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心のプログラムとリトルあなた

橘玲の新著『バカと無知』の一番最初のトピックで、次のような記述に出会います。

アメリカの調査では、従業員のおよそ3人に一人がハラスメントの被害を受けた経験があるという。だが困惑するのは、同じ調査で、パワハラの加害者になった事があるとこたえたのはわずか0.05%(2000人に1人)だったことだ。

橘玲著 バカと無知 人間、この不都合な生き物

これにはシンプルに驚きますが、そう言われれば非常に納得できそうです。
ハラスメントをしてしまう人は、きっとこれぐらいは大丈夫だろうとか、これぐらいは当たり前だという前提で人に接しているはずで、「今からハラスメントをするぞ」と思いながらそういう言動をとる人はいないでしょう。

本文では、
人間の脳は『被害』を極端に過大評価し、『加害』を極端に過小評価すると続きます。

また、違う例として、『受けた恩は比較的すぐに忘れてしまうけど、与えた恩はずっと覚えている』という実体験は無いでしょうか。

夫婦喧嘩の原因にもなりがちだと思います。

「たまには家事を手伝ってよ!」と言う妻に対して、
「俺だっていつも皿洗いや洗濯物を取り込んでいるよ!」などと返す夫。

男性からすれば、
皿洗いや洗濯物、ごみ捨てや風呂掃除など、与えられたタスクをしっかりこなして、会社に勤めて給料を稼ぐ事に加え家事にも十二分に貢献しているという言い分でしょう。
自分がして上げた事を過大に評価し(無意識に)その報酬を欲している。

女性からすれば、家事や育児に忙殺され、その生活の全てを自分以外の時間に費やしている。
子供のケアをしながら、買い出しや日々の掃除などに加え、例えばゴミ箱の袋を入れ替えたり、子供の学校の予定を把握し備えるなど、名も無き家事を一手に背負う。
確かに家事を部分的に手伝うけれど、それは全体からすれば微々たるものだと夫の貢献を過少に評価し(無意識に)それでは足りないと憤る。


ハラスメントの加害者と被害者。
喧嘩をする夫と妻。
その間に起こった事柄はひとつだけど、
そこからお互いが受ける解釈は全く異なるものになる。

その原因として語られるのは、原始時代からほとんど進化していない人間の脳の安全装置によるものだそうです。

詳細は脳科学や心理学、行動経済学等の権威ある書籍に譲ります。
ここでは、そういった事実を認めた上で、私達はどんな事を考えながら暮らせばいいのか、そういった事を考察してみたいと思います。



“人間の脳にプログラミングされた安全装置が強固に働き、人はとにかく自分を変化させないように制御されているからです。 現状維持バイアスという重力を振り切らない限り、変化は訪れないのだと思います。”

以前に別の記事で上述の通り書いたことがあります。
現状で良いとは思わないけれど、どうしても最初の一歩が踏み出せない。
頭では、挑戦し変化を起こす未来を描くけれど、現状に甘んじてまた昨日と同じ明日を迎えてしまう。
これもきっと同じ文脈の話で、「無意識に」人間の脳は私達の行動に何かしら影響を与えているのでしょう。

現状を変えたい。
違う自分に生まれ変わりたい。
だけど、いざとなると面倒くさくなってしまう。

分かります。
これは仕方無い事です。簡単には抗えない。
なぜなら人間だから。
太古の昔から脳にプログラムされた『現状を維持せよ』という防衛本能が健全に働いている。

ではどうするか。
あくまで私のやり方ですが、こういった『変化を恐れる自分』をいったん客観的に見るのは効果的かもしれません。

「今私は、この新しい挑戦を恐れているな。嫌だな。引き返したいな。」
そう考えている自分をまずは受け入れます。

それと同時に、先に進む事を望む小さな自分(リトルあなた)を心の中に見つけたら、
「現状維持バイアスが不安を増幅している。この感情はフェアではない。勇気を出した小さな自分に従おう。」
という思考プロセスをとります。
不安を感じている自分を、「それは正常な判断ではないぞ」と半ば強制的に自ら否定するのです。


人は誰かに嫌われる事を快く思いません。
他人があなたをどう思おうが関係ない。
よく聞く言葉ですが、嫌われたと分かれば気にしてしまうのが人間です。
悲しい気持ちになったり、自分が相手の事を嫌いになったり、
どうしたってネガティブな感情が湧いてくる。

誰かに嫌われる事を何とも思わない。
確かにそういう『自己肯定感の権化』みないな方はいるかもしれませんが、普通の人は他人に嫌われる事を異様に怖がるのでは無いでしょうか。

これも、脳の安全装置の一つだと思われます。
『周りと協調し、集団の一員として生きるべし』という人間の生存本能でしょう。
かつて人がまだ狩猟民族だった時代は、非力なホモサピエンスは単独では生きていけなかったはずです。仲間に嫌われ集団から追い出される事は死ぬことと直結していた。

「誰になんと思われても気にするなよ。」
「言いたい奴には言わせておこう。」
「あの人に嫌われたって気にするな。」
こういった類の助言は、現代においては恐らく正しい。

何億といる人間の数に対し、例え身の回りの数名に嫌われたとてそれは大した問題ではないはずです。
それでも、どうしたって不快な感情は湧き上がってしまう。
できれば人に嫌われたくない。

ここでも、やはり自分を客観的に見つめる事がヒントになるのでは無いでしょうか。
「私はきっとあの人に嫌われている。湧き上がる不安がある。悲しい気持ちになっている。」
まずはこういったネガティブな感情をありのままに受け入れます。
それから、以下のような思考プロセスを実行するのです。

私はあの人に嫌われたようだが、それは大した問題では無い。
命を失う事も無いし、他にたくさんの友人がいる。
ここに湧き上がる負の感情は、心の防衛本能が過剰に反応しているのだ。

やはりここでも、この不快な気持ちは合理的では無い、と自分の意思で否定しましょう。

不快を感じるのは心のプログラムです。
抗いようがない。
しかし否定する事は自分の意思です。
その感情はフェアでは無いと、自ら断じるのです。


誰かに承認してもらいたい。
凄いねって褒められたい。
結果を出して、周りの人に一目おかれたい。

これも抗い難い承認欲求だと思います。
特に小さな子供はこういった感情が強いのでは無いでしょうか。

そしてこの感情は当然に大人も持っている。
人はみな、無意識に周りからの称賛を求めているはずです。

他にも、
失敗を他責にして取り繕い、自分の評価を下げる事を極端に嫌がる。
著名な知り合いがいる事を自慢したくなる。
ツイッターのフォロワーが少ない事を気にしてしまう、などなど。

それは本質的な事では無いぞと自分を諫めても、油断するとむくむくと頭をもだげてくるのが承認欲求だと思います。

これもきっと、他の話と同様に脳にプログラムされた行動本能でしょう。
周りからの称賛や尊敬は異性からの性愛を獲得する重要なファクターであり、子孫を残そうとする生物の根源的な欲求に他ならない。

凄いと思われたい自分と、全然思い通りにいかない現実とのギャップに悩むことは多いでしょう。
どうして私は上手くいかないんだろうか。
ツイッターを開けば、自分よりも充実した人生を送っている人がまた眩しいポジティブを呟いて、自分の不甲斐なさに溜息がでる。

いろんなSNSが溢れるなか、フォロワーの増減に一喜一憂してしまう。
自分の発信が評価されれば快楽物質が分泌され、そうでなければ脳は不快を感じてしまう。
そして、もっともっとと他人の評価を欲し、承認欲求に駆動されるがままに貴重な人生の時間をスポイルされてしまう。

あなたにもそんな経験はありませんか。
そして、できればイイネ中毒ともいえる感情の揺さぶりから解放されたい。

同じです。
『他者からの称賛を欲しがるこの感情』とは、
『他者から認められない事によるこの不快感』とは、
生物的本能によるプログラムからの自動的アウトプットであり、
意思の力で否定できると知りましょう。

当然ですが、否定によって感情を変える事はできません。
楽しいな、嬉しいな、悲しいな、不安だな、
こういった感情を意思の力で変える事ができるなら、そんなイージーな人生はありません。感情は変えられない。

しかし繰り返しますが、否定する態度は自分の意思です。


似たような話を並べてきましたが、そこに通底する私の主張は、
『脳のプログラムから自動的にアウトプットされる感情は過大に評価されていると客観的に認め、自分の意思を増幅し否定的バイアスを克服しよう』
です。

本能で感情を支配しようとする自分と、冷静に意思の力で合理的に判断を下そうとする自分の戦いです。


ロバート・D・チャルディーニの『影響力の武器』や、ダン・アリエリーの『予想通りに不合理』など、心理学や行動経済学の書籍に紹介される多くの事例はどれも、何かしら脳に組み込まれた現代にそぐわない太古のプログラムが、現代の私達の合理的な判断を阻害しているのだと思います。

こういった事実に目を向けなければ、

高度に依存症を誘発するよう設計されたスマホのSNSやゲームの類にあっという間に飲み込まれまる。
このままではダメだと今を認識しつつも、現状維持バイアスの重力に縛られいつまでたっても副業にダイブできない。
学校や職場という著しく狭い社会でのいじめや孤立に絶望してしまう。

そんな人が後を絶たないのでは無いでしょうか。


新しい事に挑戦したい。
それでも、現状を変える程のモチベーションは湧いて来ない。

上司に気に入られたい。
部下には嫌われたくない。

SNSのフォロワーが欲しい。
イイネを幾つもらえたか気になって、何度もスマホを触ってしまう。

それはあなたの意思ではありません。
きっと本能があなたをそう導いているんだと思います。
まずはその事実に気付きましょう。
そして、もしそこに抗おうとしている『リトルあなた』がいたら、その気持ちを救ってください。
救うという行為は意思を伴うものです。

本田圭佑選手をACミランに挑戦する事を決意せしめた『リトルホンダ』よろしく、小さな意思の力で、心のプログラムに抗いましょう。

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