャッチボールや草野球をするこどもたちや親子は今よりずっと多かったように記憶していますので、よくある家族像といえばよくある家族像だったのかもですね。
ちなみに自分も親として息子や娘が小学校時代まではキャッチボールをしました。これは自分がこども時代にそうやってキャッチボールをしていたことのおかげかもしれません。

甲子園球場、ナゴヤ球場

高校野球、プロ野球にも親に何度か連れて行ってもらいました。
僕は愛知県出身なので、甲子園は近くないのですが、こどもが野球が好きだというので連れて行ってくれたのでしょう。熱い夏、甲子園名物「かちわり氷」を手に熱戦を観戦したのを記憶しています。

プロ野球も見に行きました。
まだナゴヤドームがないころで、ナゴヤ球場にドラゴンズの試合を見に行きました。一度しか行ってないのかもですが、ドラゴンズが負けてなんとなく消沈した雰囲気で観客がぞろぞろ帰っていったのを記憶しています。
小学生時代はプロ野球の選手名鑑を見るのも好きでした。打率だったり、防御率だったり、そんなのを見ながらテレビで、それぞれの選手の個性のあるバッティングフォームだったり、ピッチングフォームだったりを比較したり、真似したり。いろんな形で楽しんでいました。

プロ野球を10倍楽しく見る方法

小学生の当時、プロ野球の珍プレー好プレーのテレビ番組がよくやっていて、それを見るのも大好きでした。
多分、1983年、1984年あたりですが、「プロ野球を10倍楽しく見る方法」という映画(珍プレー好プレーとアニメがバンドルされた映画)がやっていて、それをすごく見たくて母親に見たい、と言ったら「そんなくだらないものをわざわざ映画で見なくてもいいじゃない!」と反対されたことをよく覚えています。でも、どうしてもそれが見たくて結局見に行きました。誰と行ったのか覚えてないのですが、とにかく映画館でそれを見て満足したのを覚えています。

不思議なことですが、今は全く野球を見ません。こどもも見ません。こどもの頃はあんなに好きだったのに不思議ですね。

公園での草野球

今のドラえもんは知らないですが、昔のドラえもんのアニメは何かというとジャイアンはじめ、のび太の友達は近所の空き地で草野球をやっていました。
実際、自分も友達が集まると公園で野球をやっていましたね。

小学校の時、家の近い子供たちが班を作って登校していましたが、出発しなければいけない時間まで野球をやってましたね。これ、自分の子供の登校班の集合の様子を見ると、なんだか不思議な気がします。今のこどもたちで登校班に集合して草野球とかやるのは相当レアケースなんじゃないかと。
多分、当時は必要以上に早い時間に集合場所に集まって野球やって遊んでたんでしょうね。公園脇の家にすぐにボールが飛んで行ってしまって、みんな取りに行くのが嫌だから、打った人のせいにしたり、投げた人のせいにしたり、よく揉めたりケンカしたりしましたね。審判だって正式にいるわけじゃないんで、アウトだとかセーフだとかの判定でもしょっちゅうケンカしてました。もめたりケンカしたり、そんなのばっかりなのに懲りずに野球をやってたわけだから不思議なもんです。

登校前だけじゃなくて、下校してからも野球やってましたね。よく飽きずにやってたなと思います。

野球盤、ファミコンゲーム

キャッチボールや草野球みたいな屋外の遊びだけでなく、屋内でも野球をしてましたね。

古くはエポック社の野球盤です。
銀の玉がカーブしたり、ホームベース前で地下にもぐったり(消える魔球)、楽しかったですね。うちにはなかったので、友達の家に野球盤があると羨ましかったですね。

当時のゲーム機、ファミコンでも『ベースボール』、『ファミリースタジアム(ファミスタ)』で遊びましたね。
ゲームを持っている子の家に集まってはわいわい遊んでました。

今思い出すと野球がらみの遊びには事欠かなかったですね。

野球が好きだった理由

自分がこども時代に野球が好きだったのは、スポーツって言ったらまず野球だよね、っていう社会を背景にして、家族で一緒にテレビ中継を見たり、キャッチボールをしたり、球場に連れていってもらったり、友達とも公園でも草野球をしたり、野球盤で遊んだり、ファミコンでも野球のゲームをしたりと何かしら野球と関わる遊びを頻繁にしていたからなんじゃないかと思います。

遊びや価値が多様化した今では少し考えにくいですが、当たり前のようにみんながヒーローや遊びを共有できたのは、ある意味わかりやすくて、コミュニケーションしやすい時代ではありましたね。

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