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モンターニュのつぶやき「人はどんな人であるにせよ、3つのことをつぶやくことが出来る」 [令和3年5月2日]

[執筆日 : 令和3年5月2日]

 外務省時代にお世話になった方が、最近、クラブのコンペでグランドシニアのカテゴリーで優勝されたようですが、70歳を過ぎても、現役バリバリでやれるのもゴルフの良さでしょう。どこかのゴルフクラブの会員になると、少なくとも2つの楽しみがありそうです。一つは、会員同士の懇親が深まること、もう一つは、競技ゴルフといいますか、コンペで競い合う楽しみが生まれます。ゴルフは自己満足が得られるだけでも、十分にやる意味はあるのでしょうが、多少なりとも、上達を志すゴルファーは上達を確認出来る機会でもある、競争の場である、コンペがないとインセンティブが高まらないでしょう。そういう点からは、ゴルフをする以上は、どこかのクラブに所属するという選択肢も、私にもあったのですが、今現在、どこのメンバーでもないということでありますし、まあ、これはこれで仕方ありません。会員権を購入し、年会費を払い、そして、毎回のグリーンフィーや昼食代を払うというのは、贅沢なことで、日本ではゴルフはお金持ちのスポーツと言われてもしかたありません。お金持ちではない私は、せめて気持ちだけは誰にも負けないアマチュアゴルファーでこれからも参りたいと思っております。

 ゴルフのレベルでは、勝てそうな相手が見当たらない今の私でありますが、グランドシニアのカテゴリーで優勝された方が、私が毎日エッセイものを書いていることを褒めてくださったのですが、モンターニュが思いますに、人はどんな人であれ、最低3つのことをつぶやくことが出来るのではないでしょうか。
 一つは、本職というか本業というか、就学中であれば、学校や勉強の事、勤め人であれば、会社のことや仕事の等、もう一つは、趣味や遊びの事ですね。仕事よりもこっちが大事だと思っている人もいますが、そうでなくとも、趣味や遊びに一家言を持つ人が多い訳です。そして、最後の3つ目は、思い出になっている、あるいはなるであろう事ですね。人との出会い、お世話になっている人との事、愛している人の事、観光旅行で訪れた場所の事、食べた料理や飲んだお酒の事、または感動をもたらした本もそうですし、良い思い出と同時に、嫌な思い出も、辛い思い出もつぶやきの対象になるでしょう。
 仕事のつぶやきは、仕事をしている現役の人がつぶやくべきなんでしょう。私は、仕事に拘束されていない自由な身でありますので、立場としては、アマチュアの立場から、趣味や遊びの事、あるいは、思い出話をつぶやくことが出来ると思っております。林達夫さんが言うように、アマチュアの語り(書くことも含め)は、その人の個人的体験話から得られた経験がユニークな訳ですが、林さんは「言語の問題」というエッセイで、「言語は伝達であるかそれとも表現であるか」を論じております。結論としては、両方なんですが、アマチュアの文章というものは、表現そのものよりも、伝達的な意味が大きいように思えます。これに、表現の巧みさが加われば、プロにもなれる訳ですが、その辺の話はプロからつぶやいてもらったほうが宜しいでしょう。

 私の場合、その道の専門家には到底敵いませんが、フランスの話、カナダの話、一部のアフリカの話、ワインの話、本の話、そして、ゴルフの話は前座的には出来ると思います。前座と申しましても、学術的な話は無理でしょうが、体験的な話が、そして特にゴルフに関しては、アフリカ大陸では、エジプト、アルジェリア、モロッコ、チュニジア、コンゴで、ヨーロッパでは、フランス、スイス、ギリシャ、フィンランドで、アメリカ大陸はカナダ、米国、ブラジルで、アジアはマレーシア、ブルネイ、インドネシアで、そして豪州、ニュージーランドでプレーしましたし。それに、一般的というか、平均的ゴルファー、もしかしたら、ゴルフを専門としている人よりも、経験値が高いのは、ゴルフの本に関しての知識かもしれません。

 今日は、朝から当番の洗濯や掃除もあって、つぶやくための書く時間があまりないのですが、それと、林達夫さんの「思想の運命」があまりも面白くて、つまり、考えさせられる箇所が多くて、自分の頭でというか、自分の言葉でまとめることができていない状態なのです。こういう時は、変なつぶやきなどしないで、自分が得意な領域、分野のことをつぶやいたらいいのではないかと思い、家事で追われながら、私は部屋に保管しているゴルフの本のリストを作成しておりました。とは言っても、まだ2つのダンボール箱(2002年から2013年頃購入した本)は開けておりませんので、6割程度のリストではありますが。
 「正式なゴルファー」になるには、ハンデキャップを取得しないといけない面もあるようですが、全てのホールをパーであがればスコアは72になりますので、その72を基準(つまりゼロ)として、各々のハンデキャップが決まる訳です。最大は36(実際の実力とは違いますが)。つまり、スコアで言えば、72+36=108という煩悩と同じ数字で回れたら一応ゴルファーとしてのハンデキャップがもらえて、それによってゴルファーであることが証明されるわけであります。私は正式なハンデキャップを持たない幽霊的な煩悩ゴルファーではありますが、私が今日つぶやくのは、そのハンデキャップの意味ではなくて、ゴルフにおける醍醐味と言いますか、ゴルフを楽しくさせてくれているハンデキャップのことであります。
 耳タコかもしれませんし、「杢兵衛のゴルフ指南書」でも言及しましたが、私は小学校・中学時代は野球選手でした。強肩だったんでしょうね、それとバッテングも良かった(ホームランも何本か打っています)ので、高校の野球部(かつての名門の秋田高校野球部です)から勧誘されましたが、野球はボールが小さくてよく見えないので、大きなボールのラグビーをした訳です。それが災いしたとは言いませんが、夏の国体の県予選の準決勝で左膝(半月板損傷と靭帯損傷)を痛め、完治しない中での秋の試合で、鎖骨を複雑骨折し、即入院・手術となり、大腿部から筋を鎖骨内に移植しての接骨、金属による固定で、2ヶ月間ほど入院して治ったといえば治ったけれども、鎖骨の形が歪で、歪なのはまあ、しょうがないのですが、一番の後遺症的なことは、右肩が高くは上がらない、あげると痛みを伴うようになったことです。オーバースローでボールを投げるのがきついということです。先日、タイガーが交通事故で足を大怪我していますが、右と左の足の長さが同じになるのか、心配ではあります。
 左膝の怪我の方は、もっと厄介で、座敷とかで座る(特に正座は)のが苦しい訳です。疲れが出ると、大体、この左膝が痛み出しますし、よく雨が降ったり、低気圧になると、膝が痛み、そして、右肩も時々痛みます。ゴルフというスポーツは、歩くのが基本で、そして、いわゆる棒振りが出来ないといけません。ゴルフを始めた時に、ゴルフのスイングは、かなり左の膝を使うものであることを知って、これは結構厄介な動きだなあと。そして、ゴルフスイングで肝心なのは、ゴルフクラブをどの位置まで上げるかという、トップの位置を安定させるための右肩の使い方がありますが、右肩にハンデのある私の場合、プロのような「普通のスイング」は出来ないかなという、なんというか、直感的なものがあったのでしょうね。左膝の使い方もそうですし、右肩の使い方もそうですが、大きなスイングができない、つまり、飛距離は望めないという、持って生まれた?宿命を、ハンデを負ってゴルフを始めたわけです。
 何を言いたいのか、何をつぶやきたいのかと言いますと、ゴルフのスイングは、人の指紋と同じで、一様のスイングはないということ。そして、ゴルフは、各々のハンデを如何にして乗り越えるかにあるのだということでございます。言い換えると、ハンデとしての弱点だと思われることから、創造性というか、長所であり、強点となるものが生まれるのではないかと言う事であります。
 最近は、100を切るのが容易ではないゴルファーの私が言うのはおこがましいというか、僭越というか、面の皮が厚いというか、説得力がないというか、色々差し障りはあるのですが、敢えて申しましょう。プロと一緒にラウンドはしたことはありませんが、それなりに上手な、例えばシングルプレイヤーと比較して、何がどうかと言うと、これまでに一緒に回ってみて感じたのは、確かに、飛距離では圧倒的な差をつけられるということ。これはもう大きなハンデキャップです。しかし、ゴルフというのは面白いもので、こうした飛距離の出る上手な方は、いわゆるパーオンゴルフ(例:ミドルホールは、ショットを2回打ってボールをグリーンまで届かせ、パターを2回打ってカップに入れて、合計4回で終わることを想定したホール(パー4)です。パーオンとはですから、2回でグリーンまでボールが届くこと。ボギーオンは3回ということです)を普段しているからかもしれませんが、アプローチとか寄せは、飛距離の凄さに正比例する程でもないということ。パターもしかり。カナダのアマチュアチャンピオンと2度回ったことがありましたが、彼は凄かった。300yardを3番ウッドで打って、いつもパーオン、ロングホール(パー5)では2回でオンも当たり前のような。でも、アプローチやパターはその飛距離の凄さ程ではなかったのです。
 私は飛距離は持って生まれた才能、能力という側面が大きいと思っています。短距離に強い選手が長距離には弱いのは、筋肉の質の違いがあるように、練習して向上する部分もあるでしょうが、筋肉の質を変えるのはそんなに簡単ではないでしょうし、後は骨格の違い、骨の性質の違いもあるでしょう。物理的に言えば、手足の長い人は飛距離が出ますね。身長に比べてリーチが長いと、自然、飛距離は出ます。私のように、胴長短足では、限界があります。
 つぶやきもそろそろ結論に入らないといけませんね。ゴルフに関しては、理論よりも、自分で色々試すことが大事なんだと思います。科学者のような精神を持ちながらも、自分の身体を実際に使って、頭(脳の意識)よりも感覚(心)を磨く方が重要だと思います。女子プロの堀選手が今週千葉の浜野で開催されたトーナメントの数日前に、かつて年間10勝もし、賞金ランキングで6年連続で一位だった不動裕理選手とプライベートでラウンドをした際に、思い切って、「プレー中は何に気をつけていたのですか」と尋ねたそうです。不動さんは「ゆっくり振ることだけ」と答えたそうで、不動さんの言うゆっくり振ることを考えてプレーしたら、その甲斐もあって、好スコアーを出せて初日2位になれたと話していました(最終結果は13位でしたか)。
 ゴルフの厄介なのは、練習場と実際のコースがあまりにも違うということです。練習場では一人で自分の好きなように、自分のテンポとリズムで練習が出来ますが、コースでは、相手もいるし、カートに乗って、あるいは、歩いて、2打目以降を打たないといけない訳で、当然、呼吸の仕方も変わる訳です。つまり、リズムとテンポは練習場とは雲泥の差さであり、ましてや、平坦な場所よりも、傾いた場所から打つ方が多い訳です。平坦で、そして誰にも邪魔されない練習場でいくら巧く打てても、コースは別の時間が流れる空間になる訳です。ですから、本当にゴルフが上手になるには、いつもどおりの呼吸が出来て、いつもどおりのリズムとテンポでプレーできるようになることですが、世阿弥が能で諭すようにですな、練習の7割の成果が出るくらいの気持ちでラウンドしたら良いのです。しかしながら、凡夫の煩悩のゴルファーは、いつまでたっても禅ゴルフから程遠い、波風の立った、嵐や台風の中での孤立無援のゴルフとなる訳でございます。
 私は、古今東西、同じ悩みを抱き、一向に進歩の見えないゴルファーを助けようとして書かれた本(添付ご参照、なお、筑波大学の安藤先生とは確かアルジェで一度プレーした思い出があります。)をご紹介する程度のことしか出来ませんが、超一流のゴルファーはスイング理論は語らないようです。仮に語っていても、それは真実(真理)ではないでしょう。私たちが超一流から学ぶべきは、心の持ちようであり、ゴルフの楽しきを如何に味わうかを学ぶことではないかと思います。ともかく、スイングは呼吸によって大きく変わるし、肺呼吸も大事ですが、腹式呼吸も大事です。そして乱れのない呼吸は、日頃の足腰の鍛錬から生まれるのです。
 では、ゴルフのつぶやきは今日はこの辺で。

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