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僕はお母さんと仲良くなりたい

今日は新年早々お母さんと喧嘩をしました。お母さんは全くと言っていいほど人の話を聞いてくれないので、喧嘩の後にお母さんに手紙を書いて、こたつの傍に置いておきました。その手紙をここにも書こうと思います。

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いつも押しつけ、話だと人の話を全く聞かないので手紙で伝えます。先程、大声で「聞け!」などと怒鳴ってしまったのは、自分の話を聞いてほしかったからです。お母さんはもう何年も人の話を聞いてくれません。お母さんの口から出る言葉はいつも自分の理屈ばかりで、子どもの想いや言葉を聞く優しい心はもうないように感じます。

僕がお父さんにわざわざ怒鳴ったり命令口調で話さないのは、お父さんはいつも気持ちを受け止めてくれるからです。わざわざ辛い思いをしなくても伝えることが出来るからです。僕がお母さんに怒鳴ったのは、お母さんに伝えたいことがあるのに、その1つも聞こうとしてはくれないので、あのような方法でしか話すことが出来なかったからです。お母さんが言っていることはこうです。一度、本当にこれで良いのか考えてみてください。

「自分は他人に命令しても良いけど、他人は自分に命令してはダメ」
「お前は子どもだから親の私は子どもに命令しても良い」
「子どもだから親に意見を言ってはいけない」
「親だから子どもに命令して良い、我慢させて良い」

「親だから」「子どもだから」などと言うのは全く理由になりません。説得力もありません。年齢差という誰も操ることの出来ない時間を武器に権力を振りかざしているのと同じです。それでは、時空が歪んで何かの拍子に僕がお母さんより年齢的に上になったら僕はお母さんに命令できることになりますが、そんなのおかしいと僕は思います。

先ほど起こったことはこうです。

朝起きてお母さんの所へ行くと
お母さん「お姉ちゃん起こしてこい」(僕は「また命令だ、なんでもっと優しく言えないんだろう」と心の中で思ったままお姉ちゃんを起こしに行く)
お母さん「起こしてこい言うたやろ」
僕「起こしてきたじゃん」
お母さん「なんやその口調は。誰に喋っとんねん。イライラするなあ。方言なんじゃ。」

お母さんがこんな話し方をするのは方言でもなんでもありません。相手への配慮、優しさ、思いやりがないからこうなるのです。滋賀にいる友達のお母さんは大阪の出身ですが、子どもにこんな口はききません。つまり、言葉というのは方言ではなく、発する人によって大きく左右されるのです。

「親だから」子どもに乱暴して命令するのではなく、「親だからこそ」子どもの意見や想いを聞かなくてはならないと思うのですが、どうでしょうか。

親とか子どもとか、そういう縦の関係はやめて人として対等な関係を築きたいのですが、それは僕とお母さんにはできないことなのでしょうか。

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実はこれ、初投稿で、他にも2つ記事を書いてあるのですが、まさかこれが初投稿になるとは思ってもいませんでした(笑)大事なことだと思ったので発信することにしました。

僕がこの投稿を通して伝えたいことは、お母さんを悪者にして吊るし上げるとかそういうことではありません。対人関係の重要性を自分も見直したいと感じて、この投稿に残しています。

年齢やお金を武器にして責めても、それは子どもにはどうすることも出来ません。ですから、子どもがそれをされて思うことは当然「そんなの卑怯じゃないか」ということになります。

そして、誰にも変えたり、操ったりすることの出来ない状況を用いて話を進めることは論理的でもありません。子どもに大人が出来ること、それは大人の理屈を子どもに突き通すことではなく、子どもの想いを聞いて、それを受けて「私はこう思うよ」と伝えることだけなのではないか、と僕は思います。

自分自身、こうしたことを人にしていかないように気を付けていきたいものです。

最後に、明けましておめでとうございます。
今年から新しくnoteを始めますが、どうかよろしくお願いいたします!



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