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自分を抑える癖が強かった私を救ってくれていた、trfの音楽

私は、
今でこそ「自分の言葉」を持ち、
自分の気持ちを存分に言葉にして表現することができるが、
高校を卒業するくらいまでは、
「自分の気持ちを言葉にする」ということが、
とにかく苦手だった。
何よりも苦手だった。
それは、
言葉にならない感情を、吐き出すことができないまま、常に心に抱えていた、
ということであり、
漠然とした大きな「切なさ」や「もどかしさ」みたいなものを、常に心に抱え、鬱屈していた、
ということ。


自分のそういう性格についてのもっと詳しいことは、
またいずれ書きたいと思う。
今日は、
上記の内容と、trfとが、
私の中でどう繋がっているかを書きたいのである。
なお、
TRFは、
1993年に、trfとしてデビュー、
1996年に、名前の表記をTRFに改称しているのだが、
私にとっては、
小文字の『trf』のイメージが圧倒的に強く、
そして、1994年前後が、今日の話の舞台なので、
『trf』という表記で書かせてもらう。



自分の気持ちを言葉にすることが苦手、
ということは、
そういう場面を避けたいということでもある。
学生の頃、私は、国語が苦手で、
読書感想文や作文が、最も嫌いだった。
嫌だった。
大人からの、気持ちを聞かれる質問も、嫌で、
出来る限り、避けようとしていた。

そんな私は、
10代の頃、
音楽を聴く際、
歌詞の内容には一切興味を示さない、
そんな在り方で、
音楽を聴いていた。
「気持ちを言葉にする」ということから常に目をそらそうとしている私が、人の気持ちが書かれている「歌詞」というものに興味を示すわけがないのだ。
歌は、言葉は、そこにある日本語は、
私にとっては、ただの『響き』でしかなく、
私は、
音楽を聴くとき、
歌は聴いても、歌詞は聴いていない、メロディーや声が、カッコイイかどうか、美しいかどうか、そこら辺の『聴き心地』のみで、音楽を捉えていたのである。
(ちなみに、19歳くらいで、BUMP OF CHICKENを聴き始める辺りから、状況は変わって、歌詞を意識するようになる。その辺はまた…)


さて、
私は、1981年生まれである。
中学生の頃、
音楽の世界にどっぷりハマっていったのだが、
音楽を取り入れる手段、
それは、
テレビ番組だった。
カウントダウンTV、ポップジャム、HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP、ミュージック・ステーション、
VHSに録画して、
それらを何度見たことか!
どの番組も必要で、思えば、新聞のテレビ欄は、徹底してよく見てたな。
今思うと、
カウントダウンTVの重要性は、特に濃かったかもしれない。
MVの一部がたくさん流れること、
そして、その際、新譜が流れるとき、興奮したなぁ、ワクワクしたなぁ。
きっと同世代の人には伝わるはず。

そんな環境で、
いくつものアーティストに出会い、
好きになったわけだが、


そう、今日は、trfの話だ。



私が中学2年生だった1年間に、
trfは、
5枚のシングルを発表した。

survival dAnce
BOY MEETS GIRL
CRAZY GONNA CRAZY
masquerade
Overnight Sensation

このラインナップ!

私は、最も多感といっても過言ではないであろう中2の1年間が、
trfのこの1年間と重なったことを、
本当に良かったなぁ、と思っている。

survival dAnce、
カウントダウンTVで流れたMV、ほんの一部、10秒とか20秒だけだけど、
輝いてたなぁ。
「おっ!何かいい感じ!」
気持ちが、上がる⤴⤴

そして、
BOY MEETS GIRL、
私の心は虜になった…。
曲の始まりから終わりまで、ずっと最高。
あの世界観…。
MVの色合いも良かった…。
当時、
毎日聴いていた。
1日に何回も聴いていた。
そして、この時期は、個人的にちょうど「人を好きになる」という経験をした時期でもあり、その記憶のBGMにもなっている。
私にとって、
「人生で最も心のヒダに侵食した曲」といっても過言ではない。

年明けに月1で発表された3部作も、何度も聴いた。
毎月、発売日を待ち望んだ。
ワクワクした。



中学生の頃の私を、大きく彩ってくれたtrf。




41歳になった今、思うことがある。



今でもtrfは好きだし、
時々聴きたくなって、聴くことがある。
「あぁ、やっぱりいいなぁ」と。
しかし、
昔みたいに、
1日に何度もとか、毎日は、
聴けない。
それが、
20代以降の私の心持ちなのである。

例えば、私は、Perfumeも好きなのだが、
こちらも、
1回聴いたらお腹が一杯になって、繰り返し聴くことができない。
クラブ調の曲というか、アゲアゲのビートが、
正直、
疲れるのである。
聴きたくなっても、1回聴いたらもう充分なのである。

しかしだ、

中学生の頃の私は、
毎日のように聴いても飽き足らず、
それどころか、1日に何度も聴いても飽き足らず、
という状態だったわけだ。


それは何故か?



自分の気持ちを言葉にするのが苦手で、
心に常にもどかしさを抱えていた私の『鬱屈』を、
私の重たい『鬱屈』を、
trfのあのノリノリのビートが、解放してくれていたんじゃないか?

「trfを聴けば、鬱屈が晴れる」、
それが心地よかったから、
だから、
1日に何度も聴けたんじゃないか?

それだけ、私は心を解放したかった、ということなんじゃないか?

1日に何度も聴きたくなるくらい、
何度も解放したくなるくらい、
それくらい心に鬱屈が溜まっていたということなんじゃないか?

言葉にできず、心の中にいろんな感情を溜め込む、鬱屈する、
そんな私の心を、
軽くしてくれていたのが、
trfなんじゃないか?

trfを聴けば、鬱屈が晴れる。
それは、根本的な解決ではないかもしれない。
しかし、
応急処置であれ、
心が晴れて新鮮な空気が吸える。
清々しい気持ちになって、
笑顔になれる。
それは、
当時の私を、確実に救っている!



私は、
音楽に、
trfに、
救われていたんだと、
今、思っているのである。








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