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谷村新司の思い出
昔は娘と(元)妻と3人で映画だけでなくミュージカルを観に行ったりコンサートに出かけたりもしました。娘が小さな頃はバイオリンを習わせていたのでそのための情操教育というかなんというかも含めてです。
印象に残ったコンサートや舞台も色々あります。藝大120周年に奏楽堂で聞いた第九は本当に素晴らしかった。娘が病気を打ち明けてから観た『オペラ座の怪人』はあまりに脳内に響く妄想そのもの過ぎてマジでやばかった(観終えた直後に娘が気分を悪くしていました)。毎年年末31日のミュージカルは『リトルマーメイド』が最後だったかなあ。そういえば2年前には娘が大丈夫と言うので『アナと雪の女王』のミュージカルを昨年2月で予約したんだった。あれは(元)妻が出て行ってもう一緒には行けないねということでキャンセルしたんだった。なんかなあ、なんだったんだ、あれは。小澤征爾もなあ、(元)妻が「生きてるうちに見ておきたい」と言うので行ったんだよなあ。そしたらすっかり忘れてやんの。「行ったっけ?」みたいなこと抜かしてたけど、行ったよ。行ったじゃん。
そんな家族での楽しい思い出のコンサートのひとつが羽田健太郎のコンサートです。地元のホールで気楽なコンサートでしたが、喋りも演奏も楽しくて、(元)妻は「ハネケンまた来たら絶対行く」と言っていました。
ところが、羽田健太郎さんは突然亡くなってしまいました。
(元)妻は、なんだーもうハネケンのコンサート行けないんだーと悲しんでいました。
それからしばらくのこと、羽田健太郎追悼コンサートの案内がやってきたのです。
「行く?」
断る理由もありません。場所は紀尾井町ホール、私は行ったことがありません。クルマでもそんなに遠くありません。
当時、遅く免許を取った私はまだクルマを運転し始めて数年でした。山手線の内側の道はナビに従うだけだと一方通行などもあり微妙です。それでもなんとか到着。
(元)妻は特にいい席を取ろうというつもりもなかったのに最前列の席が取れてしまったと言っていました。最前列か。映画だとキツイけどコンサートで最前列ってどうなんだろうか。
コンサートには様々な演者が参加していましたが、そのひとりが谷村新司でした。え、マジ谷村新司なの。
私の母が谷村新司のファンで、「死ぬ前に一度見ておきたい」と常々言っていました。そのわりに行かねえんだ。私もですが、私の母もクチばっかりだ。
で、その谷村新司が目の前で歌っているのです。いや、最前列だから本当に目の前だし。しかも最前列に小さい子(娘)連れて家族3人じゃないですか。関係者だと思われたのか、何度もこちらに視線を向けてくるじゃないですか。なんかもうこちらとしても、ウンウンみたいな感じでうなづいたりするしかないわけですよ。アイ・コンタクトって奴です。しまいに立ち上がってみんなで『サライ』歌ったりして。
帰り道のクルマの中で(元)妻が「色々あったけど今日は谷村新司だった」と言っていました。同意です。途中から谷村新司オンステージでした。羽田健太郎追悼はどこへ。
いいコンサートでした。とてもいい思い出です。
谷村新司さんを間近に見たのは二度目でした。(元)妻と結婚する前、書店でアルバイトしていた時、レジに入って顔を上げると谷村新司でした。何冊か本をお持ちでたまたま私が会計に当たりました。いい声で「ありがとう」と言われて恐縮至極でした。
音程とリズムを外しながら「さらばー、すばるよぉおぉー」と熱唱する母には私と娘と(元)妻が谷村新司のコンサートを最前列で聞いたことは話していません。なんか話せないというか申し訳ないというか。
(元)妻は謎の引きの強さみたいなのがあって、思いもよらない出来事をたくさん体験させてもらいました。ミュージカルやコンサートは(元)妻の熱意が無かったら行かなかったと思います。私にはとても響きました。娘にはまったく響きせんでしたが。
母には谷村新司にバイト先で遭遇したことも話していません。こちらは「だからどうした」という程度の話なので。
すっかり忘れていましたが、姉はアリスの大ファンでした。今日はCDとか聞いてんだろうな。
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