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過去にこだわってしまう癖について

僕は過ぎたことを悔やんだり、いちいち思い出したりすることが多い。
これは癖になっていると思う。

ふとした時に、あの時なんであんなこと言ったんだろうとか、あんなことしたんだろうとか。今なら言えるのに、こんなふうにするのに、とか。思い出している間はあんまりいい気分ではない。なるべくそんなことは考えないでいた方がいい、とわかっているけどついつい思い出してしまう。やっぱり癖だ。

過去の努力や成果にこだわってしまうことも結構ある。あの時の自分頑張っていたなあとか、自分はよくやったよ、とか。単純にあの頃楽しかったなあみたいに昔を懐かしむというより、自分を肯定するために過去の栄光にこだわるそれに近い。これも何だか客観的に見ると、ポジティブな思考とは言い難い。今の自分の不安や自信の無さから目を背けているように思う。

過去の出来事やその時の自分の感情を思い出す感覚は、寄せては返す海の波に似ている。

ふと、思い出したくないのに後悔や消したい記憶の波が打ち寄せてくる。静かだけどじっとり耳に残るような波の音が聞こえてくると、心がザワザワとざわめく。
自分からひとり波打ち際に出かけていって、座ってぼんやり沖を眺めながら思い出したいことだけを思い出したり、小さなプライドを浮かべて遊んでいる。
そんな感覚だ。

過ぎたことを思い出す感覚について音にしてみようとした曲。

もう少しこの癖を矯正して、過去にとどまらず、カラッと「今を生きる」ような人間になりたい。現在の自分を正しく捉えて受け止めて、前向きにこれからのことを考えられるようになりたい。
人生は一度きりだし、今という時間はこの瞬間しかない。死に向かう不可逆な時間の流れの中にあるから巻き戻しなどきかない。

僕のような人間の場合、生きている間、記憶が続く限りは「未来が減っていくほど過去が増えていく」ということだと考えているようだ。思い出の総量が増えていくから1ヶ月や1年といった単位の時間はあっという間に過ぎていくように感じる。

でもよく考えると、時間の観念で言えば過去が増えているのではなく、生きられる残り時間が減っているだけだ。
もう少し考えると、そもそも何歳まで生きられるといった終点が初めから決められているわけではないので「残り時間」という表現もおかしいことに気づく。人生は10年後に終わるかもしれないし明日かもしれない。もしかしたら数時間後に事故にでもあってこの投稿が最後になる可能性だってゼロではない。

だから、常に僕は「今ここ」に生きているんだな、という考えに行き着く。

自分の体という器の老朽化に抗いつつ今という未来を、生きている。過去の出来事と後悔や積み重ねてきた事実を引きずりながら生きていく。どうしても過ぎたことを思い出してしまうけれど、それでもこの目で見ている現実を受け止めていくしかない。

過ぎる、思い出す。そういう心の動きがあることは否定せずに受け止めておこう。音楽として記録することで少し客観的になることもできる。過去を思い出すその時も、前を見つめて、今いる場所に立っている感触を忘れないように。静かに記憶の波が打ち寄せた時、その音を聞きながら現実の歩みを止めないでいたい。

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