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クラウドソーシングと文字単価

クラウドソーシングの存在はありがたいと思う。

だけどライターとして仕事をしていくのには、使い方を間違えてはいけないらしい。

手数料があるので報酬が安くなることや、ライターの場合は単なる作業として依頼されることが多く、書いた文章を良い文章にするための添削がないのでスキルアップしないと言う。

クラウドソーシングでライティングをしていると、変なクセがついて一般の編集者からは嫌われるのだとか。その理由の一つが、文字単価報酬になっていることにあるそうだ。

文字単価は書いた分が報酬になるので、この報酬形態だとライターは文字数を稼ぐために冗長表現をしてしまう傾向にある。

中にはクライアントから最低文字数が指定されたりするので、埋めるために無理矢理言葉をあてがうこともなる。

したがって、本当のライターになりたいのなら、クラウドソーシングで文字単価の仕事を受けるのではなく、メディアに直接営業してライターになる道を選ばないと先がないと言う。

本当のライターって何だ?

昨日のエッセイでも似たことを書いたが、これではある立場の人を完全に殺してしまっている気がする。主にクラウドソーシングで稼いでいるライターを。

なぜ一方的に「ダメ」と決めつけるのだろうか。
結論、その人の目的と使い方によるのだと思うのだけど。

まず、前提として「何も考えずに文字単価の仕事を受けていてもライティング技術は上がらない」というのには同意する。
修正が入らないから良い文章が書けたのではないことを、自分で理解しなくてはいけないと思う。

ただこれは自覚して、対策すれば問題ない。
例えば、実績のある編集者に添削をしてもらう機会を自ら作るなど対策はある。

だから文字単価でしか仕事をしていない人は、みんながみんなダメなライターではないと思う。

ただライター側としてもこのことから学ぶことはある。
見せ方はとても大事ということを。
相手をよく知り、できるだけ提案内容は個人に合うようにカスタマイズすべきだろう。

あとクラウドソーシングでよく言われる手数料のことだが、個人的にこれは全く問題無いと思う。
あくまでライター目線だが、手数料の仕組みを知り、単価の話をする時に必ず自分の手取りがいくらになるのかで話をすればいい。

僕は仲介手数料を差し引いたライターの手取りでしか報酬の相談をしないようにしている。はじめから納得いく金額で仕事ができれば、直接契約だろうとクラウドソーシングを使おうと関係無い。

クラウドソーシングを使うメリットは、互いに委任契約もせずに「仕事」だけで繋がれることにある。後腐れも無く成果と報酬のみの場所。ただその場所を維持してくれているのが第三者の存在だ。

よくライターが飛んだ、困ったもんだという発信をみるのだが、クライアントにも同じことが言える。
10数名のクライアントと付き合った中でも、言い方は悪いができた人柄の人もいれば、そうでないと感じる人がいるのだから、どっちもどっちだろう。

クラウドソーシングは双方にとっては保険のようなものだ。
そのような場所で働いているワーカーにはそれぞれの理由がある。

だから一方的に可能性の芽を摘むような発言は好きになれない。
というのが僕の主張だ。

色々と書いてみたけど、結論、サービスの一つなのだから使い方なんだと思う。頭のいい人は、使わないのではなく、ここまで書いてきたようなことも含めて効果的に使っているのではないだろうか。

それこそ、急に代役が必要になった時にクラウドソーシングサービスはかなり有用だと思う。一方的にダメだと言い切ってしまっていいとは思えない。

クラウドソーシングでめちゃくちゃ稼いでいる人もいるし、それはその人の戦略が上手くいっている証拠だ。

良いライターというのは、単に文章が上手いからだけでなれるのだろうか?

クラウドソーシングサービスだけで、余裕をもって生活できるほど稼いでいるライターさんがいたとしたら、その人から学ぶことはめちゃくちゃあると思う。

単なる文章力だけではなく、どうして稼ぎ続けられるのか、そこにたどり着くまでに何を考えて何をしたのか。

きっとお手本にすべき考えが詰まってるはずだ。

クラウドソーシングサービスの印象は良くも悪くもない、フラットであって欲しいなと思う。

クラウドソーシングと文字単価は別問題だ。

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