見出し画像

❨557❩1972.3.11.日.晴/親への恩/カラカス:ベネズエラ(Caracas:Venezuela)

夕方1時間半、横にある公園へ補強に出ただけ。
2時半から4時まで、コリー、マリソルが遊んでいった。

「恍惚の人」(有吉佐和子)を読み終えた。老人問題がテーマの内容。
俺も、65(?)の親父をもつ男として、通読だけではすまない本だった。この本の通り、現に親父も、子供の様になって困っている、という姉貴からも手紙が来た様に、何か親父に対してしなければ…という責任もないではない。

親とは何であり、子供とは何であるか?
そして、そこにあるもつながりとは、どうあるのが理想なのか?
相方、社会人として、自分を保ち得るだけの能力がある場合は問題ないとして、肉体的精神的、あるいは経済的に差し障りができてきた場合 (いずれかに)、どうしても真剣に考えなければならない事だと思う。

今、俺は、幼なかった頃を想い出して、親父にやんちゃを起こして頬を張られた事、親父が少し酒に酔ったおふくろに焼けひばしを振りかざした事が強く印象にある。

楽しかった事は、出稼ぎから帰った時など、肩やひざの上に乗ってふざけたり、時々一緒に魚釣りに連れて行ってもらった事が頭にある。

おふくろからも、親父からも、長い説教や他の話を真剣に聞かされた、という事はなかった様に思う。
二人共、教育パパでも教育ママでもなかった。その点、実に気楽な親達で、俺自身、割と気ままにノンビリ育ってきた様な気がする。俺自身、今この世に出られた事を幸せに思っているので感謝する。

又、メシを食わせ、服を着せ、あれこれ気を使って育ててもらった事にも、頭が下がる。
これだけの事をしてきてもらった以上、俺は、それが例え親の義務であり責任であったとしても、やはり息子としてより、人間として出来る限りの事はこれからしてやりたい(実際には、根拠のないいくらかいい加減な考えではあるが) 。
こんな言葉が頭に浮かんだ。

親の恩は山よりも高く、海より深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?