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❨800❩1973.11.7.水.晴(34°)110miles/着いた!NYがキラキラ見えた。心底美れいだと思った/New York City:アメリカ合衆国

北米横断!ニューヨーク・シティ到着!

朝10時半頃、左ペダルが折れた。
ルート⑥は全く辺ぴな所で、車も滅多に通らない。ヒッチをあきらめ、片足で走り出す。小さな丘が続き、疲れた。
20miles(32km)で、milfordという町に入った。

ここからバス…と思ったが、4時間半もの待ち合わせがあり、ガッカリ!また走り始めた。20miles、Newtownの町に着く。
もう薄暗く、今日はニューヨークへ着けないかとも考えた。

やけクソで、町外れでヒッチをやる。ラッキー!20分程でひっかかった。
50miles、ステーションワゴンの屋根に積んでもらって進む。残念ながら、あとNYへ10milesというところで、BYE-BYE。

あと一時間という距離だが、もう暗くて、それにここからは道がゴチャゴチャして、とても難しい。
エエイッと思い、捕まるのを覚悟で、フリーウェイ(自動車専用道路)へ入った。

85も、ひどい車だ。切れ目がない。
必死で走った。降り口が1~2km毎にあり、それを横切るのがまた怖かった。
一度、間違って道に入り、元のコースへ戻るのに、広い車線(5車線ぐらい?)を横切らねばならなかった。ビュンビュン車が続く中、やっとできた数秒の切れ目を走った。
こんな時こそ、自転車を捨てるべきだったのかも知ない。不思議と全く、そんな気は起こらなかった。

兎に角(昨日に続く程危なかったが)、成功した。長い長い一時間だった。
ビッショリ汗をかいて、ジョージ・ワシントン・ブリッヂに入った。
境でもあるこの橋を、ゆっくり、自転車をひいて渡った。

何か、激しい闘いの後ような気分だ。
大きな橋の歩道は殆ど人気が無く、寒々としていた。一度、黒人の若いやつとスレちがっただけ。

遠く、ハドソン河の中から盛り上がった宝石みたいに、NYがキラキラ見えた。
ハワイの夜景、ロスの夜景、メキシコ シティ、コロンビアのメデジン、ボリビアの ラ・パス、ラスベガス等と、また違ったスバラシさがあった。心底美れいだと思った。
アメリカの旅を終えるのに、最高の夜だ。
風は無く、空は澄み、月かわ冴え冴えとしていた。
ああ着いた。着いた。 タメ息がもれる。

橋を下り、いよいよ夜のN.Y.へ入った。
176番街位の所に出た。そこから中心まで、10milesあるとは驚いた。
しかし道は分り易く、縦横に造ってあり、一本の道を進めばよかった。

Broad Way Street。100mおきぐらいに信号があり、面倒くさかった。
8時、ほとんどの店が閉め始めていた。

黒人がよく目につく。この辺アップ・タウンは、さびれたようでいて、活気も伝わって来る。

35セントのピッザを2つに、ビール1本、リンゴ1個で、忘れていた夕飯を食った。

NYは歩行者天国?
ポリさんが立っていても、歩行者は平気で信号を無視する。ひどいもんだ。
初めての街は、疲れいようが、胸がときめく。

176(?)から始まり、17stまで、ゆっくりゆっくり見て通った。
片足が慣れてきて、この辺だと、あまり苦にならなくなった。 しかし、凸凹道にはマイッタ。
ダウン・タウンに近づくにしたがって、ビルが高くなっていく。

人は、速足でコートの襟を立てて歩いている。

Second Av.、スーザンのアパートは、3.4人の人に聞いただけで分かった。
一年ぶりの再会で、喜んで迎えてくれた。
ここに友があった事を、有難く思う。
久しぶりに、セントラル・ヒーティングの効いた部屋で、震えずに眠れる。

ロス以来、48日。休んだ日は一日限り。
毎日疲れを背負って、走って来た。苛酷な旅だった。生涯忘れる事はないだろう。

リンドバークの「つばさよ、あれがパリの 灯だ」の映画を見たが、彼の気持ちが、橋からニューヨークの灯を見ている時、伝わった。

不思議に思えたのは、喜びというものがなかった事。
やるだけやったのだという、満足感の様なものだけが、疲れの中にあった。
ーーそれが喜びといえば、そうなのかもしれないが・・・ーー




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