能力を”正しく”使うという事を理解するのは、非常に難しい

”ミネルヴァの梟は夕闇になって飛翔する”というヘーゲルの言葉がある。


これは事態が終わった後になってから、物事の動きがやっと他人からも理解できるような形となって現れるという意味のフレーズだ。


例えばあなたが長年連れ添った配偶者に、定年後に離婚を突きつけられたとしよう。


あなたは、ついこの瞬間まで、配偶者と上手く人間関係を構築できていたというストーリーを己の中に持っていたのかもしれないが、実際には配偶者の中では、既に関係は終わっていたわけである。


この関係が終わっていた事を、定年後に離婚を突きつけられるという形で顕在化されない限り、貴方の中では物事がどのように動いていたのかが、それまでサッパリみえていなかったわけだけど


こうやって決定的な事態が引き起こされた結果として、貴方は遅まきながら実は上手くいっていたと”思っていた”人間関係が、実は破綻していたという事を知るのである。

才能がある人間は、みんな色々と無理をしている

僕を含めて、実に多くの能力がある人間というのは、その能力を使って実生活や社会生活において、色々な無理をやっている。


その無理は、ある段階まではパワーでもってゴリ押しが通ってしまい、それが正当な形ではないにもかかわらず、通ってしまう。


それは例えば、美人がその美貌を利用して、実力以上の対価を得ていたりだとか


あるいは仕事がメチャクチャできる人間が、その実力でもって組織内で仕事ができない人間を穢多非人のような扱いをしたりだとか


これらは、実のところ正当な形での対価ではない。


美人だろうが普通の人であろうが、容姿でもって扱いに差が生じるのは、現実的には単なる差別である。


しかし、多くの人は、現実問題として容姿でもって人の扱いをかなり変えてしまう。


容姿で下駄を履かせるような行いは、補助魔法として利用する分にはカワイイものなのだけど、時として補助魔法があまりにも強すぎて、それで全ての物事を解決できると、誤解してしまう人がいる。


そうやって誤解してしまった人の予後は、極めて悪い。容姿でもって他人を差別したり、あるいは当人の容姿が加齢と共に落ちるにつれて、突然リアルがまくいかなくなり、その圧倒的な現実に耐えきれずにメンタルブレイクする人も多い。

黒魔術としての能力

世の中には、魔法のように扱える力が結構ある。


財力、権力、性的魅力などがその最たるものだが、そういったものに過度に依存し、暴力と言っても過言ではないような傍若無人な立ち振舞いをして、幸せになれる確率はあまり高くはないだろう。


自分が不快に思う事を、そういった魔法を用いて解決する事を当然と思うようには、ならない方が無難だと思う。そういう無理を積み重ねてしまうと、それは必ず貴方の精神構造を大きく破壊する事になる。


そうやって壊れてしまった精神構造が表に露出する瞬間が、冒頭に書いた定年後に離婚を突きつけられるという、テンプレとも言えるような夫婦関係なのだと思う。


それは家庭間だけの、私的な人間関係の破綻を指し示しているのではない。


たぶんなのだけど、仕事とかで権力を振るい、下請けの人間をゴミムシのように扱ったりするような立ち振舞いが、家庭で図形の相似関係のように露出してしまった姿形を変えた同型反復なのである。


トラブルの本質が理解できるのは、ずっとずっと後のこと

こうして色々と他人の事のように書いたけれど、もちろんというかこれは僕自身から出た錆の話である。その身から出たサビである、恥ずかしい話を反省文として書いてみよう。

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